城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

まいはら さかた の雑話

2024-06-04 16:16:36 | 滋賀の城 ビイスタ工法

まいはら さかた の雑話

 

◆京都様

私は京都の者なのですが米原

市で最もはやく城郭図を書か

れているのは1989年の書籍

『滋賀県中世城郭分布調査』

の長谷川先生なのですよ。今

から35年も大昔の事になる訳

のですから超ベラン先生。

◆長谷川

私は有名でも名前が通ってる

人間でもないです2024年にこ

のような晴れ晴れとした米原

市の鎌刃城まつりに講師とし

採用される事を夢思ってない

何か別の世界来たような不思

議な感覚を感じます。敦賀の

Aさんや柳ケ瀬のBさん余呉の

Cさんや丹生のDさん木之本の

Eさん高月のFさん西浅井のGさ

んとか杉野のFさんとかの顔が

見えないと私の心の鏡が曇る。

◆長谷川

令和4年長浜市から招かれ余呉

で城郭講演をさせていただいた

事は幸運と言う事で感謝します

でも参加者様に余呉町の方々が

一名も見えなかった事に私の心

は激しく痛恨を致しました浦島

太郎の痛切なる精神の荒廃の様

なものを感じた余呉町役場も消

え夏場は毎日通った余呉町営の

プールも跡形も無くなっている

昔懐かしい中之郷駅のプラット

ホームを見つめると外祖父の姿

が幻想の様に浮かぶ中山書店の

方に行っても親戚の顔は既に無

く長い年月の風化と虚無感です

私は一体誰なのか自分が解らず。

◆京都様

長谷川先生、感傷に耽る事は御遠慮

下さい。坂田郡誌では八講師寺の砦

と言う認識だった遺跡を八講師城と

して浮き彫りにされたる学術家とし

の功績ははかり知れないものです。

しかも先生の図面は令和の新城郭

理論ともいえる放射状ビイスタを

浮彫にするほど高い精度の図面で

あった事が解りこの城が発掘され

米原市の観光資源として将来活用

されて行けば坂田郡米原市の未来

の文化財行政に明るい光が照射を

されると言う事につながるのです。

 

◆長谷川

1989年米原市の多和田山南城

も私は図面を作成しています。

やはり日本の中世城郭として

35年前も私は認識してました

がまさか?2024年にこの様に

講師となる事など予想不可能

 

 

 

◆長谷川

須川山砦もやはりビイスタ工法

であると私は解釈しております。

◆一般者

長谷川先生の研究履歴は最も

古るいのにその学術研究進捗

性は日本国でも最前衛に位置

していると私達は感じてます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 令和6年6月2日 第18回鎌刃... | トップ | まいはら 猫旅物語 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

滋賀の城 ビイスタ工法」カテゴリの最新記事