日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

「美」とは何だろうと考えてみる   中矢伸一氏

2011-02-23 07:37:47 | 日月神示の実践
 <日本弥栄の会より記事転載>
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「美」とは何だろうと考えてみる


「欧米の“力の文明”はもはや行き詰っている。日本は“美の文明”の発信地となれ」──という説を提唱していたのは、いまや静岡県知事となられた川勝平太さんですが、私もこの説に賛同するところ大です。
日本人が持つ自然に対する感性、細やかな他人への気遣い、綺麗好きで和を好むところなどは、「美」という言葉に集約されるものであり、それこそがこれからの新しき地球文明(文明という呼称がふさわしいかどうかわかりませんが)に求められる、基礎となる価値観だと思います。

大石憲旺先生も、この「美」という点を強調しています。
ただし、大石先生の言う美とは、また世間とは定義が違って、「宇宙の進化に貢献すること」こそが美だという考えです。
宇宙は日々進化している。その進化の動きのベクトルに合った想いや言葉、あるいは行動、そうしたものを持つ人は「美しい人」だということになるというのです。
この説にも、なるほどと思いました。

「美」こそがこれからの重要なキーワードのようです。

とはいえ、日本は「美の文明」だと言いますが、電車で都内に出たりすると、日本人とて全然ダメだなあと思わせる場面に出くわすことが多いですね。
自分のことしか考えておらず、マナーも悪い。
とくに年配者にそういう人が多いのが、本当に残念です。

ウチの事務所にもそういう電話がかかってくることが少なくありません。
名前も名乗らずにいきなり無遠慮に質問してくる。自分で考えて決めれば済む相談を延々にする。電話注文は受けられないとか、会員でないと購入できないと伝えると逆ギレする。ほとんどが中高年です。
日月神示を読んでいるとは思えない“我れ善し”ぶりには唖然とさせられます。

富士山が世界遺産の選考に落ちた一番の理由は、何だかご存じでしょうか。
それは、富士山にあふれる「ゴミ」だそうです。ロッキー田中さんから聞きました。恥ずかしいことですね。

富士山は、言うまでもなく日本が誇る霊峰であり、ここに宇宙からのエネルギーが注がれていたはずなのですが、大石先生いわく、今はまったくダメなのだそうです。
理由は、人間が沢山行き過ぎて、富士山を汚してしまったからです。
富士山に降りるはずのエネルギーは、現在、富士山近くの「ある山」に移っているそうです。
その山の宇宙エネルギーを受けるために、近々、大石先生と行ってまいります。
その模様は『たまゆら』でご報告するつもりですが、同様のことは、日本各地の神社でも起きているようです。
参拝に行くのはいいのですが、皆、自分本位の願い事をし過ぎて、神社が霊的に“沈んで”しまっているそうなのです。なかには何十メートルも深いところまで落ち込んでしまっている神社もあると言います。
これを復活するためには、自分本位ではない“正しい祈り方”のできる人が神社に足を運び、「ひふみ祝詞」で甦らせることしかないのではないか、と思っています。

 <転載終わり>
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 日月神示に出会う前は、神社に参拝するときには、自分のことばかり神様にお願いしていました。「家族が健康でありますように」とか、「子供が志望校に受かりますように」、「宝くじが当たりますように」とか、自分のことだけをお願いしていました。神社での参拝とは、そういうもんだと思ってましたし、ほとんどの人も同じだと思います。

 ところが、大石先生はそういう自分本位の願いばかりを神様にお願いしているため、神社自体が深く沈んでしまっていると言われます。

 ご存知の通り、日月神示では「悪」は否定されていません。「必要悪」という位置づけのように思います。悪もお役としては、必要だと書かれています。ところが、「我善し」は否定されています。「我(が)」も必要だとありますが、「我善し」が必要とは書かれていません。

 社会でも、自己チューは相手にされませんし、迷惑千万です。中矢代表が言われる通り、最近は中高年の自己チューが多いようです。以前新聞に載ってましたが、電車でのケンカのトラブルを一番起こす年代は50代とありました。私は20代かなと予想していましたので、意外でした。
 ただ、実際に電車でのケンカに何度か遭遇したことがありますが、半分以上が50代から70代でした。いい大人が真剣に相手を罵倒している姿は、異様です。確かに罵倒される女性のほうに非が多いのかも知れませんが。しかもしつこい。

 こういう場面に出くわしたということは、自分にもその要素があるということかも知れません。いつ自分が当事者になるかも知れません。自分はそんなくだらないことはしない、と思っていても、不意に理不尽な扱いを受けたら、誰でも反撃する可能性はあります。普通は、「まあ仕方が無い」といって諦めるのですが。

 こういう場面は、「美」とは遠い世界です。神様と共に創造することを「美」と大石先生は言われています。
 昨日、佐々木了雲先生とひふみ赤城農園に行きましたが、土壌がとても良い状態であるとご評価いただきました。しかも土が団粒構造になっていてとても良い状態だと言われました。水はけもいいので、これなら「テラ自然農法」が可能と太鼓判をいただきました。
ウチの白菜は今でも元気に瑞々しく育っています。本来はもう時期は終わってますが、不思議なことにとても元気です。その白菜を見て、これも「美」だと思いました。周りは緑色で色つやもいいです。中は黄色く柔らかです。
 自宅に戻ったら、夕飯は畑で採れた白菜と大根を使った湯豆腐でした(笑)。緑の葉っぱは普通は固くてあまり風味はないのですが、ひふみ野菜は周りの葉っぱも柔らかく、甘い味がします。不思議ですが。

 野菜を見ていると、自然の「美」を感じます。ひふみ農園の野菜たちは、当然ながら無農薬、無化学肥料です。一部は有機肥料もやらない無肥料栽培もしています。2年前に無肥料で栽培したときには、ほとんど実を付けずに失敗したのですが、今回はひふみ農法でやったため、かなりの収量でしたし、味がとにかくいいです。自然の甘さが何とも言えません。無農薬・無化学肥料栽培ですから、野菜の自然な「美」が現れているように思います。

 農薬を使用した野菜は、日本では99.9%となります。たとえ農薬を使ったとしても、野菜には「美」があると思います。ただ、できることなら農薬も化学肥料も与えない野菜が望ましいと思います。そのほうが、自然の「美」ではないでしょうか。

 昨日は、男爵いもを植え付けしました。今週の土曜も、オーナーさんが来られて男爵いもやきたあかりを植えます。また、トマトやきゅうりの温床での苗作りも始めようと思います。ひふみ農法はあまり手間もかからずに、美味しい無農薬・無化学肥料野菜が収穫できますので、不思議な農法です。昨日も赤城は良い天気で、温かく、佐々木先生は車の窓を開けていました。
 いよいよ春到来です!プランターでもいいので、野菜を無農薬・無化学肥料で育ててみれば、その霊妙さのカケラを感じることができると思います。





 ●日本弥栄の会
  http://www.nihoniyasaka.com/
コメント (1)
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