三流読書人

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ドングリ小屋住人 

格差社会 普通に生きる人間の不幸の始まり

2006年07月27日 07時26分08秒 | 政治 

  競争万能を超えた経済システム どう構築
内橋克人氏 経済評論家 「経済学は誰のためにあるのかー市場原理至上主義批判」など多数、早くから規制緩和の弊害を指摘。74歳(7月24日付『毎日新聞』)。
《 バブル崩壊後の「長期構造的停滞」をもたらしたものは、狂乱的な土地投機や金融資本の節度喪失、もとをたどれば円高誘導を決めた85年のプラザ合意以降の日本政府の「政策エラー」に真因があった。 
  ところが一部の論者は巧みに現実をスリ替え、
あたかも公正や平等に価値を求める在来の価値観に不況や停滞の原因があったごとく唱えはじめた。
 彼らは平然と「悪平等主義」とか「ぬるま湯につかる日本人」、ついには「日本型社会主義」なる珍語までひねり出し、長期停滞の責をもっぱら社会一般、とりわけ働くものに、転嫁し、糾弾をはじめた。 
 アメリカ帰りのある学者は「格差ある社会は活力ある社会」などといい、「金持ちにうんと金持ちになってもらうほか、日本が豊かになる選択肢はない」とまで公言している。
 その後、この人物が経済政策を担った。日本財界、超富裕層の長きにわたる宿願がすべて見事に達せられた。
 ごく普通に生きる日本人の「不幸の始まり」だ。 社会をむしばむ「格差」を一気に深めたものは、小泉政権が完成させた雇用・労働の解体だ。
 この政権は「改革」の名において、経済界の悲願であった「雇用・労働の規制緩和」の流れを一気に加速させ、不可逆で決定的なものとした。
 03年改正における差別的派遣労働の全面解禁(期間の上限延長)、製造業への解禁断行などがその核心的なものだろう。まさにここに「格差問題」の起源は発している。 
 いま私たちは「あるべき日本社会」の展望を打ち出さねばならない。時の権力に密着してグローバルスタンダードなる「幻想」をふりまき、「既得権」を糾弾しながら「新規権益」をほしいままにした不公正な「利得者」らをあぶり出すことだ。
 
市場が市民社会を支配するのではなく、社会で暮らし、働く人々を守る新たな「共生経済」へ向けてかじを取るほかないにない。 》