伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

平和行進

2014年06月25日 | 平和・戦争
 広島、長崎への原爆投下が多くの犠牲者を出して日本が敗戦を受け入れてから69年。乗組員が犠牲になったビキニ環礁での第五福竜丸の被ばくの体験から、核兵器廃絶を求めて始まった核兵器の廃絶を求める国民平和大行進が昨日いわき市入りし、明日まで市内を行進しますが、きょう25日はいわき市役所で市に要請活動を行った後、市役所からJRいわき駅、内郷の労災病院前から内郷駅を行進しました。きょうは市への要請行動に同席、明日は小名浜、植田駅から勿来市民会館のコースを行進団の一員として歩く予定にしています。



 きょうのいわき市要請では、新しい原爆パネルの購入を検討するという回答がされた他、広島や長崎への修学旅行の斡旋の求めには、各校の判断で行っており、中学生サミット事業で長崎や広島に代表を派遣していることなどが説明されました。

 平和行進で思い出すのが、たぶん1981年に長崎で原水爆禁止世界大会が開かれた年のこと。この年、当時所属していた運輸省第2港湾建設局の労働組合略称「日港建」の青年部の派遣で世界大会に参加しました。これに向けて平和行進にも積極的に参加し、出発行進となる東京都江東区夢の島の第五福竜丸展示館から品川(新橋だったかな?〉のコース、神奈川に入って京浜東北生麦駅から横浜港の瑞穂埠頭入口(ノースドック)のコース、横浜市緑区のコース、そして東海道線湯河原駅から静岡に引き継ぐコース、都合4コースを歩きました。

 このうち東京の出発行進では、デモ隊の回りで周辺の商店等で署名をお願いしながら歩いたことを記憶しています。

 そして何より印象深いのが生麦駅からのコース。朝、スタートの時にはすでに土砂降りの雨。ゴールまで同じ調子で雨が降り続く中での行進でした。雨ガッパ、さらに傘もさしていたかもしれません、そのいでたちで歩くのですが、道路の端は降り注いだ雨が川のように流れ、びしょ濡れで、おまけに雨ガッパの中は汗だくになりながらとにかく歩き通した記憶があります。21歳頃でしたので若気のいたりで、どこかヒロイズムに浸っていたようにも思います。この年参加した長崎大会では終結の平和行進があったのですが、これもスタートとほぼ同時に強い夕立が降りました。行進が終わるころにはやんdのですが、突然の雨のため用意もなく、びしょ濡れで行進しました。どうも雨と相性が良いようです。

 また横浜市緑区の平和行進は、とにかく長距離を黙々と歩いた記憶があります。蒸し暑い日でしたが、途中でスイカの差し入れがあったことを思い出します。そして湯河原は逆にとても短いコース。10分、いやもう少しだったのか、とにかくほんの少しだけ歩いて静岡のみなさんに行進を引き継ぎました。この湯河原駅に行くまでに電車で揺られた時間の方がはるかに長かったと思います。

 以来、ほぼ毎年どこかのコースを、目的である核兵器の廃絶が実現されることを願いながら歩いてきました。明日もしっかり歩きたいと思います。



 


 


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