ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

お遍路は僕の大切な思い出の場所

2014-04-12 | 雑念
お遍路の外国人排除貼り紙増える 四国3県で21カ所に - スマホ版 - 47NEWS(よんななニュース)

お遍路
このWordを耳にするにつけ、
あの壮絶な旅の記憶が呼び起こされる。

88の寺院に足を踏み入れること自体が貴重な経験であるが、それが連続して関連するお遍路は魅力的で神秘的、そして巡礼の旅に相応しい苦しさも刻み込まれるのだ。

若者がテレビ番組を真似て罰ゲームの様に巡り始めても、途中からその「お遊び感覚」は消える。

全ての寺を巡り切った時には、神聖な気分は少しだけでも芽生えるはずだ。

僕は真面目じゃないので、遊び感覚がキッカケでも全く悪気は感じない。逆に若者はルールさえ守れば、学生のノリでワイワイ楽しむ旅もお遍路の一つだとさえ思う。

ちなみに僕たちがお遍路を巡ったのも、99%テレビ番組のモノマネだし、神聖な神への尊敬の念はゼロに近かった。少なくとも僕自身はロングトレイルへの憧れのみが旅のモチベーションだった。

しかし次第に楽しい旅は苦しさに変わる。眠さと疲れに途中からは「もう辞めても罰は当たるまい」くらいのサボり感覚が覆いかぶさってくる。

なんでこんなことやってんだー?

達成しても誰も褒めてくれないし、資格が取れるわけでも無い。自分自身の戦い以外の何物でも無い。

それなのに

ここまで来たら!という意地の感覚が生まれ始めると、時間の許す限りやめられなくなってくる。

そして残り10を切ってくると、
「もう、終わるのか?」
「本当に自分たちでやり遂げるのか?」
これは素晴らしい体験だ!
頑張った自分!

そんな不思議な複雑な、そして本当に余計な気持ちが削ぎ落とされて素直な気持ちで感動や達成感が沸き起こってくる。

そう、ご利益があるから88も巡るというのはキャッチコピーである。

実際は、88を巡ったから自分自身が変わる。

行動が、感情を動かすのである。

そういう意味で、今回のニュースは「外国人を排除…」的な張り紙?という。

そういうレベルの低い次元での議論はしたくない。

まず張り紙しちゃダメ!
美しいお遍路に張り紙は似合わない。

そして張り紙をした側に物申すなら、
特定の国の人が態度が悪かった、マナーが許せないならばインターネットでのサイト作りや、「YouTubeにお遍路の歩き方」をアップした方が効果的であろう。

張り紙は短絡的で威圧的。お遍路の元々の精神とは相反する行為だと思うのだ。

次に、張り紙をした側に同情するなら、
よっぽど許せない行為があったのだろう。しかしそれは特定の国に限ったことではないと思う。

日本のバカなガキも世界遺産に落書きする脳の足りなさを世界に発信したりするし、「恥」の感覚がなくなっているんじゃないかと気さえする。

だから特定の国を批判するのではなく、多くの人々に向け、お遍路のマナーなる物を発信すべきだ!

愛すべきお遍路への愛が高じての張り紙だったのは分かるが、その行為が「差別している」と別の議論にならない様に注意するべきだ。

ということで、
僕もお遍路は日本の様々な文化の中でも大好きな場所のひとつである。

みんなで昔の文化遺産を育んでいこうではないか!