すべてはあいさつにある。
「あいさつをしましょう」なんてバカみたいなことを言っているのではない。
無理やり強制的に「おはようございます」を言わせてどうする?
かつて大学の時、サークルの先輩が先輩ヅラをかまして「挨拶をしろ!」と僕に食ってかかってきた。
僕は当然「何で?尊敬もしてない人に挨拶は必要ない」と独自の言い分を投げ返した。
それもどうかと思うが、今はそんなことは無いから許してね。
しかし昔から強制的あいさつ運動に違和感を感じていた。
あいさつは自然発生的に生まれる素敵な言葉たちだと思う。今だから言える。はずかし気も無く言えるのだ。
「ぐっどもーにんぐ」より「おはよう」の方が気持ちがいいのだ。
「アイラブユー」より「愛している」の方がココロに刺さるのだ。
そんな日本語の素敵な言葉をダメにしているのが「学校教育」だと思う。
本来、社会に出るためのトレーニングが学校であるという立場だからそう思う。
社会に出たらあいさつはしてもしなくても選べる。
しなかったら人間関係は悪くなり、素敵なあいさつはモテる。取引先にも好印象だろう。
そういう事を体験的に教えて行くべきだ。
しかし学校では「あいさつをしなければならない」ものだと植え付けられた。
あいさつしなければ怒られる始末。
何で怒られなければいけない?
大人になって今考えても理不尽だ。
これこそココロへの体罰だと思う。指導者側からの意味不明な暴力なのだ。
あいさつは自由でいい。
その中であいさつができる他の生徒が可愛く見えたり、友達が多い事に気づく。
あいさつをしてくれる先生が素敵に見える。初恋の相手なのかもしれない。理由はあいさつをしてくれるから。
そういうことなのだ。
強制的なあいさつなど大人になって藻屑と消える。何も残らないのだ。
低学年によく見る「オーハーヨーウーゴーザーイーマースー」的なゆっくり揃ったあいさつにも気持ち悪さしか感じない。
あんなあいさつをさせる幼稚園に子どもを行かせたくないものだ。
バラバラでいい。
あいさつなんて人それぞれ気持ちの問題だ。
疲れていれば無視してもいい。
元気であれば友達じゃない人にもあいさつをすればいい。
そこに軍隊式集団訓練に当てはめるから意味を失っちゃうのだ。
ちなみに僕が住んでいる田舎町。
通学路にあたる生活圏だから中高生が多い。
しかしこんな僕にあいさつをする。
ヒゲ面のおっさんに気持ちよくする。
立ち止まってする。
凄いぞ、わが町!
教育凄いぞ!
どうやってそれを指導している?
だって先生も見てないぞ!
小学生は通学路の押しボタン式横断歩道を渡ると、車の運転手に振り返って頭を下げるぞ!
スゲぇ!
スゲぇよ。
どんなしつけだ?
習ってるよな。
習わずしてそこまで出来ん。
あいさつの指導法はわからんが、それは気持ちの良い仕組みではある。
これも日頃の「強制的なあいさつ運動」の賜物なのか?
だから無理やりでもあいさつさせた方が将来のためなのか?
あぁー、どっちがいいのかわからなくなっちまった!
とにかくあいさつの指導の仕方に色んな要素、色んな議題が潜んでいるような気がする。
「あいさつをしましょう」なんてバカみたいなことを言っているのではない。
無理やり強制的に「おはようございます」を言わせてどうする?
かつて大学の時、サークルの先輩が先輩ヅラをかまして「挨拶をしろ!」と僕に食ってかかってきた。
僕は当然「何で?尊敬もしてない人に挨拶は必要ない」と独自の言い分を投げ返した。
それもどうかと思うが、今はそんなことは無いから許してね。
しかし昔から強制的あいさつ運動に違和感を感じていた。
あいさつは自然発生的に生まれる素敵な言葉たちだと思う。今だから言える。はずかし気も無く言えるのだ。
「ぐっどもーにんぐ」より「おはよう」の方が気持ちがいいのだ。
「アイラブユー」より「愛している」の方がココロに刺さるのだ。
そんな日本語の素敵な言葉をダメにしているのが「学校教育」だと思う。
本来、社会に出るためのトレーニングが学校であるという立場だからそう思う。
社会に出たらあいさつはしてもしなくても選べる。
しなかったら人間関係は悪くなり、素敵なあいさつはモテる。取引先にも好印象だろう。
そういう事を体験的に教えて行くべきだ。
しかし学校では「あいさつをしなければならない」ものだと植え付けられた。
あいさつしなければ怒られる始末。
何で怒られなければいけない?
大人になって今考えても理不尽だ。
これこそココロへの体罰だと思う。指導者側からの意味不明な暴力なのだ。
あいさつは自由でいい。
その中であいさつができる他の生徒が可愛く見えたり、友達が多い事に気づく。
あいさつをしてくれる先生が素敵に見える。初恋の相手なのかもしれない。理由はあいさつをしてくれるから。
そういうことなのだ。
強制的なあいさつなど大人になって藻屑と消える。何も残らないのだ。
低学年によく見る「オーハーヨーウーゴーザーイーマースー」的なゆっくり揃ったあいさつにも気持ち悪さしか感じない。
あんなあいさつをさせる幼稚園に子どもを行かせたくないものだ。
バラバラでいい。
あいさつなんて人それぞれ気持ちの問題だ。
疲れていれば無視してもいい。
元気であれば友達じゃない人にもあいさつをすればいい。
そこに軍隊式集団訓練に当てはめるから意味を失っちゃうのだ。
ちなみに僕が住んでいる田舎町。
通学路にあたる生活圏だから中高生が多い。
しかしこんな僕にあいさつをする。
ヒゲ面のおっさんに気持ちよくする。
立ち止まってする。
凄いぞ、わが町!
教育凄いぞ!
どうやってそれを指導している?
だって先生も見てないぞ!
小学生は通学路の押しボタン式横断歩道を渡ると、車の運転手に振り返って頭を下げるぞ!
スゲぇ!
スゲぇよ。
どんなしつけだ?
習ってるよな。
習わずしてそこまで出来ん。
あいさつの指導法はわからんが、それは気持ちの良い仕組みではある。
これも日頃の「強制的なあいさつ運動」の賜物なのか?
だから無理やりでもあいさつさせた方が将来のためなのか?
あぁー、どっちがいいのかわからなくなっちまった!
とにかくあいさつの指導の仕方に色んな要素、色んな議題が潜んでいるような気がする。