5/8(火)14℃ 曇り☁
おはようございます。
GW後の一週間、体のリハビリが続いてますけど、何とか目の前のやるべき事をやり終えたと言う安堵感に浸ってます。
昨日、職場に出勤した際に、同僚の女の子から知り合いがタケノコ掘りに湯来に行ったらしくて、もしかして主幹の所に誰か若い子連れの夫婦が行かれませんでしたか?って聞かれたんです。もちろん、そんなこともあったって伝え、何で?って聞いたら、よく聞いてみると同じ職場の別部所に勤めてたようでびっくり😱。
縁は異なもの、悪いことはできませんね。
常日頃からの対応をいっそう気を付けなきゃって思った次第です。
今週末は母の日ですね。
冒頭の写真は、私の好きな絵画で、作者ははらみちをさん。どこだっけ?、はらさんの記念館があって、その時に慈愛に満ちた作風が気に入ってしまって、写真を撮しちゃいけなかった?ブログにアップしちゃいけなかった?かも知れませんが、是非とも見に行って同じ気持ちになっていただきたいなぁって思った次第です。
母の日の事について調べてみた結果は次のとおりです。調べた結果がまちがっていたり、もっと詳しい事を知っておられましたら、教育的な指導をお願いします🙇⤵。
母の日は5月の第2日曜日。
花屋さんの店頭に、カーネーションが並びだすと、母の日が近づいたことに気づかされます。
日本では母の日が祝日になっていませんが、アメリカでは祝日になっているみたいです。正式に祝日として制定されたのが今から約100年も前の1914年。父の日がなぜ無いのか、いつも気になっている私です。
「母の日」の始まり は、1907年、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスと言う女性が、母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母ミセス・ジャービスが好きだったという白いカーネーションを捧げ、式の参加者に母を偲んで一輪ずつ手渡したのが始まりだと言われています。
彼女の母は早くに夫を失い、残された娘2人を女手一つで苦労して育て上げたそうです。
カーネーションを参列者に手渡したのは、生前に母が日曜学校で「母の恩の深さを人々に悟らせる方法を考えましょう」と提唱していた事を思い出し、母の恩を母の愛したカーネーションに込め、この花に母の恩の深さを象徴させたものと思われます。
娘が主催した追悼会の模様が話題となり、米国初の百貨店経営者として知られた実業家であったジョン・ワナメーカーもこの話を知り、母の日の主旨に賛同した経営者が1908年に、早速自分の経営するシアトルの百貨店で「母の日」の催しを行い、徐々に全米に広がって行ったそうです。
やっぱり、企業商戦に乗せられてたのがぁ、だと思った。
この年の催しが起因となり、母の存命する人は赤いカーネーション、母を亡くした人は白いカーネーションを胸に付けるようになったと云い、これが慣習化して今の母の日まで受け継がれてきたようです。
なぜ、母の日にカーネーション?
母の日とカーネーションの関係については先に、提唱者のアンナ・ジャービスの母が好んだ花だとありましたが、それだけではありませんでした。
調べてみると、キリスト教とカーネーションに深い繋がりがありました。
イエス・キリストが十字架にかけられた日、それを見送る母マリアが流した涙の跡に、一輪のカーネーションが咲いたと云われています。この故事から、キリスト教徒にとってカーネーションは「母と子」の関係を象徴する重要な意味を持つ花だと言うことが良く分かります。
白いカーネーションはイエスとマリア
赤いカーネーションは復活したキリスト
ちなみに白いカーネーションは、十字架にかけられる前のイエスとマリアを、赤いカーネーションは復活したキリストをそれぞれ象徴すると言われています。
敬虔なキリスト者であったジャービス母子がこの故事を知らないはずは無く、母の日の花としてカーネーションを選んだのは、単なる思いつきでは無かったようです。
日本では、商戦と言えるほどの盛り上がりが無いのはこうした背景があるからかも知れませんね。
あまりカーネーションって言う花が好きじゃない私、トゲが多い私ですから、ミニ薔薇でもプレゼントしようかなぁ?
少しずつ、空が明るくなってきた感じがします。
気持ち良い、充実した一日にしたいなぁ。
皆さんも頑張りましょう。
おはようございます。
GW後の一週間、体のリハビリが続いてますけど、何とか目の前のやるべき事をやり終えたと言う安堵感に浸ってます。
昨日、職場に出勤した際に、同僚の女の子から知り合いがタケノコ掘りに湯来に行ったらしくて、もしかして主幹の所に誰か若い子連れの夫婦が行かれませんでしたか?って聞かれたんです。もちろん、そんなこともあったって伝え、何で?って聞いたら、よく聞いてみると同じ職場の別部所に勤めてたようでびっくり😱。
縁は異なもの、悪いことはできませんね。
常日頃からの対応をいっそう気を付けなきゃって思った次第です。
今週末は母の日ですね。
冒頭の写真は、私の好きな絵画で、作者ははらみちをさん。どこだっけ?、はらさんの記念館があって、その時に慈愛に満ちた作風が気に入ってしまって、写真を撮しちゃいけなかった?ブログにアップしちゃいけなかった?かも知れませんが、是非とも見に行って同じ気持ちになっていただきたいなぁって思った次第です。
母の日の事について調べてみた結果は次のとおりです。調べた結果がまちがっていたり、もっと詳しい事を知っておられましたら、教育的な指導をお願いします🙇⤵。
母の日は5月の第2日曜日。
花屋さんの店頭に、カーネーションが並びだすと、母の日が近づいたことに気づかされます。
日本では母の日が祝日になっていませんが、アメリカでは祝日になっているみたいです。正式に祝日として制定されたのが今から約100年も前の1914年。父の日がなぜ無いのか、いつも気になっている私です。
「母の日」の始まり は、1907年、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスと言う女性が、母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母ミセス・ジャービスが好きだったという白いカーネーションを捧げ、式の参加者に母を偲んで一輪ずつ手渡したのが始まりだと言われています。
彼女の母は早くに夫を失い、残された娘2人を女手一つで苦労して育て上げたそうです。
カーネーションを参列者に手渡したのは、生前に母が日曜学校で「母の恩の深さを人々に悟らせる方法を考えましょう」と提唱していた事を思い出し、母の恩を母の愛したカーネーションに込め、この花に母の恩の深さを象徴させたものと思われます。
娘が主催した追悼会の模様が話題となり、米国初の百貨店経営者として知られた実業家であったジョン・ワナメーカーもこの話を知り、母の日の主旨に賛同した経営者が1908年に、早速自分の経営するシアトルの百貨店で「母の日」の催しを行い、徐々に全米に広がって行ったそうです。
やっぱり、企業商戦に乗せられてたのがぁ、だと思った。
この年の催しが起因となり、母の存命する人は赤いカーネーション、母を亡くした人は白いカーネーションを胸に付けるようになったと云い、これが慣習化して今の母の日まで受け継がれてきたようです。
なぜ、母の日にカーネーション?
母の日とカーネーションの関係については先に、提唱者のアンナ・ジャービスの母が好んだ花だとありましたが、それだけではありませんでした。
調べてみると、キリスト教とカーネーションに深い繋がりがありました。
イエス・キリストが十字架にかけられた日、それを見送る母マリアが流した涙の跡に、一輪のカーネーションが咲いたと云われています。この故事から、キリスト教徒にとってカーネーションは「母と子」の関係を象徴する重要な意味を持つ花だと言うことが良く分かります。
白いカーネーションはイエスとマリア
赤いカーネーションは復活したキリスト
ちなみに白いカーネーションは、十字架にかけられる前のイエスとマリアを、赤いカーネーションは復活したキリストをそれぞれ象徴すると言われています。
敬虔なキリスト者であったジャービス母子がこの故事を知らないはずは無く、母の日の花としてカーネーションを選んだのは、単なる思いつきでは無かったようです。
日本では、商戦と言えるほどの盛り上がりが無いのはこうした背景があるからかも知れませんね。
あまりカーネーションって言う花が好きじゃない私、トゲが多い私ですから、ミニ薔薇でもプレゼントしようかなぁ?
少しずつ、空が明るくなってきた感じがします。
気持ち良い、充実した一日にしたいなぁ。
皆さんも頑張りましょう。