自転車の片手運転は危ない
最近特に自転車のマナーが悪く、車を運転していて「危ないなあ」という場面や「親の顔を見て見たい」と思う場面によく遭遇する。
狭い道路で右側通行をする。建物の影となっている路地からいきなり飛び出す。道幅いっぱいに横に広がってつるんで走る。女子中学生5、6人が、道路の角で自転車に股がったまま停まっておしゃべり。曲がれないで待っている車(私)を見ていながらもすぐに退こうとしない。自転車は押して通らなければいけない歩行者専用の道路を自転車に乗ったまま走っている。
もうマナーが悪いという段階は越えて、あきらかな道路交通法の違反行為であることも多い。無灯火。信号無視。一旦停止違反。心臓または血圧に悪い思いをした私は、自転車も罰金を徴収する方法がないものかと思ってしまう。
中でも毎日のように見かけるのが、携帯電話をしながらの片手運転。
狭い道で携帯電話の画面を見ながらの片手運転のフラフラと走る自転車は怖くてなかなか追い越せない。後ろから来た車が追い越せないでノロノロ付いて来ていることに気がつかない。もしくは車に気がついても、避ける必要は無いと思っているのだろうか。しばらくは我慢して避けてくれるのを待つが、最後にはクラクションを小さめに鳴らすことになる。
私が中学生か高校生だったか。我が家に九官鳥が迷い込んで来たことがある。
私は帰宅してから空いていた鳥かごに入れられた九官鳥を見て、やや興奮した。鳩やジュウシマツ、カナリヤは飼ったことがあったが、九官鳥は飼育したことがなく、実はオウムか九官鳥を一度飼ってみたかったのだ。
閉店前の近所の小鳥屋に自転車で駆けつけた。その頃、昭和40年代の後半までは、小鳥や鳥のエサ、鳥かごをはじめとする飼育道具一式を商う専門の小売店が近所にまだ残っていた。
九官鳥のエサを求め、店のおじさんに世話の方法を簡単に習った。
私は一時でも早くお腹をすかせている九官鳥にエサを食べさせたかったし、あこがれの九官鳥をじっくりと観察したいと思っていた。片手でエサの入った袋を持ち、夕暮れ迫る中、胸を躍らせながら力一杯ペダルをこいで家へと急いだ。
皆さん。昭和40年代後半と言えば、私が住んでいた一地方都市である熊本市では、まだまだ都市基盤が整備されておらず、幹道以外の道は土ぼこりの舞うでこぼこ道か、すぐに穴が空く簡易舗装の道が多かったし、下水道もほとんど未整備だった。狭い道には側溝でなく地面を掘っただけの小さな溝があり、やや広い道には結構幅のひろい小川が道路に沿って流れていることが多かった。少し前までは、きれいな水が流れ水草の中にメダカやフナの群れが見え隠れしていたこのような小川も、下水代わりとなって、急速にドブ川化しつつあった。
九官鳥が迷い込んだ喜びで、気もそぞろな片手運転。でこぼこ道。横を流れるドブ川。
だんだん話が見えてきましたね。
薄暗いでこぼこ道を片手運転で家へと急ぐ私の自転車は、道路左の住宅から右側のドブ川へと道を横切る排水用の、道路に半分むき出しになった陶器の土管に当たり、その当たった角度やスピードの具合で、ポンと跳ね上がった。
その瞬間の衝撃で、片手でハンドルを握っていた私の右手もハンドルから離れ、ほとんどバンザイ状態になってしまった。
しかも右のドブ川の方向に跳ね上がっている。川に落ちた自転車を飛び越えながら、オリンピックの体操選手のように、なんとかドブ川の対岸の草むらに着地できるのではないかと私は期待した。
しかし、あと数十センチ勢いが足りず、私は臭いドブ川に両足からボチャンと着地してしまった。
ケガ一つしなかったのは幸いだが、強烈な匂いと汚いドブに落ちたショックはしばらく忘れられなかった。
以来、私は自転車の片手運転は絶対にしない。
同時に自転車の片手運転を見ると、余計にハラハラしてしまい、いちいち声をかけたくなってしまう。「道が良くなったとは言え、何の障害物があるか分からない、いつ不測の事態が起きるとも限らないのだよ」と。
九官鳥は数日後に探していた近所の飼い主に引き取られた。
(2012.11.13)
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