伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

これからも海とともに。薄磯で海開き式

2017年07月15日 | イベント
 震災と原発事故後に開かれる、3つ目の海水浴場となる薄磯海水浴場で、海開き式が実施されました。

 震災前、市内には10ヶ所の海水浴場がありましたが、震災により休止。震災翌年の2012年、勿来海水浴場が開かれ、翌13年に四倉海水浴場が開かれ、震災から7年目の今年、3か所目の海水浴場が開かれることになりました。



 津波被害で122名が犠牲になり、町がほぼ流されてしまうなど大きな被害を受けた同地区では、震災後、震災復興土地区画整理事業がすすめられてきましたが、宅地造成が終了しすべての地権者に引き渡されるることになりました。

 海開き式の直前には、宅地引き渡し式が行われ、地宅の完成を祝うと同時に、地権者代表に宅地引渡書が交付されました。





 市長は、同地区の甚大な被害にふれながら、犠牲者を生み出さないまちづくりをすすめ、定住、交流人口の拡大を期待したい、と式辞でのべていました。

 この式に続いて行われたのが海開き式。

 アトラクションで、市内のフラガール甲子園出場校の磐城第一、いわき総合、好間、小名浜、東日本国際大学付属昌平の核高等学校のフラダンスサークル等によるフラダンスが披露された後、



神事が執り行われ、海水浴場の安全が祈願されました。



 続く式典で、海水浴場安全対策実行委員長の薄磯区長は、震災前と変わらない海の姿に勇気をもらったとしながら、薄磯地区が「海とともに生き、海に生かされてきた。これからも海とともに生きていきたい」と、海水浴場再開の喜びを語っていたことが印象に残りました。

 また、いわき市の国際姉妹都市であるアメリカ・ハワイ州カウアイ郡のバーナード・ガバーロ郡長は、確か台風被害と言っていたと記憶しているが、その被害を受けた時に、いち早く支援をしてくれたスパリゾートハワイアンズなどいわき市だったと紹介しながら、震災で流された小名浜と刻まれたブイがカリフォルニアまで流され、日本に戻る途上でハワイに流れ着き、記念のモニュメントになっていることなど本市との縁を語りながら、友好の発展を希望しました。

 しかし、この郡長さんは、いつも見て思うのですが、ととも体が大きい。そして陽気な雰囲気です。やはり民族性なのでしょうか・・。

 式典後は海開き宣言とテープカット、



 そして初泳ぎです。

 少し波が高い感じでしたが、子どもたちが水浴を楽しんでいました。



 先ほどフラを披露してくれた、高校生ダンサーたちも水辺に華を添えていました。







 浜辺では、鳴き砂を守る会の方々だっと思うのですが、砂の彫刻づくりをしていました。

 「少しやってみますか」の勧めで、スプーンを取り、砂の除去作業をしてみました。

 彫刻づくりをしていた方が、パレットナイフのような道具を使い、彫刻の面を削り、シャープな角を削り出し、削った砂を私が掻き出すという作業。



 「角がシャープな方が彫刻がきれいに見えるんです」。確かに説明通りでした。

 砂はサラサラ。とてもきれいです。



 8月15日までの海水浴シーズン。事故のないよう安全に海を楽しんでいただけるよう願います。 


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