▲小さな子どもがクレヨンで描いた落書きみたいな雲
老化現象
人生最初に身体が衰えていることを感じたのは、26歳の時です。
幼なじみのガールフレンドと熊本城を散歩していて、高さが50センチほどの柵か石を飛び越えようとした時に、思いもよらず躓いてしまったのです。
気分的には軽々と飛び越えるはずでした。
もちろん、改めて跳び直したら十分な余裕をもって、簡単に飛び越えられる高さです。私が躓いたことに驚き、その出来事を今でも覚えているのはなぜか。それは、軽々と越えられると思ったのに、柵か石の高さの目測を誤ったのか、または「これ位の跳躍ならこれ位の力を出せば飛び越えられる」という脳が発した命令に対して思っていたより身体能力が衰えていたのか、というどちらかの能力の衰えを感じたからでした。
とにかく、こうやってピークを越えた能力は少しずつ老化して行くのだと感じた最初の出来事だったと思います。(うーん。単に運動不足が原因のような気もしますが。)
私の父は晩年、私が実家の仕事を一緒にするようになった平成になる前後の頃から、毎日のように何か探し物をしていました。
「銀行の印鑑が無い」、「バッグが無い」、「車のカギが無い」。
誰も触れないものだから、行方不明の原因は自分にあるのでした。
生きていれば今年90歳の父は、平成になってすぐの頃は66歳。今の私と丁度10歳違うだけです。この頃、私も行方不明のものを捜索することが多くなって来ました。父の反面教師で、車のカギを置く場所、印鑑を保管する引き出し、通帳の保管場所など、使ったら必ず元のところに戻すようにしています。
「後でしよう」
が、間違いの元。どんなに急いでいても、面倒でも、愚鈍なようですが、その時に身体を動かして、指定の場所に戻します。後で探す苦労を考えたら、その労力の方がまだましです。
それでも時々車のカギや携帯電話が一時行方不明になるこの頃ですが‥‥。やれやれ。
最近ひどいのは書類の記入です。
若い頃は渡された書類を見て、記入上の説明や注意を一読しただけで、スラスラと正確に記入出来たものでした。簡単な内容の書類の書き方の質問する人、記入を間違う人を正直心の中でバカにしておりました。ああ、そんな不遜な若い日の自分の罰が当たったのか、この頃、自分が記入した書類を見直すと、記入箇所の間違いや、記入する際に書き方がすぐに分からない場合が目立って増えて来ました。
情けない事に、簡単な銀行の入金・出金の伝票さえ、金額の桁を間違ったり、日付が違っていたり、印鑑がもれていたりするのです。自ら招いたミスで、誰にも文句や責任転嫁ができないだけに、やるせない。
頭の回路の通信速度及びその正確さが鈍ってきておるのはあきらかです。
身体能力や頭だけでなく、視力、聴力を始め、様々な機能の衰えを痛感する毎日。このブログを書く事も老化現象の歯止めの一つになっているようですが。とにかく、一つ一つの仕事を愚鈍でも遠回りでもゆっくりとしっかりと片付けて行くしかありませんね。
前回のブログに書いたような、歳をとらないと分からない、感じられない、いいこともいっぱいありますから‥‥。
一期一会。
この頃は日々この言葉を感じながら毎日を過ごしております。
▲唐津くんち。4日の午後の最後の町廻りが始まる前には、予報より早く雨が降って来て、漆塗りの山車が痛むので、大急ぎで終わってしまいました。
昨日4日は、佐賀県唐津市に日帰りで行き、唐津くんちを見に行きました。
久しぶりに家族4人そろって過ごしました。無礼講の席でご一緒した素敵な人との出会いもあり、元気のパワーをフル充電出来たような楽しい、美味しい1日でした。でも唐津っ子は、1年間楽しみにしていた祭りが終わってしまって、肩を落とし、ため息をつきながら歩いているんだろうなあ。
(2012.11.5)
老化現象
人生最初に身体が衰えていることを感じたのは、26歳の時です。
幼なじみのガールフレンドと熊本城を散歩していて、高さが50センチほどの柵か石を飛び越えようとした時に、思いもよらず躓いてしまったのです。
気分的には軽々と飛び越えるはずでした。
もちろん、改めて跳び直したら十分な余裕をもって、簡単に飛び越えられる高さです。私が躓いたことに驚き、その出来事を今でも覚えているのはなぜか。それは、軽々と越えられると思ったのに、柵か石の高さの目測を誤ったのか、または「これ位の跳躍ならこれ位の力を出せば飛び越えられる」という脳が発した命令に対して思っていたより身体能力が衰えていたのか、というどちらかの能力の衰えを感じたからでした。
とにかく、こうやってピークを越えた能力は少しずつ老化して行くのだと感じた最初の出来事だったと思います。(うーん。単に運動不足が原因のような気もしますが。)
私の父は晩年、私が実家の仕事を一緒にするようになった平成になる前後の頃から、毎日のように何か探し物をしていました。
「銀行の印鑑が無い」、「バッグが無い」、「車のカギが無い」。
誰も触れないものだから、行方不明の原因は自分にあるのでした。
生きていれば今年90歳の父は、平成になってすぐの頃は66歳。今の私と丁度10歳違うだけです。この頃、私も行方不明のものを捜索することが多くなって来ました。父の反面教師で、車のカギを置く場所、印鑑を保管する引き出し、通帳の保管場所など、使ったら必ず元のところに戻すようにしています。
「後でしよう」
が、間違いの元。どんなに急いでいても、面倒でも、愚鈍なようですが、その時に身体を動かして、指定の場所に戻します。後で探す苦労を考えたら、その労力の方がまだましです。
それでも時々車のカギや携帯電話が一時行方不明になるこの頃ですが‥‥。やれやれ。
最近ひどいのは書類の記入です。
若い頃は渡された書類を見て、記入上の説明や注意を一読しただけで、スラスラと正確に記入出来たものでした。簡単な内容の書類の書き方の質問する人、記入を間違う人を正直心の中でバカにしておりました。ああ、そんな不遜な若い日の自分の罰が当たったのか、この頃、自分が記入した書類を見直すと、記入箇所の間違いや、記入する際に書き方がすぐに分からない場合が目立って増えて来ました。
情けない事に、簡単な銀行の入金・出金の伝票さえ、金額の桁を間違ったり、日付が違っていたり、印鑑がもれていたりするのです。自ら招いたミスで、誰にも文句や責任転嫁ができないだけに、やるせない。
頭の回路の通信速度及びその正確さが鈍ってきておるのはあきらかです。
身体能力や頭だけでなく、視力、聴力を始め、様々な機能の衰えを痛感する毎日。このブログを書く事も老化現象の歯止めの一つになっているようですが。とにかく、一つ一つの仕事を愚鈍でも遠回りでもゆっくりとしっかりと片付けて行くしかありませんね。
前回のブログに書いたような、歳をとらないと分からない、感じられない、いいこともいっぱいありますから‥‥。
一期一会。
この頃は日々この言葉を感じながら毎日を過ごしております。
▲唐津くんち。4日の午後の最後の町廻りが始まる前には、予報より早く雨が降って来て、漆塗りの山車が痛むので、大急ぎで終わってしまいました。
昨日4日は、佐賀県唐津市に日帰りで行き、唐津くんちを見に行きました。
久しぶりに家族4人そろって過ごしました。無礼講の席でご一緒した素敵な人との出会いもあり、元気のパワーをフル充電出来たような楽しい、美味しい1日でした。でも唐津っ子は、1年間楽しみにしていた祭りが終わってしまって、肩を落とし、ため息をつきながら歩いているんだろうなあ。
(2012.11.5)
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