伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

長崎を最後の被爆地にー長崎平和式典見た

2021年08月09日 | 平和・戦争
 長崎市に原爆投下がされたのは。午前10時58分。この時間帯にあわせて式典が開かれ、中継された。

 田上市長は、平和宣言で、核兵器禁止条約の発効を受けて。「世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります」として、政府と国会議員に具体的行動を提起した。

 一つに条約の第1回締約国会議にオブザーバー参加し、核兵器禁止条約を育てる道を探ること、
二つ目に一刻も早く条約を批准すること、
三つ目に日本国憲法の平和の理念の堅持と、北東アジア非核兵器地帯構想を検討すること、
四つ目にNPT再検討会議での核軍縮の実質的な進展さと、先んじて米ロがさらなる核兵器削減へ踏み出すこと、
以上4つの行動だ。

 そして、被爆100年に向けた次の25年を「核兵器のない世界に向かう確かな道」とすることを呼びかけました。

 また、原発事故に見舞われた福島にエールを送るとも触れた。

 東日本大震災と原発事故の後、本市にも多くの長崎関係の方々が支援に入ってくださったことを思い出す。その目が、遠く離れた地から、本市にむいていてくれることが心強いし、ありがたい。東京オリンピックが掲げた「復興」より、確かな復興支援がここにあったような気がする。

 被爆者を代表した92歳の岡さんは、被爆時の体験を語りながら、命ある限り体験を語り継ぐと決意をのべた。

 これに対して、菅首相のあいさつは、基本的に広島式典の基調を引き継ぎ、核不拡散条約の検討会議で、各国が共に取り組むことのできる具体的措置を見いだす努力を、引き続き粘り強く続けていくなどとした。不拡散条約は、米ロ中国などの核兵器の保有を前提とするもので、核兵器廃絶は棚上げされた条約となっている。

 同じあいさつの中で、「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます」というのなら、具体的な核廃絶を掲げた核兵器廃絶条約の立場から、核不拡散条約の具体的措置を見いだすために努力すべきではないだろうか。そう考えると、政府の立場はあまりにも不十分という印象を、あらためて受ける。

 台風9号が枕崎付近に上陸した翌日の開催となっていたが、影響はなかったのだろうか。以前、始めて長崎市を会場に開かれた原水爆禁止世界大会に参加したことがある。あの時、体験した長崎の夏は、当時住んでいた横浜とは異質・・湿気が高く、非常に蒸し暑い印象を持っている。

 今日の長崎はどうだったのだろうか。

 式典で表明された被災地の、そして被爆者の願いが活きる、そんな日本の政治が進んでいくことを望みたいものだ。


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