▲我が家の庭に毎年咲くホタルノフクロ。この花を見ていると絵本の世界に入り込んで、妖精かなんかが飛んで来そうに思う。
月夜の散歩
先月の金冠日蝕も、先日の月食も私はあいにくの天候で、太陽や月の姿さえ見ることも出来なかった。恨めしい。日蝕の方は、一番太陽が隠れる時間に、熊本市内の曇り空がさらに暗くなり、日蝕の影響をちょっとだけ感じた。
確か平成21年の夏にも日本で部分日蝕が観測された。その時は、薄曇りの中、欠けた太陽の姿を見ることが出来た。木漏れ日の一つひとつの形が丸ではなくて、欠けた太陽と同じ形をしていることが楽しかった。けれど一番心を動かされたのは、その時の街並の風景。あきらかに日に照らされながらも薄暗く、今まで見たことが無い様子だった。サングラスやカメラのフィルターを通した風景に近いだろうか。感想を言えば、やや不気味。日蝕の仕組みを知っている我々でも畏れを感じる位だから、先祖や動物たちは突然の変化にさぞや驚いたことだろう。今回の日蝕を観測した人の感想の中にも、日蝕中の独特の風景のことを話している人がいた。
数回前のこのブログに、真っ暗闇のことを書いた。町中では気がつかないかもしれないが、真っ暗闇に関連して、今日は満月の夜の明るさのことを書きたい。
人工的な明かりの影響の少ないところで、満月の夜に、外を出歩いたことがありますか?
電燈の下の室内から外に出て目が慣れると、はっきりと景色がわかる明るさに驚きます。色さえ分かるように見えますが、これは昼間の色の記憶からかもしれません。
月夜の散歩で私が一番好きなのは、月明かりで自分の影法師ができること。そうやって月の影法師といっしょに、田舎の田や畑や林の中を歩いていると、自分が童話や絵本の中に彷徨い込んだかのような幻想的な心持ちがしてきます。
童話や絵本の作家達は、きっと月夜の散歩の楽しさを知っているに違いありません。確かに、電信柱が今にも行進しそうな雰囲気があります。
そう言えば、ちょっと怖い感じがした日蝕の時の薄暗い風景。この満月の日の月夜の散歩で見る風景に似ているかもしれません。日蝕の日に見逃した人は、満月の日に、人工の灯りの影響の少ない場所に行き、月の影法師と一緒に、月夜の散歩をしてみませんか。
(2012.6.6)
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