伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

大きく揺れた夜

2022年03月17日 | 災害
 最初の地震は昨夜23時34分に発生した。
 カタカタカタ。小さく鳴り出した音が、ガタガタガタと大きな音に変化していった。布団に座して推移を見守っているうちに、揺れも減衰しだした。
 これで、すんで良かった。長い揺れではあったが、体感的には震度4程度の揺れに止まったので、一安心という感じだった。

 次ぎに心配になるのが震源地だ。
 どこ・・。
 SNSで震源を探っていたその時、再び揺れがやってきた。23時36分頃のことだ。
 ガタガタガタ。長い時間の揺れ、震動も先程より大きい。室内でゴトン、ゴトンと物が落下する音が続いた。
 震動がやむまで、本当に長かった。

 それでも、いわき市文化センターの3階会議室で体験した地震よりは、はるかに短い。
 あの時は、しがみついた長テーブルごと右に左に揺られているしかなかったほど大きく、いったん、途切れた揺れの後、再び揺れだすという、絶望感打ちのめすようだった。2011年3月11日の東日本大震災だ。あの時の揺れは、6分感ほど続いたと何かで読んだ記憶がある。

 震動が止み、避難のため降りる階段で、外れた非常口の案内標識がブラブラと揺れていた場面が、今でも脳裏をよぎる。
 あの時ほどではないにしろ、今回の揺れも長かった。考えて見れば、2つの地震に2分程のタイムラグがあったが、これが時を置かず連続して起こるならば3分から4分程度、揺れていたことになるかもしれない。そういう意味では、東日本大震災のミニ版だ。

 最初の地震の最大震度は4。







 次の大地震の最大震度は6強。







 この地震は、日本列島を広範囲に揺らした。



 画像にはないが、北九州市あたりをマーキングした画像も見ている。日本列島の大半を揺らした。この地震で、いわき市平辺りは震度5強だった。
 経験的な話だが、我が家の場合、宮城沖や福島県の北部沖の震源の場合、平辺りの震度より小さい傾向がある。震源からの距離の問題だけでなく、おそらく地域の土地が乗る岩盤の違いだと思う。ここらの地盤は、古代に、陸プレートと太平洋プレートの間に入り込んだフィリピン海プレートが由来と聴いた。この地盤が原因で、地震の揺れの伝播が弱まるのではないだろうか。同じ地盤を共有すると思われる茨城県沖が震源の場合は、震度が大きくなる傾向があるように思う。

 こうしたことから、我が家の震度は5程度だったのではないかと思う。その分、被害ははるかに小さい。不安定なひな人形のぼんぼりや飾り物、写真の額が倒れたり落下したりした程度だった。落下した犬の置物の足が折れているが、以前に接着剤で補修した箇所が再度折れたものだ。補修も、片付けも、すぐ済んだ。

 東日本大震災から11年が過ぎている。その傷跡は、いまだに残る。自宅の壁紙は破れたままだし、道路に面した塀は落ちたまま。またリビングの目の前の電柱は東側に傾いたままだ。土地が太平洋側に伸びた影響で、本来緩んで張られているはずの電線が伸びてしまい、張力に耐えられなくなった我が家の目の前の電柱が傾いた。昨年2月にも大規模な余震があった。



 東日本大震災で事故を起こした東京電力第一原子力発電所は、今度の地震で使用済み燃料プールの冷却が一時停止するなどの事故が起きていたようだ。11年経っても、溶け落ちた核燃料のデブリを取り出す目処も立っていない状況を、大規模な余震が襲う。なんか、かんべんして欲しい感じがある。

 豪雨も含め災害が立て続けに襲う。新型コロナもある意味、災害だ。現代社会の災害対応への難しさ、厳しさを感じる。
 この状況を乗り越えて、新しい時を刻めるようになりたいものだ。

 さて、今回の一連の余震での大きな地震は、今日の午前0時52分にも最大震度4の余震が発生した。





 その頃だろうか。ヘリコプターのエンジン音が響いた。深夜のヘリコプターの飛行はまずない。何だろうと気になって窓からのぞくと、南西方向から近づいてくるヘリコプターのライトが見えた。飛行する方向から考えると、原発への取材だろう。フライトレーダー24でその後の所在をみると、原発ではなく、福島市の方向に向かっていた。同じ頃、東北新幹線の福島と白石蔵王の間で、脱線した車両に乗っていた乗客のツイートがあった。とすると、脱線事故の取材に飛来したと考えた方が良さそうだ。実際、その付近を円を描きながら飛んでいる。動機の発信地からみると、以前、原発の謝罪で飛来した日テレのヘリコプターのようだ。



 同じくツイっターを見ていると、自衛隊機が出動したというつぶやきがあった。通常自衛隊機はフライトレコーダーに表示されないが、一応、起動してみた。すると、飛行する哨戒機「P-1」が表示されていた。

 沿岸部に沿って飛んでいる。記憶では、仙台空港で18cm程度の津波(潮位の変化?)を観測したというネット記事を読んだ。上空から波頭が立っているかを確認し、被害の防止に努めようというのだろう。同機は千葉県沖まで飛行し、帰還したようだ。

 災害発生にあたり、こうした人々をはじめ、行政関係者など様々な方々が被害の確認と住民の安全を守るために活動をした。夜遅くからの活動、たいへん、ご苦労様です。
 


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2 コメント

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23時34分の最初の揺れ (Unknown)
2022-03-20 12:29:30
気象庁では、2分前の揺れと23時36分の本震(と言っていいのだろうか)を、1つの地震として捉えているようですね。

https://www.jma.go.jp/jma/press/2203/17d/oshirase.pdf

気象庁のHPを覗くと、上記のお知らせで、2分前の地震について触れています。
それによると、マグニチュード6.1で、緯度経度を考えると2分後に起こる本震と2㎞程度しか離れていない地点で立て続けに地震が起こったことを示しています。
また、2分前の地震については、それ自身を1つの地震とした形での詳しい情報がHPに載っていません。

ということで、間を置かずに発生した1つの連続した地震として考えているようです。
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なるほど (伊藤浩之)
2022-03-20 18:05:25
なるほど、なるほどです。
メディアの伝え方の問題なのですね。

連続した地震と考えると、震災並の揺れ字管だったと考えて良いのでしょうかね。

メディアには伝え方を考えて欲しいですね。
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