まいはら さかた の雑話
◆京都様
私は京都の者なのですが米原
市で最もはやく城郭図を書か
れているのは1989年の書籍
『滋賀県中世城郭分布調査』
の長谷川先生なのですよ。今
から35年も大昔の事になる訳
なのですから超ベラン先生。
◆長谷川
私は有名でも名前が通ってる
人間でもないです2024年にこ
のような晴れ晴れとした米原
市の鎌刃城まつりに講師とし
採用される事を夢思ってない
何か別の世界来たような不思
議な感覚を感じます。敦賀の
Aさんや柳ケ瀬のBさん余呉の
Cさんや丹生のDさん木之本の
Eさん高月のFさん西浅井のGさ
んとか杉野のFさんとかの顔が
見えないと私の心の鏡が曇る。
◆長谷川
令和4年長浜市から招かれ余呉
で城郭講演をさせていただいた
事は幸運と言う事で感謝します
でも参加者様に余呉町の方々が
一名も見えなかった事に私の心
は激しく痛恨を致しました浦島
太郎の痛切なる精神の荒廃の様
なものを感じた余呉町役場も消
え夏場は毎日通った余呉町営の
プールも跡形も無くなっている
昔懐かしい中之郷駅のプラット
ホームを見つめると外祖父の姿
が幻想の様に浮かぶ中山書店の
方に行っても親戚の顔は既に無
く長い年月の風化と虚無感です
私は一体誰なのか自分が解らず。
◆京都様
長谷川先生、感傷に耽る事は御遠慮
下さい。坂田郡誌では八講師寺の砦
と言う認識だった遺跡を八講師城と
して浮き彫りにされたる学術家とし
の功績ははかり知れないものです。
しかも先生の図面は令和の新城郭
理論ともいえる放射状ビイスタを
浮彫にするほど高い精度の図面で
あった事が解りこの城が発掘され
米原市の観光資源として将来活用
されて行けば坂田郡米原市の未来
の文化財行政に明るい光が照射を
されると言う事につながるのです。
◆長谷川
1989年米原市の多和田山南城
も私は図面を作成しています。
やはり日本の中世城郭として
35年前も私は認識してました
がまさか?2024年にこの様に
講師となる事など予想不可能
◆長谷川
須川山砦もやはりビイスタ工法
であると私は解釈しております。
◆一般者
長谷川先生の研究履歴は最も
古るいのにその学術研究進捗
性は日本国でも最前衛に位置
していると私達は感じてます。
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