小雨模様の朝。目が覚めて、窓に目をやっても、昨日より、一昨日より暗い感じ。その理由がこれだった。
午前中に所用で遠野町を走行していると、深山口でめずらしい物を見ました。といっても、この時期というものですが。
キジです。田んぼの中でスズメを従えながら、わらの間から何かをひろって食べています。こぼれたコメでもあるのでしょうかね。
そう、15m程離れたところに車を停めていたのですが、逃げるふうもなく、一生懸命採餌していましたね。どうどうとしたものです。
カシラダカもいましたね。その他、シメ、カワラヒワ、モズ、スズメも見かけました。
さて午後から、いわき市障がい者職親会の設立20周年記念式典に出かけました。
午前中のプログラムは出席せず、午後からの出席でした。
聞きたかった障がい者のお話を聞くことができました。
「私たちの声」と題して話したのは、身体障害の方、アスペルガー症候群の方、そして最後の方は何の障がいかな・・。
身体障害の女性は、プログラムの開発や事務職などに務めたが、階段の上り下がり、和式トイレや建物の段差など、施設にバリアがあったことが大変だったこと、根を詰めて仕事をしたことから体調を崩したこともあったといいます。そこから、がんってやり切るのが当たり前ではなく、自分で体調を管理し良い仕事をすることが大切だと知り、主婦を5年間務めた後、障がい者就業・生活支援センターの紹介で在宅で就業し、無理なく、収入にも納得しながら仕事をしているといいます。
またアスペルガー障がいの男性は37歳。家電量販店の倉庫整理・品出しや書店の接客などに9年間勤務していたものの、人との接触や喧騒などが苦手な障がいの特性から、かなり無理して仕事をしていた。この頃は、自分に障がいがあると知らず、なぜ仕事が「辛く苦しい」のか理解できなかったといいます。
その後、障がいがあることを知り、3年間のカウンセリングの後、ハローワークの登録や作業所への通所などを経て、パソコン業務の実習を受けた企業から在宅業務の声がかかり、就業しました。障がい特性には相性が良い仕事であるものの、業務進行管理や収入面での問題があり、さらに外出の機会を意識的に増やさなければならないと感じているといいます。
最後に「僕の人生」と題して発表した28歳の男性は、シンガーソングライター「aiko」のファンで、ディズニーランドが大好きだといいます。マルト城東店に勤務し、特技は元気な接客だとか。確かに発表の際に見せてくれた映像では、威勢よく商品紹介と販売をしている姿を見せてくれました。品出しでは、例えば「ネギは葉先から痛むのでていねいに並べる」などと紹介し、「『いらっしゃいませ』と元気にお客さんを迎えています」と、お店や職員の自分への「やさしい」対応を交えながらしょうかいしました。
その後、コーディネーター等による質疑が行われたのですが、アスペルガーの男性は、身体上は見られない障がいを理解してもらうことが大切で、ストレスがたまる事例としてこんなことを紹介しました。
「決められた仕事をこなすことはできます。しかし、仕事が終わったから『これもやって』と上積み(追加の仕事)が入る。こういう予定外のことが入るとパニックのきっかけになります。たまにはいいのですが、これが常態化する弾けてしまいます」
定められた仕事をあらかじめ計画を持ってすすめることに問題はないのですが、予定外の事態には対処が難しい――そんな特性をこの障がいは持っているのですね。
それぞれの方が仕事に対する思いを語りました。働くことを女性は「当然のこと。働けるなら、働く。社会のつながりだ」と表現しました。アスペルガーの男性は「人間としてのはり。働かないと腐る」といいました。マルト勤務の男性は「コミュニケーションの場」といいました。
それぞれの言葉から、障がいを持っていても社会と何らかの形でかかわり、人らしく生きたいという思いを感じました。
現実にはまだまだ障がいに対する偏見があります。偏見をどう克服するかが問題です。会の進行の中で、「障がいも個性」という言葉がありました。この言葉が社会的に広く認知することができるならば偏見の克服お可能でしょうが、まだ遠い道のりなのかな。
しかし、はっきりしているのは、その人の特性を理解し、それに見合った仕事を用意するならば、障がい者もいきいきと働くことができるちう現実です。ただこの働き方は、金銭的利益の追及を至上のものととらえる経済社会からみれば、障害物となるでしょう。
職親会も20年。障がい者の雇用拡大をはかってきた20年間の取り組み。実はそれ以前から福祉施設や個々の企業では、障がい者の雇用の獲得と拡大に向けた困難な“たたかい”があったようです。
「私たちの声」の後、職親会関係者による座談会がありました。その困難なたたかいはこの中でふれられました。
具体的に語られたわけではありません。しかし、障がい者の雇用を支えるために、世間的理解が今ほどなかった時に、何事かあればいつなん時でもそれに対応して“24時間たたかった”。そんな歴史があったようです。頭が下がります。
職親会会長はこう発言しました。
「職親会の究極の目標は会の解散です。障がい者が健常者と同じように普通に暮らし、普通に就職できる社会になった時、職親会は役割を終えます。20周年を迎え、30周年までの10年間、そのようなビジョンを持って会の取り組みをすすめたい」(すみません。カギ括弧で引用のように書いていますが、言葉はそのとおりではありません。発言を聞いた印象で趣旨をまとめた言葉です。発言の趣旨は間違っていないと思います)
参加していた全国就業支援ネットワーク事務局長は、「そうなるのは難しく。何らかの偏見は残っていきます」と、取り組みの重要性と会の取り組みの継続・強化を呼びかけていました。職親会の取り組みが広がるということは、労働のあり方が変わるということにもなると思います。活動の発展を心から祈念しています。
午前中に所用で遠野町を走行していると、深山口でめずらしい物を見ました。といっても、この時期というものですが。
キジです。田んぼの中でスズメを従えながら、わらの間から何かをひろって食べています。こぼれたコメでもあるのでしょうかね。
そう、15m程離れたところに車を停めていたのですが、逃げるふうもなく、一生懸命採餌していましたね。どうどうとしたものです。
カシラダカもいましたね。その他、シメ、カワラヒワ、モズ、スズメも見かけました。
さて午後から、いわき市障がい者職親会の設立20周年記念式典に出かけました。
午前中のプログラムは出席せず、午後からの出席でした。
聞きたかった障がい者のお話を聞くことができました。
「私たちの声」と題して話したのは、身体障害の方、アスペルガー症候群の方、そして最後の方は何の障がいかな・・。
身体障害の女性は、プログラムの開発や事務職などに務めたが、階段の上り下がり、和式トイレや建物の段差など、施設にバリアがあったことが大変だったこと、根を詰めて仕事をしたことから体調を崩したこともあったといいます。そこから、がんってやり切るのが当たり前ではなく、自分で体調を管理し良い仕事をすることが大切だと知り、主婦を5年間務めた後、障がい者就業・生活支援センターの紹介で在宅で就業し、無理なく、収入にも納得しながら仕事をしているといいます。
またアスペルガー障がいの男性は37歳。家電量販店の倉庫整理・品出しや書店の接客などに9年間勤務していたものの、人との接触や喧騒などが苦手な障がいの特性から、かなり無理して仕事をしていた。この頃は、自分に障がいがあると知らず、なぜ仕事が「辛く苦しい」のか理解できなかったといいます。
その後、障がいがあることを知り、3年間のカウンセリングの後、ハローワークの登録や作業所への通所などを経て、パソコン業務の実習を受けた企業から在宅業務の声がかかり、就業しました。障がい特性には相性が良い仕事であるものの、業務進行管理や収入面での問題があり、さらに外出の機会を意識的に増やさなければならないと感じているといいます。
最後に「僕の人生」と題して発表した28歳の男性は、シンガーソングライター「aiko」のファンで、ディズニーランドが大好きだといいます。マルト城東店に勤務し、特技は元気な接客だとか。確かに発表の際に見せてくれた映像では、威勢よく商品紹介と販売をしている姿を見せてくれました。品出しでは、例えば「ネギは葉先から痛むのでていねいに並べる」などと紹介し、「『いらっしゃいませ』と元気にお客さんを迎えています」と、お店や職員の自分への「やさしい」対応を交えながらしょうかいしました。
その後、コーディネーター等による質疑が行われたのですが、アスペルガーの男性は、身体上は見られない障がいを理解してもらうことが大切で、ストレスがたまる事例としてこんなことを紹介しました。
「決められた仕事をこなすことはできます。しかし、仕事が終わったから『これもやって』と上積み(追加の仕事)が入る。こういう予定外のことが入るとパニックのきっかけになります。たまにはいいのですが、これが常態化する弾けてしまいます」
定められた仕事をあらかじめ計画を持ってすすめることに問題はないのですが、予定外の事態には対処が難しい――そんな特性をこの障がいは持っているのですね。
それぞれの方が仕事に対する思いを語りました。働くことを女性は「当然のこと。働けるなら、働く。社会のつながりだ」と表現しました。アスペルガーの男性は「人間としてのはり。働かないと腐る」といいました。マルト勤務の男性は「コミュニケーションの場」といいました。
それぞれの言葉から、障がいを持っていても社会と何らかの形でかかわり、人らしく生きたいという思いを感じました。
現実にはまだまだ障がいに対する偏見があります。偏見をどう克服するかが問題です。会の進行の中で、「障がいも個性」という言葉がありました。この言葉が社会的に広く認知することができるならば偏見の克服お可能でしょうが、まだ遠い道のりなのかな。
しかし、はっきりしているのは、その人の特性を理解し、それに見合った仕事を用意するならば、障がい者もいきいきと働くことができるちう現実です。ただこの働き方は、金銭的利益の追及を至上のものととらえる経済社会からみれば、障害物となるでしょう。
職親会も20年。障がい者の雇用拡大をはかってきた20年間の取り組み。実はそれ以前から福祉施設や個々の企業では、障がい者の雇用の獲得と拡大に向けた困難な“たたかい”があったようです。
「私たちの声」の後、職親会関係者による座談会がありました。その困難なたたかいはこの中でふれられました。
具体的に語られたわけではありません。しかし、障がい者の雇用を支えるために、世間的理解が今ほどなかった時に、何事かあればいつなん時でもそれに対応して“24時間たたかった”。そんな歴史があったようです。頭が下がります。
職親会会長はこう発言しました。
「職親会の究極の目標は会の解散です。障がい者が健常者と同じように普通に暮らし、普通に就職できる社会になった時、職親会は役割を終えます。20周年を迎え、30周年までの10年間、そのようなビジョンを持って会の取り組みをすすめたい」(すみません。カギ括弧で引用のように書いていますが、言葉はそのとおりではありません。発言を聞いた印象で趣旨をまとめた言葉です。発言の趣旨は間違っていないと思います)
参加していた全国就業支援ネットワーク事務局長は、「そうなるのは難しく。何らかの偏見は残っていきます」と、取り組みの重要性と会の取り組みの継続・強化を呼びかけていました。職親会の取り組みが広がるということは、労働のあり方が変わるということにもなると思います。活動の発展を心から祈念しています。
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