破格の超越理論 城郭ビイスタ論 津山城
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◆対談者
三連発、三連休、三種の神器
などの日本語は印象的な言葉
音楽ならドミソの和音です!
▼美濃 森蘭丸 子供 金山城
▼近江 森長可 父親 宇佐山城
▼美作 森忠政 蘭丸の弟 津山城
◆対談者
こう言った森氏一族の3城を
シンブルにビイスタ工法だと
指摘される研究論者の長谷川
先生は明治大正昭和平成には
現れなかった希代の令和時代
の革新的な城郭研究家と私は
気付いてます!第一既存学者
が明治大正昭和平成と先人の
学説を惰性で踏襲した模倣的
学説は進歩進展が見られなか
つた事は日進月歩を常とする
人類史において憂うべき事で
城郭比較研究論、城郭測量の
理論に着眼された長谷川先生
の城郭放射測量理論ビイスタ
理論は令和必須の新研究視点
でオリジナル独創的理論です!
◆長谷川
過分の賛辞賞賛は返って迷惑
私は肩書もない無名の研究家
◆対談者
しかし城郭ビイスタ論動画は
8000回の視聴数を超える現実
これは先生が8000人の前にて
講演開かれたのと同等の意義
を持つ特筆すべき動画です!
◆対談者
陸続と東海北陸近畿の要衝たる
米原や彦根いわゆる湖東地域の
賢明な人々が長谷川先生の講座
に集合されている令和の新しい
民間学の潮流が発生しています
◆報告者
いいえ他所の県では長谷川
先生講演は満員御礼ですよ
▼三重県内の長谷川城講演
▼三重県峯城の長谷川城見学会
▼愛知県小牧アサヒホール
長谷川歴史城郭講演
▼令和6年の米原市内の催事
◆助言者
人間って3回言われると気付きます。
三回言われて気付かない人は何度
言っても馬事東風!馬の耳に念仏!
◆助言者
三段論説で説明しても未だに
城郭ビイスタ解らない様なら
その人は城郭やめた方が良い
◆長谷川
辛辣な言葉は控えて下さいね!
ソフトで柔らかい言葉で願う!
◆対談者
要するに津山城金山城宇佐山
城はオリンピックなら金銀銅
◆一般者
この投稿ピント来ませんがね?
◆関西風ボケナスおじさん
全くピント来ましたどす!ワテ
金メダルチョコレート食べたい
どすわ!これ正解どすやろが?
◆長谷川
果てしなく話題がズレてます!
ううん!良い味出してますが?
◆対談者
もっとションとして下さい!
シッカリして下さいよ全く!
城郭研究史の視点から見れば
津山城宇佐山金山城ビイスタ
はオリンピックの金銀銅です
◆対談者
でも野球で言うとツウアウト満塁
と言う事でしょう。ここで三振を
したら全てが終りの負組ですよ!
◆長谷川
私は既に負組の負け犬です。
ここぞと言うところで三振。
◆質問者
森忠政が津山城を築城する
時に参考にした城郭とは?
ウイッキペデイア参考に!
津山城
これに関してひとつの伝承がある。小倉城の天守の評判
を聞いた森忠政が築城にあたって小倉に家臣の薮田助太夫
を派遣した。海に面して築かれた小倉城は海の上から検分
できたため、船を出して津山から同行した大工と絵師に
天守を見取らせようとしたが、検分していたところを小倉
の家中に見つかってしまった。事情を伝え聞いた小倉城主
の細川忠興は、薮田一行を城内に招き入れて好きなだけ
調査させ図面まで手土産に持たせたという話が伝わっている[3]。
大工の保田惣右衛門が小倉城の天守を写して津山に帰ったと
いう伝承がある[6]。ちなみに、小倉城天守の竣工は慶長15年
(1610年)である。
◆質問者
まさか小倉城に城郭ビイスタ
が存在するのでしょうかね?
◆長谷川
そのまさかが城郭ビイスタ論
です。黒田氏縄張起源を持つ
小倉城は典型的な三角形状の
城郭ビイスタ工法と言えます。
▼小倉城ビイスタ
◆四国の質問者様
土佐高知城は百々三河守なる名
築城家が縄張したと伝えられて
います。優れた城ならば必ずや
ビイスタ工法が存在しますか?
◆長谷川
センスの良い質問をされます!
その通り重複ビイスタ工法です。
▼土佐高知城 重複ビイスタ
◆反論者
そんな馬鹿な長谷川論など絶対
に認めん!粉砕撃滅してやる!
武家棟梁たる徳川将軍たる江戸
城本丸にビイスタがあるかよ?
馬鹿じやねいの長谷川論など?
◆長谷川
ふつうな素朴に存在致します。
▼江戸城 本丸重複ビイスタ
◆反論者
でも二方向から放射状に城を測量
した記録など全くありませんよ!
◆長谷川
ありますよ。享保年間の城の計測
方法が記録されています。私解説
しているビイスタ工法は素朴な城
の基本知識だと考えて下さいね。
◆長浜市民様
長谷川先生小谷城の大嶽城とは
重複城郭ビイスタなのですか?
◆長谷川
ズバリその通りです。貴方は
良いセンスされていますね?
▼大嶽城重複ビイスタ工法
◆長浜市民様
長谷川先生の城郭ビイスタ
論が大変理論だと痛感する!
それは秀吉の長浜でも言える。
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