ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

「やる気」を起こす間違った方法はやめれ!

2013-08-08 | 雑念
敵を作るという危険

無意識の中に癖がつく。
メディアは右翼だ何だと、右・左に分ける。
紅白歌合戦は赤と白に分けて戦わせる。
それは子供たちの運動会にまで浸透している。

敵を作らないと奮起しないのか?
それが「やる気」を起こす教育なのか?

それではやっていることは中国や韓国のやり方と同じじゃないかと思ってしまう。

たしかに遊びの中には対決や競争があってこそ面白いと感じるものもある。

しかし競い合うことが全てになってしまっては「人間の幅」という視点では細いヒョロヒョロ人間になってしまうように感じる。


高校野球にはまだその「相手があっての自分」という精神がある。

応援合戦もその一つ。
今もやってるのかな?
試合前に相手チームの応援をアルプススタンドからお互いにし合う。

社会人野球も素晴らしいらしい。
観ている人は涙がでるとのこと。

敵をぶっ殺せ!とフーリガンのような粗暴な応援もある。敵のチームの選手がミスをすると喜ぶような。

せめて日本は外国の真似などせずに、誰であろうと、どんな異国の人だろうと困った人に手を差し伸べる「トルコの遭難船の話」のような日本人でいてほしい。

そう考えると日本人の古くからある「和」の心や「義」の精神、「徳」や「恩」なんか学校で教えてもらわないよなぁー。

道徳はどう考えても説教だったもん。
くそ面白くなかった。

武道をしないと学べないのかな?

そう突き詰めて考えると、どう考えても科目、部活、集団活動などの種類ではなく、指導者、先生のスキルや人柄、仁徳による。

前から言っているように「子供が好きだから」「安定した職業」などの動機で先生になってはいけないし、

選ぶ方が「ディベートで相手の意見を聞いて問題のない人間」などと職員室で問題を起こさない人間を採用している様では話にならない。

そして保護者も「ごほうび」や「比較」を多用せずに、「目的」や「やり甲斐」をどうやれば子供に感じられるかを大切にしていくべき。

そしてそんな指導をしている指導者を指示して欲しい。


ここまで書いて、とっても嫌な気分になった。読んでいる人はもっとキィ~悪いだろう。

どうしようもない問題を漠然と問題提起されるとここまで疲れるのだ。

つまり結論を書く。
これだけ!
最後到達した究極の答え!

敵を作る様なことをやめて……この様にし給え。


「自分のやりたい事にこだわれ!」