ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

県内唯一の読者で有り得るのか?

2014-04-20 | 雑念
スティーブン・キング著
「11/22/63」

Twitterでは既出だが、
読了した。

僕とキングとの出会いは映画「Stand By Me」の原作を読み始めたことだろうか?

映画「Stand By Me」が大好きだった。
そしてその好奇心は僕を原作にまで届き、キングの作品へと導いた。

「キャリー」や「ミザリー」、「シャイニング」、「IT」、「グリーンマイル」

映画が先か?キングが先か?
もう今となっては「ショーシャンクの空に」は名作過ぎて、熱狂的なキングファンになっていたと思う。

そうちなみに映画でヒットしても、どう考えても原作のキング作品の方がイイだろうと自信を持って言えるのが「グリーンマイル」だろう。

本当にシビれるストーリー展開と伏線。状況描写の独創性などは僕の中でトップクラスの作家であるとご推薦できる。

でも、これもそれも中学生の頃に読み漁った作品が僕の脳内活字ニューロン(そんなものあるのか知らないが)が心地よく感じているからだと思う。

そして「11/22/63」。
久しぶりのキング作品だったが、
その頃の心地よさを思い出させてくれるに充分な設定とストーリー。

そして今、読了した後の爽快感と常習性の渦巻き方は当時のそれよりも一段と倍増していた。

確かに日本語訳は難しい。
そしてアメリカの国民性や文化的な暗示を全て読み取ることは出来ない。
それは村上春樹作品を外国の人がどのように理解するのかを想像すれば何と無く理解できる。

しかしキング作品は、
そのバックボーンをなかったことにしても、その面白さが色褪せることがない。

気持ち悪さと不気味さ、
そして気持ちよさと爽快感。

今回のこの作品はタイムスリップが描かれる。そうだ!描き尽くされた題材だ。過去をいじくると、現在(元来た所)はどうなるの?とか、自分の存在は消えたりするの?とか、やっぱり裸で出て来るの?とか。

そんなことは語り尽くされて、
もう目新しいことなんてない!と思ってしまっていた。しかしそんなSF嫌いな人達にも目をつぶってもらって読み進めていくと、そんな非科学的な設定が愛や人生を考えるひとつの小道具に過ぎない事に気づかされる。

確かに愛の話なのかもしれない。
愛するが故の結末なのかもしれない。
しかしそれさえも伏線のひとつなのかもしれない。

そんな脳内をひっくり返されるストーリー展開はキングにしか描けないと思ってしまう。そして僕の脳にピッタリハマる。

日本の作家にも特筆すべきストーリーテラーは存在する。ひょっとするとキングよりもピッタリハマる作家が日本にもいるのかもしれない。

しかし現時点でキングは僕の脳内でグルグル渦を巻いて取り付いて離れなくなっている。そして今は2度目の読了に駆り立てられている。

これ程(僕にとっては)の長編をリピートさせるこの中毒性は恐ろしいとも言えよう。

ちなみに鹿児島県枕崎の本屋さんには1セットしか入荷してないと思う。

そして市内のAEONの本屋には1冊も無かった。売れたのか?入荷していないのか?

想像するに、入荷してない方に賭ける。

こんなに面白いのに!
売れる本しか入荷しないのでしょう。
キングはやっぱりマニアの部類なのでしょうか?

鹿児島県での唯一の読者というのも悪くない。


政治と教育の間で愛を語る。

2014-04-20 | 雑念
竹富町の教科書

大きくみると
教育の政治介入は是か非か?
ってことになるだろう。

僕は国は教育の基準を区切りの時期に設けて、後は自由というオランダの教育システムが日本に合っていると思っている。

だから細かく教科書を国が指導するのは余りに権力を振りかざしすぎだと思う。

あなた達「自由で民主的」な国家を目指すなら、国民が総じて自由な情報を得られて、言論の自由も認めてほしい。

だから教科書はその思想や言論を形作る資料集でもあるのだから、国はある程度、教材選びの自由さは認めた方がイイ。

ただし条件付きだ。

教員や教育委員会、自体が政治的でない場合に限る。

組合の意向に逆らえない教員が偉そうに自由を認めろ!と抗議しても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

結局、政治介入をされてるじゃん!自分の中にイデオロギーが存在してんじゃん!

だから、教育界は

ぶっ壊し!

が必要だとつくづく思う。
いくら取り繕ってマイナーチェンジしても、
パソコンで言うと、
もうMicrosoftからAppleに買い換える程のチェンジが必要だ。

とはいえ、
日本の風土からして
そんな革新がいきなり爆発することはあり得ない。

だから少しずつ
気づかない程の小さな流れを作って、
静かに平行移動するしか出来ない。

だから教科書は自由裁量を「学校に」認めさせてほしい。すると学校内で先生達が(現場の人達)が純粋に生徒のために「学び方」を構成できる要素が増えると思う。

教育委員会はバカだから解体して、
新しい仕組みを作る。校長にもう少し権限を移行してもイイと思う。

って、お前何様やねん!

と言われそうですけども。
1市民の戯言だと鼻で笑ってください。