1/9(水)0℃晴れ
おはようございます。東の空から上ったが燦燦と差し込む眩しいほどの朝を迎えました。
何に疲れていたのか、昨夜は熟睡してしまい、5時50分に起こされるまであっという間の就寝時間となりました。この時間に起きると、朝が忙しいんです。いつもの時間に自宅を出ようとドタバタしてしまいました。いつも言っている5分前行動を実行したいものです。急いでも、忘れ物と事故には十分お気をつけください。
湯来の民話「力持ちの喜代七さん」
昔、伏谷下伏にたいそう力の強い喜代七さんという若者がいました。喜代七さんは百姓はせず山の仕事を本業にしていました。
廿日市や五日市方面に炭や板を運ぶには当時もっぱら馬を使っていました。その頃の馬追いは炭を2俵、自分が1俵を背負い、合せて3俵を運んでいましたが、喜代七さんは一人で3俵を背負って峠を越していました。
喜代七さんは米を作らないので、飯米はいつも隣村から買っていました。秋の取り入れのときに籾摺りしたものは「秋挽き米」露上がりに籾摺りしたものを「今挽き米」と言って秋挽き米よりも高く売られていました。
ある年の夏の初め、喜代七さんは今挽き米の方が美味しいので隣村まで買出しに行きました。4斗入りの俵(60キロ)を3俵背負って帰り、道沿いの田のあぜに荷を降ろし休んでいるところを通りかかったお婆さんが「あんたなぁ、馬もおらんようじゃが、どうしてこの米を運んできんさったのかいのう」と不思議そうに言いました。喜代七さんは、「これくらいの米を運ぶのに馬なんかいりゃあせんわい」と言いながら、腰を上げ荷を背負い上げて歩き出しました。この怪力ぶりを見たおばあさんは驚くやらあきれるやら、目を丸くしてみんなに話して歩きました。
こんな力持ちだから、近くの村からも荷物運びを頼まれていました。
山県(現山県郡)の方へ木材運びに出かけたときこんなことがあったそうです。
切り口が4寸と8寸(1寸約3㎝)長さ7尺(約2m)、1本が30キロくらいの栗の木があり、「5挺(本)ぐらいは背負えるじゃろう」と言って喜代七さんが背負おうとすると、山県の力自慢の人も「わしも5挺ぐらいは平気だな」喜代七さんは6挺に、すると先方の力自慢も6挺にしました。
やがて二人とも6挺づつを背負って山を下りはじめました。1時間くらい歩いた頃、喜代七さんは谷川に近づいて腰を低くしました。山県の力持ちは「さては参ったか」と改めてよく見ると、喜代七さんは荷物を背負ったまま、手を伸ばして水をすくって飲んでいました。「こんな真似はできない、この男は大した者だ。わしの負けだ。」とあっさり降参したそうです。
この民話の主人公「喜代七さん」、近所のお宮にある奉納者の筆書きにちゃんと名前があるんです。同一人物かどうかは判りませんが、「なんらかの関係があるのかも」と、期待を抱かせる民話だと思いました。皆さんは、喜代七さんに勝てるかな?
夢を壊すような話で恐縮ですが、我が家のご先祖様にも同様の名前が・・・・。
おはようございます。東の空から上ったが燦燦と差し込む眩しいほどの朝を迎えました。
何に疲れていたのか、昨夜は熟睡してしまい、5時50分に起こされるまであっという間の就寝時間となりました。この時間に起きると、朝が忙しいんです。いつもの時間に自宅を出ようとドタバタしてしまいました。いつも言っている5分前行動を実行したいものです。急いでも、忘れ物と事故には十分お気をつけください。
湯来の民話「力持ちの喜代七さん」
昔、伏谷下伏にたいそう力の強い喜代七さんという若者がいました。喜代七さんは百姓はせず山の仕事を本業にしていました。
廿日市や五日市方面に炭や板を運ぶには当時もっぱら馬を使っていました。その頃の馬追いは炭を2俵、自分が1俵を背負い、合せて3俵を運んでいましたが、喜代七さんは一人で3俵を背負って峠を越していました。
喜代七さんは米を作らないので、飯米はいつも隣村から買っていました。秋の取り入れのときに籾摺りしたものは「秋挽き米」露上がりに籾摺りしたものを「今挽き米」と言って秋挽き米よりも高く売られていました。
ある年の夏の初め、喜代七さんは今挽き米の方が美味しいので隣村まで買出しに行きました。4斗入りの俵(60キロ)を3俵背負って帰り、道沿いの田のあぜに荷を降ろし休んでいるところを通りかかったお婆さんが「あんたなぁ、馬もおらんようじゃが、どうしてこの米を運んできんさったのかいのう」と不思議そうに言いました。喜代七さんは、「これくらいの米を運ぶのに馬なんかいりゃあせんわい」と言いながら、腰を上げ荷を背負い上げて歩き出しました。この怪力ぶりを見たおばあさんは驚くやらあきれるやら、目を丸くしてみんなに話して歩きました。
こんな力持ちだから、近くの村からも荷物運びを頼まれていました。
山県(現山県郡)の方へ木材運びに出かけたときこんなことがあったそうです。
切り口が4寸と8寸(1寸約3㎝)長さ7尺(約2m)、1本が30キロくらいの栗の木があり、「5挺(本)ぐらいは背負えるじゃろう」と言って喜代七さんが背負おうとすると、山県の力自慢の人も「わしも5挺ぐらいは平気だな」喜代七さんは6挺に、すると先方の力自慢も6挺にしました。
やがて二人とも6挺づつを背負って山を下りはじめました。1時間くらい歩いた頃、喜代七さんは谷川に近づいて腰を低くしました。山県の力持ちは「さては参ったか」と改めてよく見ると、喜代七さんは荷物を背負ったまま、手を伸ばして水をすくって飲んでいました。「こんな真似はできない、この男は大した者だ。わしの負けだ。」とあっさり降参したそうです。
この民話の主人公「喜代七さん」、近所のお宮にある奉納者の筆書きにちゃんと名前があるんです。同一人物かどうかは判りませんが、「なんらかの関係があるのかも」と、期待を抱かせる民話だと思いました。皆さんは、喜代七さんに勝てるかな?
夢を壊すような話で恐縮ですが、我が家のご先祖様にも同様の名前が・・・・。