<重たい気持ちで書く掲示板より記事転載>
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「エジプトで、昨日(2月12日)に軍事クーデターが起きたようである。」 副島隆彦
副島隆彦です。 今日は、 2011年2月13日(日)です。
エジプトで、軍事クーデターが起きたようである。
軍最高評議会(ぐんさいこうひょうりかい)を名乗る 軍人の組織が、エジプトの 最高権力を握りしめた。代表は、タンタウィ国防相 である。
ムバラクは、エジプト東部の保養地(宮殿)に、逃げ込んで立て籠もっている。ムバラクは2月11日(金)に、辞任して スレイマン が、大統領に就任したはずだった。 ところが、このスレイマンの肩書きが、一気になくなっている。 スレイマンは軍に 拘束されていないし、まだ表面に立つと思う。しかしすでに一挙(いっきょ)に権力を軍人たちに奪われたようだ。
11日夜には、金曜礼拝のあと、数百万人のエジプト人が、大通りに出て、ムバラク退陣( demise デマイズ、退位、権力移譲)を 歓喜して湧(わ)きに湧(わ)いた。 ところが、そのすぐ 直後に、クーデターが起きて、軍最高評議会を名乗る 軍人たちが全権を掌握(しょうあく) した。
2月にはいってから ムバラクに 任命されていた シャフィクという男が、首相になって、内閣を組織して、表面上だけ議会制度とデモクラシー(民主政治)のふりをするだろうが、この男にも権力はない。
この軍事クーデター政権は、12日夜には、テレビで声明を出して、「外国との諸条約は守る。イスラエルとの平和条約(これでシナイ半島がエジプトに返還された) を守る」 と、宣言している。 と言うことは、今回の エジプトの 国民革命、国民の民主化(デモクラタイゼーション)を要求する 民衆革命は、ひとまず、巧妙に圧殺された、ということである。 これは、静かな宮廷(きゅうてい)革命の形をとった。
背後にイスラエルの動きがある。かなり深く、エジプトの官僚組織や国軍の中にまでイスラエルの組織が潜(もぐ)り込んでいることを示している。
アメリカのC今のIAの長官のレオン・パネッタは、ビル・クリントンのお友達だった男であり、CIAの本部は機能不全を起こしているからオバマたちは、今のエジプトの民衆革命の動きを判断できないままだ。アメリカに見捨てられたと思った、ムバラクたち(彼の側近の勢力。まだ残存している。治安警察の部隊が中心)は、アメリカに裏切られたと思って、疑心暗鬼で、反米(アンチ・アメリカ)に転じている。
このあと、何が起こるか。エジプト民衆の 500万人は 街頭の民衆デモに出ることをやめた。タハリール(自由解放)広場にいる 2万人ぐらいの 若者と 民衆活動家だけが残された。
私、副島隆彦の判断と、近(きん)未来予測では、この若者たち の中から、さらに500人の犠牲者が出なければ、民衆は再び 広場に戻ってこない。 エジプト人は、皆、自分が逮捕され、投獄されることを恐れている。 それでも、若者たちは、クーデターで権力を掌握した軍の 実質、「戒厳令(マーシャル・ラー)」の 戦車隊 と ぶつかるしかない。
軍隊と 若者たちが、ぶつかって、死者を出さなければ、エジプト民衆革命は、勝利しない。 エルバラダイのような アメリカ暮らしの長い、リベラル派の知識人たちは、若者たちと連帯して、エジプトの民主国民革命の成功のために、殉教(じゅんきょう)するだろう。
やはり、エジプトの最大の国民勢力は、最大野党で、非合法化されている (表に出て来れないままの)ムスリム同胞団(ムスリム・ブラザーズ)である。 彼らの組織された部隊が、若者たちが、ムバラク派の治安警察の残党部隊との、投石、ナイフでの乱闘戦に、現れて、若者たちを救援していた。そして、さっと姿を消していた。 ムスリム同胞団の 幹部たちは、たくさん刑務所に入れられたままだ。 彼らは、1928年の結党以来の、厳しく長い歴史を持っている。 簡単なことでは、負けない。
ムスリム同胞団は、いわゆる イスラム原理主義(ファンダメンタリズム)の政治団体である。私、副島隆彦は、欧米世界が、悪罵と中傷のコトバとして使い始めた イスラム原理主義と言う用語が嫌いであり、本当の 優れた アラブ・イスラム世界の 政治思想の存在を知っていてるが、それを、ここで、仕方なく世界中で使われる一般用語の イスラム原理主義としておく。
それに対して、ナセルらは、シリアや イラクに出来た軍事政権と同じ、「バース党」 という、 アラブの社会主義者の政党なのである。若い頃のサダム・フセインも、カイロ(エジプト)のバース党に研修を受けに言っている。カシムというイラクの立派な指導者が、打ち倒されたあと、サダム・フセインは、自分が権力を握ると、次第に、アメリカの言うことを聞くようになってイラク国民を裏切り、そして「アラブの大義(cause 、コーズ)」を捨てた。 ところが、やっぱり、いくら、戦車やミサイルをアメリカから軍事援助されても、アメリカと対立するようになり、そして、終(つい)に、2003年からイラク戦争を起こされて、最後は、軍事裁判(トリービュナル) に掛けられて絞首刑にされた。アメリカ帝国は、自分たちを裏切って、反抗を始めた民族主導者に報復するために、公然の見せしめで、処刑する。
イスラム原理主義の運動が、エジプトから、さらに、サウジアラビアに 転移し、広がり、サウジで民衆デモが、起きることが、このあとの数年以内の 中東世界の 一番大きな変化である。 今のイランのシーア派の 宗教的な 反米政権(アプマデネッジャド大統領とそれを動かすハメネイ師=アヤトラ=)は、余裕をもって今のエジプトの事態を見守っている。
「チュニジア、エジプトからサウジへ、イスラム革命の火が燃え広がること」 これが、アメリカのグローバリスト(地球支配主義者)たちと、イスラエルにとっての悪夢であり、最大にイヤなことである。
このようにして、エジプト民衆の革命は、今、突如起きた ”2月12日軍事クーデター”によって、圧殺されようとしている。 このあと、ムスリム同胞団が、どのような 戦術、戦略に出るかにかかっている。
それでも、すでに死ぬことまで覚悟した、最も先鋭な若者たちは、立ち止まらないだろう。
思い起こせば、 エジプト民衆の英雄、 ナセルの ”ナセル革命”も 歴史の審判にかければ、無残で惨めな、裏切られた革命だった。 ナセルら、エジプトの 「自由将校団」 という 青年将校たちが、1952年7月23日に、軍事クーデターを起こして権力を掌握した。(しかし、表面の大統領は、アブド・ナンナースイルという人物。この人物が失脚したあとナセル) そして、ナセルらは、スエズ運河の国有化を宣言して、「外国勢力を一掃する」 として、国民の圧倒的な支持を得た。これに怒った イギリスとフランス政府は、共同で、落下傘部隊(パラトゥルーパー)を投下して、スエズ運河を管理した。
しかし、「ソビエトが、エジプト・シリア を支援する」という、事態が起きて、これを、調停する形で、アメリカ が 顔を出した。 そして、英仏の部隊は、1954年10月から、みじめな撤退を始めた。
すべては、アメリカ(ロックフェラー石油財閥)が、仕組んだ劇だった。 英仏のスエズ運河の通行権と中東(ミドルイースト、特にサウジ)の 石油権益を、これで、欧州ロスチャイルド家から、奪い取ったのである。 世界政治の表面の、その裏側で、本当の世界政治(金融と資源の奪い合い)が、起きていた。だから、英雄であるはずの ナセルは、よく泣いていた。「自分には本当の権力はないのだ(自分は、アメリカのあやつり人形 puppet だ 」と。
全く同じことは、イラン(ペルシャ)でも起きていた。1953年の8月3日に、 イランの民衆革命の中から生まれた、立派な人物のモサデク博士(首相)の政権は、軍事クーデターで一気に崩壊した。そして、アメリカが操(あやつ)る パーレビが国王(シャー)として帰国した (モハンマド・レザー・シャー・パーレビである)。
”モサデク革命” を 流産させられたイラン人は、もう二度とアメリカには騙(だま)されないと、学んだ。 この1953年のモサデク博士のイラン民族主義の国民革命も、ただちに 「 石油を国有化する宣言」 を出したことで打ち倒されたのである。 石油(油田)の国有化(ナショナライゼーション)とは、石油の利権を外国の勢力から自国民の財産として取り戻すことだ。 条約や、外国の企業との契約を破棄する通告をすることだ。 それが 革命だ。
だから今度の エジプトの軍最高評議会(軍事クーデター政権)は、だから、ただちに、「(これは革命ではないので)諸外国との 条約、とりわけ、イスラエルとの平和条約をこのまま守る」と宣言したのだ。
イランで モサデク首相と争ったのは、イギリスのロスチャイルド財閥が支配する「アングロ・イラニアン石油会社」(これが、今の、BP ビー・ピー、ブリティッシュ・ペトロリアムである。去年、2010年にアメリカ沿岸=メキシコ湾での海底油田の掘削を、エクソンモービルと 米海軍に、わざと工事爆破事故を起こされて阻止されて大損した ) であった。
アングロ・イラニアンは、石油の国有化宣言でイランで大打撃を受けて撤退した。 そして、そのあと、モサデクを追放するアメリカが背後から計画したとおりの、軍事クーデターを起こさせて、パーレビ国王 をあやつって、それで、ロックフェラー系の石油会社 (世界No2 の テキサコ=ソーカル=カルテックス=今のシェブロンン )が、代わりに入り込んだ。
だから、エジプトでも、ナセルのあとを継いだ、サダトが、軍人上がりで、対イスラエル戦争での英雄だ、とうことで、大統領になり、彼が、アメリカの言うことを聞かなくなったら、「過激派(原理主義者)の兵士による暗殺( 軍の閲兵式の際に、ひとりの兵士が、機関銃をもって、貴賓席に走り寄り、乱射して、サダトらを、まとめて暗殺した。これもよく出来た、公然の暗殺劇だ) 」を作った。そして、今の ムバラクに取り替えた。 これが、アラブ中東世界の、 アメリカのよる 支配 の 真実だ。
私たち、日本国民も、眦I(まなじり)を決して、「もう、だまされない」と深く、決意しなければならないのである。私たちには、今、きわめて優れた 指導者 と 彼が育てて、彼を守る、200人の若い国会議員たちがいる。今の日本で、国民のために、 ”検察・裁判所(による)ファッシズム” からの攻撃に、よく耐えて、一番、厳しいところを闘っているのは、政治家(国会議員)たち だ。 私たち 国民も彼らを守るために、彼らの後に続いて、闘いを始めなければならない。
今回、エジプトで、巧妙な 軍事クーデター(2011年2月12日)が起きたが、それでも、エジプト民衆の 反撃は、これから、起きる。 このような情報は、世界の既成メディアからは、すぐには、発信されないだろう。ヨーロッパのしっかりしているジャーナリストたちでも、あんまり、それほどは頭が切れないから、まだ、今の急激な、事態に勘(かん)付いていないだろう。
アメリカの支配層(グリーバリスト)が握る世界の体制派のメディア(テレビ、新聞)は、エジプト民衆の闘いの様子を、あまり報道したがらない。日本も、その、アメリカに支配・管理・洗脳されたメディアの優等生の国である。 私たちは、世界情勢の最先端での、優れた情報を入手しながら、同時に、自分の頭でも考えなければならない。
一昨日、ひとりの老婆が、ポツンと言ったコトバに、私は胸を打たれた。
「 日本も こんな国民イジメのヒドイ政治をやっていたら、今に、エジプトと同じ民衆暴動 が起きるよ。 小沢(一郎)さんは、あんなに、小鳥をやさしく飼って、いい人だよ。小沢さんは、嵌(は)められていのよ」 日本も 確実に、揺れ動く 世界の一部なのである。
副島隆彦拝
<転載終わり>
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一昨日の読売新聞の一面に「ムバラク辞任」とあったので、ようやくエジプトの民主化革命は成功したのか、と思っていましたが、どうやらすぐその後に、軍事クーデターがあったと副島氏は言われています。
エジプト国民はムバラクを倒して、民主化したのですが、すぐに軍隊により水面下でのクーデターが起こされたとのことです。エジプト軍の背後にはイスラエルがいるとのことですが、確かに軍隊はイスラエルとの平和条約は守ると声明を出しました。これはテレビでも報道されています。
エジプト国民が民主化に成功したのは、たった一日ということになります。これでは、昨日の大河ドラマ「江」でやってた明智光秀の三日天下より短いです。
エジプトのように長い間アメリカに支配されている国というものは、国民にも気付かれずに、水面下でクーデターが起こされるようです。
これは昨年日本で起きた菅内閣発足というクーデターと同じ構図です。日本国民が何も知らないうちに、アメリカの背後からの力で、菅内閣が生まれたと考えることもできるかと思います。
それが証拠に、菅内閣は自民党以上にアメリカ寄りの政策をとり続けています。それだけは、どの国民にも分かってしまっています。支持率も20%を切っているので、そろそろ終わりです。
菅総理の後には、アメリカとしては前原氏を後任にしたいと考えているようです。もし菅の後に、前原氏が総理になれば、この日本という国の独立は戦後66年経った今も、実現されていないということになります。日本はエジプト以下のアメリカの属国ということになります。
日本はアメリカの属国ではありますが、アメリカは表面上は日本を民主主義国家ということにしてるので、日本国民はアメリカに対して悪い感情は持っていません。
確かに終戦後アメリカに占領されたから、まだこれくらいでよかったとも言えます。もし中国に占領されたと仮定すれば、知識人や資本家といわれる人は全て粛清されたでしょう。中国革命の時には、毛沢東により3000万人とも6000万人ともいわれる知識人や資本家が粛清された歴史上の事実があります。自国民を3000万人も殺す指導者というのは、世界史上中国とロシアにしかいません。ロシア革命の時には、スターリンも3000万人のロシア人を殺しています。
共産主義という思想が残虐なのか、中国人やロシア人が民族として残虐なのかは解りません。両方かも知れません。
それに比べればアメリカは民主主義原理主義の国家ですから、まだマシです。欧米というのは表向きは民主主義で良く見せてますので、大量虐殺というのは、民主主義に反する何か大義名分が無いと、戦争を起こせません。
真珠湾攻撃の時は、日本は事前に通告していたにもかかわらず、それを謀略で遮断されてしまい、卑怯者というレッテルを貼られ、正々堂々とアメリカは参戦してきました。
フセインは大量破壊兵器を隠しているだろう、とアメリカにインネンを付けられて、国民は大量殺戮されました。
中国やロシアのように民主主義を標榜していない国は、何も気にせず平気で戦争を仕掛けることができます。チベットやウイグルがいい例です。欧米は民主主義を掲げていますので、戦争がしたくても大義名分が無いとできません。本質はどっちもどっちですね。
日本はアメリカに裏から支配されているので、ウワベだけは民主主義ですから、中国やロシアよりはマシだと思います。下には下があります。
大国と言われている国は、概ね極悪な国です。ブータンのような国は偏狭の小国です。どちらが幸せかは誰でも解ると思います。日本はこれからどちらに行くのでしょう。
チュニジアからはじまった民主革命は、エジプトやアルジェリアにも広がっています。日本でもデモがおき始めています。日本の場合は、暴動にはなりませんが、他国はどんどんエスカレートします。
2011年は年初から荒れてますね。一昨日高島ヤスさんからウェブボット預言書18の概要を教えていただきました。いよいよ来ましたね。これからは私もより自立し、日々過ごしていきたいと思います。こんなに面白いチャンスは26000年に1回しかないのですから、今後はとても厳しいことがあるかと思いますが、最高に幸せですね(笑)。リストラや倒産、病気、怪我、離婚など、いろいろあると思いますが、(私はそのうち4つは経験しました)ピンチはチャンスだということは、自分の経験で解っています。勇気を持ってやればきっと結果は出てきます。大丈夫です。(自分にも言ってます)
●重たい気持ちで書く掲示板
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
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「エジプトで、昨日(2月12日)に軍事クーデターが起きたようである。」 副島隆彦
副島隆彦です。 今日は、 2011年2月13日(日)です。
エジプトで、軍事クーデターが起きたようである。
軍最高評議会(ぐんさいこうひょうりかい)を名乗る 軍人の組織が、エジプトの 最高権力を握りしめた。代表は、タンタウィ国防相 である。
ムバラクは、エジプト東部の保養地(宮殿)に、逃げ込んで立て籠もっている。ムバラクは2月11日(金)に、辞任して スレイマン が、大統領に就任したはずだった。 ところが、このスレイマンの肩書きが、一気になくなっている。 スレイマンは軍に 拘束されていないし、まだ表面に立つと思う。しかしすでに一挙(いっきょ)に権力を軍人たちに奪われたようだ。
11日夜には、金曜礼拝のあと、数百万人のエジプト人が、大通りに出て、ムバラク退陣( demise デマイズ、退位、権力移譲)を 歓喜して湧(わ)きに湧(わ)いた。 ところが、そのすぐ 直後に、クーデターが起きて、軍最高評議会を名乗る 軍人たちが全権を掌握(しょうあく) した。
2月にはいってから ムバラクに 任命されていた シャフィクという男が、首相になって、内閣を組織して、表面上だけ議会制度とデモクラシー(民主政治)のふりをするだろうが、この男にも権力はない。
この軍事クーデター政権は、12日夜には、テレビで声明を出して、「外国との諸条約は守る。イスラエルとの平和条約(これでシナイ半島がエジプトに返還された) を守る」 と、宣言している。 と言うことは、今回の エジプトの 国民革命、国民の民主化(デモクラタイゼーション)を要求する 民衆革命は、ひとまず、巧妙に圧殺された、ということである。 これは、静かな宮廷(きゅうてい)革命の形をとった。
背後にイスラエルの動きがある。かなり深く、エジプトの官僚組織や国軍の中にまでイスラエルの組織が潜(もぐ)り込んでいることを示している。
アメリカのC今のIAの長官のレオン・パネッタは、ビル・クリントンのお友達だった男であり、CIAの本部は機能不全を起こしているからオバマたちは、今のエジプトの民衆革命の動きを判断できないままだ。アメリカに見捨てられたと思った、ムバラクたち(彼の側近の勢力。まだ残存している。治安警察の部隊が中心)は、アメリカに裏切られたと思って、疑心暗鬼で、反米(アンチ・アメリカ)に転じている。
このあと、何が起こるか。エジプト民衆の 500万人は 街頭の民衆デモに出ることをやめた。タハリール(自由解放)広場にいる 2万人ぐらいの 若者と 民衆活動家だけが残された。
私、副島隆彦の判断と、近(きん)未来予測では、この若者たち の中から、さらに500人の犠牲者が出なければ、民衆は再び 広場に戻ってこない。 エジプト人は、皆、自分が逮捕され、投獄されることを恐れている。 それでも、若者たちは、クーデターで権力を掌握した軍の 実質、「戒厳令(マーシャル・ラー)」の 戦車隊 と ぶつかるしかない。
軍隊と 若者たちが、ぶつかって、死者を出さなければ、エジプト民衆革命は、勝利しない。 エルバラダイのような アメリカ暮らしの長い、リベラル派の知識人たちは、若者たちと連帯して、エジプトの民主国民革命の成功のために、殉教(じゅんきょう)するだろう。
やはり、エジプトの最大の国民勢力は、最大野党で、非合法化されている (表に出て来れないままの)ムスリム同胞団(ムスリム・ブラザーズ)である。 彼らの組織された部隊が、若者たちが、ムバラク派の治安警察の残党部隊との、投石、ナイフでの乱闘戦に、現れて、若者たちを救援していた。そして、さっと姿を消していた。 ムスリム同胞団の 幹部たちは、たくさん刑務所に入れられたままだ。 彼らは、1928年の結党以来の、厳しく長い歴史を持っている。 簡単なことでは、負けない。
ムスリム同胞団は、いわゆる イスラム原理主義(ファンダメンタリズム)の政治団体である。私、副島隆彦は、欧米世界が、悪罵と中傷のコトバとして使い始めた イスラム原理主義と言う用語が嫌いであり、本当の 優れた アラブ・イスラム世界の 政治思想の存在を知っていてるが、それを、ここで、仕方なく世界中で使われる一般用語の イスラム原理主義としておく。
それに対して、ナセルらは、シリアや イラクに出来た軍事政権と同じ、「バース党」 という、 アラブの社会主義者の政党なのである。若い頃のサダム・フセインも、カイロ(エジプト)のバース党に研修を受けに言っている。カシムというイラクの立派な指導者が、打ち倒されたあと、サダム・フセインは、自分が権力を握ると、次第に、アメリカの言うことを聞くようになってイラク国民を裏切り、そして「アラブの大義(cause 、コーズ)」を捨てた。 ところが、やっぱり、いくら、戦車やミサイルをアメリカから軍事援助されても、アメリカと対立するようになり、そして、終(つい)に、2003年からイラク戦争を起こされて、最後は、軍事裁判(トリービュナル) に掛けられて絞首刑にされた。アメリカ帝国は、自分たちを裏切って、反抗を始めた民族主導者に報復するために、公然の見せしめで、処刑する。
イスラム原理主義の運動が、エジプトから、さらに、サウジアラビアに 転移し、広がり、サウジで民衆デモが、起きることが、このあとの数年以内の 中東世界の 一番大きな変化である。 今のイランのシーア派の 宗教的な 反米政権(アプマデネッジャド大統領とそれを動かすハメネイ師=アヤトラ=)は、余裕をもって今のエジプトの事態を見守っている。
「チュニジア、エジプトからサウジへ、イスラム革命の火が燃え広がること」 これが、アメリカのグローバリスト(地球支配主義者)たちと、イスラエルにとっての悪夢であり、最大にイヤなことである。
このようにして、エジプト民衆の革命は、今、突如起きた ”2月12日軍事クーデター”によって、圧殺されようとしている。 このあと、ムスリム同胞団が、どのような 戦術、戦略に出るかにかかっている。
それでも、すでに死ぬことまで覚悟した、最も先鋭な若者たちは、立ち止まらないだろう。
思い起こせば、 エジプト民衆の英雄、 ナセルの ”ナセル革命”も 歴史の審判にかければ、無残で惨めな、裏切られた革命だった。 ナセルら、エジプトの 「自由将校団」 という 青年将校たちが、1952年7月23日に、軍事クーデターを起こして権力を掌握した。(しかし、表面の大統領は、アブド・ナンナースイルという人物。この人物が失脚したあとナセル) そして、ナセルらは、スエズ運河の国有化を宣言して、「外国勢力を一掃する」 として、国民の圧倒的な支持を得た。これに怒った イギリスとフランス政府は、共同で、落下傘部隊(パラトゥルーパー)を投下して、スエズ運河を管理した。
しかし、「ソビエトが、エジプト・シリア を支援する」という、事態が起きて、これを、調停する形で、アメリカ が 顔を出した。 そして、英仏の部隊は、1954年10月から、みじめな撤退を始めた。
すべては、アメリカ(ロックフェラー石油財閥)が、仕組んだ劇だった。 英仏のスエズ運河の通行権と中東(ミドルイースト、特にサウジ)の 石油権益を、これで、欧州ロスチャイルド家から、奪い取ったのである。 世界政治の表面の、その裏側で、本当の世界政治(金融と資源の奪い合い)が、起きていた。だから、英雄であるはずの ナセルは、よく泣いていた。「自分には本当の権力はないのだ(自分は、アメリカのあやつり人形 puppet だ 」と。
全く同じことは、イラン(ペルシャ)でも起きていた。1953年の8月3日に、 イランの民衆革命の中から生まれた、立派な人物のモサデク博士(首相)の政権は、軍事クーデターで一気に崩壊した。そして、アメリカが操(あやつ)る パーレビが国王(シャー)として帰国した (モハンマド・レザー・シャー・パーレビである)。
”モサデク革命” を 流産させられたイラン人は、もう二度とアメリカには騙(だま)されないと、学んだ。 この1953年のモサデク博士のイラン民族主義の国民革命も、ただちに 「 石油を国有化する宣言」 を出したことで打ち倒されたのである。 石油(油田)の国有化(ナショナライゼーション)とは、石油の利権を外国の勢力から自国民の財産として取り戻すことだ。 条約や、外国の企業との契約を破棄する通告をすることだ。 それが 革命だ。
だから今度の エジプトの軍最高評議会(軍事クーデター政権)は、だから、ただちに、「(これは革命ではないので)諸外国との 条約、とりわけ、イスラエルとの平和条約をこのまま守る」と宣言したのだ。
イランで モサデク首相と争ったのは、イギリスのロスチャイルド財閥が支配する「アングロ・イラニアン石油会社」(これが、今の、BP ビー・ピー、ブリティッシュ・ペトロリアムである。去年、2010年にアメリカ沿岸=メキシコ湾での海底油田の掘削を、エクソンモービルと 米海軍に、わざと工事爆破事故を起こされて阻止されて大損した ) であった。
アングロ・イラニアンは、石油の国有化宣言でイランで大打撃を受けて撤退した。 そして、そのあと、モサデクを追放するアメリカが背後から計画したとおりの、軍事クーデターを起こさせて、パーレビ国王 をあやつって、それで、ロックフェラー系の石油会社 (世界No2 の テキサコ=ソーカル=カルテックス=今のシェブロンン )が、代わりに入り込んだ。
だから、エジプトでも、ナセルのあとを継いだ、サダトが、軍人上がりで、対イスラエル戦争での英雄だ、とうことで、大統領になり、彼が、アメリカの言うことを聞かなくなったら、「過激派(原理主義者)の兵士による暗殺( 軍の閲兵式の際に、ひとりの兵士が、機関銃をもって、貴賓席に走り寄り、乱射して、サダトらを、まとめて暗殺した。これもよく出来た、公然の暗殺劇だ) 」を作った。そして、今の ムバラクに取り替えた。 これが、アラブ中東世界の、 アメリカのよる 支配 の 真実だ。
私たち、日本国民も、眦I(まなじり)を決して、「もう、だまされない」と深く、決意しなければならないのである。私たちには、今、きわめて優れた 指導者 と 彼が育てて、彼を守る、200人の若い国会議員たちがいる。今の日本で、国民のために、 ”検察・裁判所(による)ファッシズム” からの攻撃に、よく耐えて、一番、厳しいところを闘っているのは、政治家(国会議員)たち だ。 私たち 国民も彼らを守るために、彼らの後に続いて、闘いを始めなければならない。
今回、エジプトで、巧妙な 軍事クーデター(2011年2月12日)が起きたが、それでも、エジプト民衆の 反撃は、これから、起きる。 このような情報は、世界の既成メディアからは、すぐには、発信されないだろう。ヨーロッパのしっかりしているジャーナリストたちでも、あんまり、それほどは頭が切れないから、まだ、今の急激な、事態に勘(かん)付いていないだろう。
アメリカの支配層(グリーバリスト)が握る世界の体制派のメディア(テレビ、新聞)は、エジプト民衆の闘いの様子を、あまり報道したがらない。日本も、その、アメリカに支配・管理・洗脳されたメディアの優等生の国である。 私たちは、世界情勢の最先端での、優れた情報を入手しながら、同時に、自分の頭でも考えなければならない。
一昨日、ひとりの老婆が、ポツンと言ったコトバに、私は胸を打たれた。
「 日本も こんな国民イジメのヒドイ政治をやっていたら、今に、エジプトと同じ民衆暴動 が起きるよ。 小沢(一郎)さんは、あんなに、小鳥をやさしく飼って、いい人だよ。小沢さんは、嵌(は)められていのよ」 日本も 確実に、揺れ動く 世界の一部なのである。
副島隆彦拝
<転載終わり>
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一昨日の読売新聞の一面に「ムバラク辞任」とあったので、ようやくエジプトの民主化革命は成功したのか、と思っていましたが、どうやらすぐその後に、軍事クーデターがあったと副島氏は言われています。
エジプト国民はムバラクを倒して、民主化したのですが、すぐに軍隊により水面下でのクーデターが起こされたとのことです。エジプト軍の背後にはイスラエルがいるとのことですが、確かに軍隊はイスラエルとの平和条約は守ると声明を出しました。これはテレビでも報道されています。
エジプト国民が民主化に成功したのは、たった一日ということになります。これでは、昨日の大河ドラマ「江」でやってた明智光秀の三日天下より短いです。
エジプトのように長い間アメリカに支配されている国というものは、国民にも気付かれずに、水面下でクーデターが起こされるようです。
これは昨年日本で起きた菅内閣発足というクーデターと同じ構図です。日本国民が何も知らないうちに、アメリカの背後からの力で、菅内閣が生まれたと考えることもできるかと思います。
それが証拠に、菅内閣は自民党以上にアメリカ寄りの政策をとり続けています。それだけは、どの国民にも分かってしまっています。支持率も20%を切っているので、そろそろ終わりです。
菅総理の後には、アメリカとしては前原氏を後任にしたいと考えているようです。もし菅の後に、前原氏が総理になれば、この日本という国の独立は戦後66年経った今も、実現されていないということになります。日本はエジプト以下のアメリカの属国ということになります。
日本はアメリカの属国ではありますが、アメリカは表面上は日本を民主主義国家ということにしてるので、日本国民はアメリカに対して悪い感情は持っていません。
確かに終戦後アメリカに占領されたから、まだこれくらいでよかったとも言えます。もし中国に占領されたと仮定すれば、知識人や資本家といわれる人は全て粛清されたでしょう。中国革命の時には、毛沢東により3000万人とも6000万人ともいわれる知識人や資本家が粛清された歴史上の事実があります。自国民を3000万人も殺す指導者というのは、世界史上中国とロシアにしかいません。ロシア革命の時には、スターリンも3000万人のロシア人を殺しています。
共産主義という思想が残虐なのか、中国人やロシア人が民族として残虐なのかは解りません。両方かも知れません。
それに比べればアメリカは民主主義原理主義の国家ですから、まだマシです。欧米というのは表向きは民主主義で良く見せてますので、大量虐殺というのは、民主主義に反する何か大義名分が無いと、戦争を起こせません。
真珠湾攻撃の時は、日本は事前に通告していたにもかかわらず、それを謀略で遮断されてしまい、卑怯者というレッテルを貼られ、正々堂々とアメリカは参戦してきました。
フセインは大量破壊兵器を隠しているだろう、とアメリカにインネンを付けられて、国民は大量殺戮されました。
中国やロシアのように民主主義を標榜していない国は、何も気にせず平気で戦争を仕掛けることができます。チベットやウイグルがいい例です。欧米は民主主義を掲げていますので、戦争がしたくても大義名分が無いとできません。本質はどっちもどっちですね。
日本はアメリカに裏から支配されているので、ウワベだけは民主主義ですから、中国やロシアよりはマシだと思います。下には下があります。
大国と言われている国は、概ね極悪な国です。ブータンのような国は偏狭の小国です。どちらが幸せかは誰でも解ると思います。日本はこれからどちらに行くのでしょう。
チュニジアからはじまった民主革命は、エジプトやアルジェリアにも広がっています。日本でもデモがおき始めています。日本の場合は、暴動にはなりませんが、他国はどんどんエスカレートします。
2011年は年初から荒れてますね。一昨日高島ヤスさんからウェブボット預言書18の概要を教えていただきました。いよいよ来ましたね。これからは私もより自立し、日々過ごしていきたいと思います。こんなに面白いチャンスは26000年に1回しかないのですから、今後はとても厳しいことがあるかと思いますが、最高に幸せですね(笑)。リストラや倒産、病気、怪我、離婚など、いろいろあると思いますが、(私はそのうち4つは経験しました)ピンチはチャンスだということは、自分の経験で解っています。勇気を持ってやればきっと結果は出てきます。大丈夫です。(自分にも言ってます)
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