西脇工業勝ちました。
僕もかつては高校球児。
今から振り返ればマジメだった。
練習もサボったことない。
小学4年から高校3年の夏まで。
野球しかしてない気がする。
他の記憶があまりない。
ほぼ義務の様に練習に行った。
何を学んだんだろう?
中途半端な皆勤賞。
黙々と何も考えずに練習メニューをこなしていた。
確かに不良になるヒマもなかった。
そう言う意味ではレールがあってゆっくり揺れない乗り物に乗っていた。
モノレール!
僕の野球人生は当たり障りのないモノレールだ。
高校の野球部OBからは寄付金の催促が毎年やってくる。
高校時代の友人とは1人としてつながっていない。
そんな竹馬の友を1人も作れない集団スポーツの過ごし方をしてきた。
当時の薄っすらした記憶ではピッチャーをしていた自分と信頼するという意味さえ考えないピッチングマシーンの様な日々だった。
高校2年の夏には先輩の最後の夏に涙した。何故泣いているのか分からなかった。無感情のもらい泣きだったと思う。
あるオフシーズンにフォームを崩しエースの座を明け渡した時には静かに悔しがった。でも黙々と投げ込んだ。
悔しさも誰に慰めてもらうこともなく、静かに自分の感情を抑えた。
それなりにチームメートと談笑したりふざけあった。それもその時の世界の中で最高の楽しさだった。
だから高校時代がそれなりに楽しい思い出として記憶された。でもその時のチームメートやクラスメイトに会いたい感情は未だにゼロ。
会ってどうする?
同窓会で何するか?
「あの時は楽しかったなぁ」と酒を酌み交わす?全然やりたいとも思わない。
もし今、偶然の出会いでその時の友人と遭遇して新しいプロジェクトを立ち上げるなら話をしてもいい。
だがそんな次のステップに進まない可能性の高い人間と一緒に居続けたくない。逆に過去に引き戻される。
僕の脳は基本的にその当時の記憶を引き出しの奥深くにしまっているようだ。全く記憶が蘇らない。
下手をすると記憶障害かもしれない。でもそれの方がいい。過去の記憶にすがるより、新しい記憶を上書きしていきたい。
だから新しい出会いの方がワクワクする。脳だけじゃなく心が踊る。
ひねくれている。
しかも自覚した「ひねくれ」である。
少年野球から高校球児までの野球少年がココまでひねくれるわけだ。
だから青少年期にチームスポーツをやらせれば、子育てが成立するわけではない。
僕が身を以て証明する。
時に「ひねくれ」た青少年期を過ごし、成人になって事件を起こす人間もいる。
そんな人間は根っからのモンスターではない。生まれた時からサイコはないのだ。
では何が?
それはやはり人間関係にほかならない。
僕の場合はスポーツを経験しただけでは危ない人間になっていただろう。
(ま、今でも危なくなくはない。)
会社に入って今もストレスの中でそれなりに出世していても、怪しくエロティックな小金持ちになっていただろう。
(その点、今は金は持ってない。)
やっぱり会社をドロップし、旅に出てからの自分が本当の自分を作り始めたんだと信じたい。
自分で行き先を決め、出会う人と長く話すか深く付き合うかを自分で決める。この場所に長く居座るか、すぐに立ち去るかをその場で決める。
そんな当たり前の自分の場所を探すことができる。考えることができる。
考えなければいけなくなる。
そんな経験が今も頭の中に深く根付いている。
そういう意味では、現時点のアラフォーの生き方としてのひとつのライフスタイルとして「アリ」だと思う。
まず法律的に違法な事を全くしてないし。本人は楽しく過ごしているわけだし。
これで1人で仙人のような山小屋暮らしをしていたら少し寂しいが、結婚なんぞも経験しているわけだ。
本州の端っこに居ようとこうしてブログを更新してネット上での発信もできる。
良いところ、幸せだと感じることをあげれば相当出てきそうだ。
野球少年は野球から離れて旅に出た。
チームという集団とは真逆の孤独になって考えた。
自分で仲間を探して増やして遊ぶ。
時には人に優しく、相手のことを考えてみたりする。
そうやって自分と向き合って生きる。
それが人生
僕もかつては高校球児。
今から振り返ればマジメだった。
練習もサボったことない。
小学4年から高校3年の夏まで。
野球しかしてない気がする。
他の記憶があまりない。
ほぼ義務の様に練習に行った。
何を学んだんだろう?
中途半端な皆勤賞。
黙々と何も考えずに練習メニューをこなしていた。
確かに不良になるヒマもなかった。
そう言う意味ではレールがあってゆっくり揺れない乗り物に乗っていた。
モノレール!
僕の野球人生は当たり障りのないモノレールだ。
高校の野球部OBからは寄付金の催促が毎年やってくる。
高校時代の友人とは1人としてつながっていない。
そんな竹馬の友を1人も作れない集団スポーツの過ごし方をしてきた。
当時の薄っすらした記憶ではピッチャーをしていた自分と信頼するという意味さえ考えないピッチングマシーンの様な日々だった。
高校2年の夏には先輩の最後の夏に涙した。何故泣いているのか分からなかった。無感情のもらい泣きだったと思う。
あるオフシーズンにフォームを崩しエースの座を明け渡した時には静かに悔しがった。でも黙々と投げ込んだ。
悔しさも誰に慰めてもらうこともなく、静かに自分の感情を抑えた。
それなりにチームメートと談笑したりふざけあった。それもその時の世界の中で最高の楽しさだった。
だから高校時代がそれなりに楽しい思い出として記憶された。でもその時のチームメートやクラスメイトに会いたい感情は未だにゼロ。
会ってどうする?
同窓会で何するか?
「あの時は楽しかったなぁ」と酒を酌み交わす?全然やりたいとも思わない。
もし今、偶然の出会いでその時の友人と遭遇して新しいプロジェクトを立ち上げるなら話をしてもいい。
だがそんな次のステップに進まない可能性の高い人間と一緒に居続けたくない。逆に過去に引き戻される。
僕の脳は基本的にその当時の記憶を引き出しの奥深くにしまっているようだ。全く記憶が蘇らない。
下手をすると記憶障害かもしれない。でもそれの方がいい。過去の記憶にすがるより、新しい記憶を上書きしていきたい。
だから新しい出会いの方がワクワクする。脳だけじゃなく心が踊る。
ひねくれている。
しかも自覚した「ひねくれ」である。
少年野球から高校球児までの野球少年がココまでひねくれるわけだ。
だから青少年期にチームスポーツをやらせれば、子育てが成立するわけではない。
僕が身を以て証明する。
時に「ひねくれ」た青少年期を過ごし、成人になって事件を起こす人間もいる。
そんな人間は根っからのモンスターではない。生まれた時からサイコはないのだ。
では何が?
それはやはり人間関係にほかならない。
僕の場合はスポーツを経験しただけでは危ない人間になっていただろう。
(ま、今でも危なくなくはない。)
会社に入って今もストレスの中でそれなりに出世していても、怪しくエロティックな小金持ちになっていただろう。
(その点、今は金は持ってない。)
やっぱり会社をドロップし、旅に出てからの自分が本当の自分を作り始めたんだと信じたい。
自分で行き先を決め、出会う人と長く話すか深く付き合うかを自分で決める。この場所に長く居座るか、すぐに立ち去るかをその場で決める。
そんな当たり前の自分の場所を探すことができる。考えることができる。
考えなければいけなくなる。
そんな経験が今も頭の中に深く根付いている。
そういう意味では、現時点のアラフォーの生き方としてのひとつのライフスタイルとして「アリ」だと思う。
まず法律的に違法な事を全くしてないし。本人は楽しく過ごしているわけだし。
これで1人で仙人のような山小屋暮らしをしていたら少し寂しいが、結婚なんぞも経験しているわけだ。
本州の端っこに居ようとこうしてブログを更新してネット上での発信もできる。
良いところ、幸せだと感じることをあげれば相当出てきそうだ。
野球少年は野球から離れて旅に出た。
チームという集団とは真逆の孤独になって考えた。
自分で仲間を探して増やして遊ぶ。
時には人に優しく、相手のことを考えてみたりする。
そうやって自分と向き合って生きる。
それが人生