滋賀 平凡な主婦 平凡な男性が 驚愕の推理力を発揮し城郭大発見!
長谷川
この投稿は古代三関に関わる愛発関
「あらちのせき」に関する重要な投稿
になります。福井県敦賀市疋田はこの
愛発関の有力候補地でもあります。
この福井と滋賀を結ぶ通路が深坂越え
と呼ばれており私は旧深坂峠の関所を
滋賀県中世城郭分布調査で報告してい
下図のごとく峠を通過しにくく検問所
を設けています。この遺構を古代愛発
の関の一部とは申しませんが中世にも
使われたものと私は推定致します。
。
さて滋賀県高島市マキノ町には愛発の関の出張所
を思わせる地名「小荒路」がいまでも集落に残っ
ております。古来よりこの地を釼熊「ケンクマ」
天隅「テンクマ」とも呼ばれてきました。
長谷川
先日短兵急に当該目標知に万路越えの峠を
田畑氏、宮本さんと、この峠を急襲して?
予想どうり、古代中世の関塞「せきさい」
固関の跡の発見に至った訳であります!
長谷川
この投稿を良く理解する為には当ブログ
所収の『剣熊考』を全て読んでからこの
記事を見るとその意義が解ると思います。
長谷川
私が注目してきた民俗学的、地名学的な
湖西ワードとは「ケンクマ」「テンクマ」
「ヤノクマ」などの熊地名と険阻な要害
地形、地域と地域を隔てる「クマ」と言う
言語の持つ意味深さです。
対談者①
平凡な主婦 平凡な男性が
滋賀には城郭遺跡見学や発見にかけて
は時に類稀な非凡な才能を発揮される。
一見、平凡な主婦 平凡な男性がおら
れると聞いています。
対談者②
それ平凡な人ではないのじや無いかと
思います。その景に長谷川先生の城郭
交通歴史研究力が潜在していると思う。
研究しているからこそ発見できる。能力
があるからこそ、オリジナルで独自発見
出来る。つまりその城を発見できる能力
実力が備わっているから常に発見してお
られる。学者の研究力や発見力は第一
発見者や第一研究家が第一です。でもね
そのモトネタをオリジナルを巧妙に搾取
横取りして、さも自分が発見したかの如
くふるまう搾取型の研究家もおられます。
対談者①
それズルイ要領いい人ですね。会社にも
イル!イル!自分なにも調べてないのに
社長に自分がした如く報告して、巧妙に
出世する要領の良い調子の良い事言う人。
対談者②
ところで長谷川先生の険熊考全て読んで
ましたか?全部で18話もある!
対談者①
全く読んでおりません。
対談者②
甘いなあ~?古代交通史だと思って読ん
でたでしょう?このブログには多数険熊
の事が投稿されている。あなたもう一度
読み返して下さいよ!全部で18話もある!
★剣熊、天隅、は南北朝の動乱を記した
『太平記』にも登場!
★部を見逃すべからず!
『太平記』北国下向勢凍死事
河野・土居・得能は三百騎にて後陣に打
けるが、★見の曲にて前の勢に追殿れ、
行べき道を失て、塩津の北にをり居たり。
佐々木の一族と、熊谷と、取篭て討んと
しける間、相がゝりに懸て、皆差違へん
としけれ共、馬は雪に凍へてはたらかず、
兵は指を墜して弓を不控得、太刀のつかを
も拳得ざりける間、腰の刀を土につかへ、
うつぶしに貫かれてこそ死にけれ。千葉介
貞胤は五百余騎にて打けるが、東西くれて
降雪に道を蹈迷て、敵の陣へぞ迷出たりけ
る。進退歩を失ひ、前後の御方に離れければ
、一所に集て自害をせんとしけるを、尾張守
高経の許より使を立て、「弓矢の道今は是
までにてこそ候へ。枉て御方へ出られ候へ。
此間の義をば身に替ても可申宥。」慇懃に
宣ひ遣されければ、貞胤心ならず降参して
高経の手にぞ属しける。」とある。
対談者
その見の曲が小荒路と黒山の境の峠の山
万字峠こそ!交通の要害、軍事の重要点
なんですよ!「万路越とも言う」
▲長浜市西浅井町黒山から望む万字坂
▲長浜市西浅井町岩熊坂を行く田畑さん。
長谷川
2020/3/18いよいよ決起してその万字坂に
向かいます。敵は万字峠にあり進軍です!
▼万字坂を行く宮本さん
▼ジグザグの急坂を登る登る宮本さん。もうすぐ峠だ!
やった!峠の地蔵さんに到着した!
やった!万字坂で突然、交叉する軍道を発見する。
▼万字峠に到着する田畑さん。左が地蔵さん。
▼近隣を探索!城郭の堀切を遂に発見!堀の中の宮本さん
▼堀切は竪堀となって続く▲土橋で立止る宮本さん
▼出郭から手前の堀切に向かう田畑さん。
★みなさん応援をまた宜しく御願いします!
長谷川
素直に平凡に山城を自然の中で観察してます。
素朴、真心、純粋、を大切にしていたいです。
人を、あやつり、人をけ落し、人を妨害する心
は学門や真心と、ほど遠い世界の話と思います。
図書館に行って図書に鉛筆で線が引かれてる。
と図書を借りられた人や世の中に嫌悪します。
学門するなら先ず道徳から出発だと思います。
もっと心洗われる真心の学門があっても良い!
長谷川
純粋素朴な長谷川少年。
1970年大阪万国博覧会のソビエト連邦館を
見学に行きました。長谷川少年は小学5年生
つまり私は何故?ソビエト連邦館だけが巨大
に見えるのか?曽祖父堂宮大工の言う「ハエ」
つまり漢字に直すと見栄えの事または光背効果
の事を考えながらソビエト連邦館を見学しまし
た。観覧者はソヴエト館のロケットだけ見学!
素朴な長谷川青年
一方長谷川少年はビスタ効果を見学していた。
成人して織田信長の安土城を見に行きました。
大衆の皆さんは何を見学されたのでしょう?
長谷川青年は安土城のビスタ効果を見て仰天
しますが信長は地球儀を宣教師から贈り物に
貰い喜色満面の表状を表わして、宣教師達に
質問致します。「どうじや?西欧にはワシの
安土城に優る城があるのかと?」織田信長は
地球儀に喜び安土城築城に精根を尽した人で
す。日本史に燦然と輝く安土城がそんな簡単
な縄張り設計で出来ていた訳はないのですよ。
読者のみなみな様もよ歴史を素朴に大観する
能力を是非とも、身に付けて研鑚して下さい。
◆織田信長!?
この人物は?現代人も当時の人々も
全く理解しにくい宇宙人の様な人だ。
▼信長の小牧山城「長谷川線引き」
◆藤吉郎の城は信長の物真似なのか?
天正大坂城