それでは、富津から木津まで歩いた話しを。
表紙の写真は出発直後の富津漁港です。
下に見える屋根屋根は富津の集落です。
右真ん中くらいに海につき出した岬が見えますが、ここが富津弁天公園です。
以前記載した(3月31日記事)ように、県道201号線は旧小浜鉄道の線路跡を活用して作られています。
進んでいくと、
汽車が走っていたと分かるトンネルを通ります。
トンネルの中でも撮影したのですが、光の加減で思いっきりブレていました。w
トンネル内は薄暗く、車道と歩道が分かれていませんので、行かれる時は気をつけて下さい。
さらに歩いていくと、
両脇が切り立った山の間を抜けていきます。
葉があまりありませんでしたが、こういった通りが「緑のトンネル」です。
結構長い道のりに数個所ありました。
おそらく人力でこういった場所を掘って線路を通したのでしょうが、すごい労力と時間がかかったのだろうなあ、と少し感傷に浸りました。
約30分の時間をかけて木津漁港の見える位置まで到着しました。
右上に見える対岸のラインが千々石断層です。
表紙の写真は出発直後の富津漁港です。
下に見える屋根屋根は富津の集落です。
右真ん中くらいに海につき出した岬が見えますが、ここが富津弁天公園です。
以前記載した(3月31日記事)ように、県道201号線は旧小浜鉄道の線路跡を活用して作られています。
進んでいくと、
汽車が走っていたと分かるトンネルを通ります。
トンネルの中でも撮影したのですが、光の加減で思いっきりブレていました。w
トンネル内は薄暗く、車道と歩道が分かれていませんので、行かれる時は気をつけて下さい。
さらに歩いていくと、
両脇が切り立った山の間を抜けていきます。
葉があまりありませんでしたが、こういった通りが「緑のトンネル」です。
結構長い道のりに数個所ありました。
おそらく人力でこういった場所を掘って線路を通したのでしょうが、すごい労力と時間がかかったのだろうなあ、と少し感傷に浸りました。
約30分の時間をかけて木津漁港の見える位置まで到着しました。
右上に見える対岸のラインが千々石断層です。
雲仙市千々石町の千々石海岸です。(ちぢわと読みます。)
昔、千々石の西岸一帯は海岸から直接田畑が続き、強風の時は砂を巻き上げ波しぶきを田畑にまき散らし、住民は度重なる収穫の減少に苦しんでいました。
江戸時代初期の1618年のころ、藩主松倉重成はこれを聞き、代官に堤防を築くように命じました。
代官は民を指揮して約1963mの堤防を築き、その上に松を植えました。
この偉業は防風林・防潮林として今日の千々石を育ててきました。
この地は、21世紀に残すべき日本の自然として、「日本の自然百選」に選ばれています。
また、21世紀に引き継ぎたい「日本の白砂青松100選」にも選ばれています。
(3月30日更新の「富津弁天公園」の“白砂青松”がここで生きてくるとは!)
写真は、千々石展望所から撮影しました。
昔、千々石の西岸一帯は海岸から直接田畑が続き、強風の時は砂を巻き上げ波しぶきを田畑にまき散らし、住民は度重なる収穫の減少に苦しんでいました。
江戸時代初期の1618年のころ、藩主松倉重成はこれを聞き、代官に堤防を築くように命じました。
代官は民を指揮して約1963mの堤防を築き、その上に松を植えました。
この偉業は防風林・防潮林として今日の千々石を育ててきました。
この地は、21世紀に残すべき日本の自然として、「日本の自然百選」に選ばれています。
また、21世紀に引き継ぎたい「日本の白砂青松100選」にも選ばれています。
(3月30日更新の「富津弁天公園」の“白砂青松”がここで生きてくるとは!)
写真は、千々石展望所から撮影しました。
次回イベントの下見に行ってきました。
が、下見をそのまま掲載すると本番の面白みがなくなるので、イベントとは関係のない話しをアップします。
場所は雲仙市千々石町です。
千々石川の河口にある「福石様」です。
ちょっと遠目で見難いですが、両岩の間には綱が張られています。
あまり資料がなかったので、いわれを調べてみました。
常田富士男さん、もしくは市原悦子さんの声を想像してお読み下さい。
「昔、大津波が押し寄せてきて、千々石村は今にも押し流されようとしていました。その時、海岸の岩の上に立てられていたお地蔵さまが身代わりになって、どんぶりと海に身を投げました。すると、たちまち大波は引いてしまいました。それから村民はまたお地蔵さまをまつり『福石』と名付けました。その後はどんな大波が来て波をかぶっても、このお地蔵さまが落ちることはなかったそうなあ。」
が、下見をそのまま掲載すると本番の面白みがなくなるので、イベントとは関係のない話しをアップします。
場所は雲仙市千々石町です。
千々石川の河口にある「福石様」です。
ちょっと遠目で見難いですが、両岩の間には綱が張られています。
あまり資料がなかったので、いわれを調べてみました。
常田富士男さん、もしくは市原悦子さんの声を想像してお読み下さい。
「昔、大津波が押し寄せてきて、千々石村は今にも押し流されようとしていました。その時、海岸の岩の上に立てられていたお地蔵さまが身代わりになって、どんぶりと海に身を投げました。すると、たちまち大波は引いてしまいました。それから村民はまたお地蔵さまをまつり『福石』と名付けました。その後はどんな大波が来て波をかぶっても、このお地蔵さまが落ちることはなかったそうなあ。」
今日の垂木台地は、天気予報どおり朝から雨が降っています。
よしよし、このまま天気予報どおり、今晩くらいに雨があがれば明日のイベントは無事に実行できるぞ。
明日は「春の植物観察会」です。
開花が例年より遅れているので、丁度良い時期になりそうです。
さて、昨日勤務終了後、買い物へ島原市街地方面に下りました。
まゆやまロードを下って行くと、焼山が異常な(?)、普段とは違った姿に変貌していました。
山が白や薄いピンクで斑(まだら)模様になっています。
近づいて確認したわけではありませんが、今の時期からして恐らく桜でしょう。
焼山に、こんな斑模様になるほどの桜があったとは知りませんでした。
植生は刻一刻と変化してるんだなあ。
よしよし、このまま天気予報どおり、今晩くらいに雨があがれば明日のイベントは無事に実行できるぞ。
明日は「春の植物観察会」です。
開花が例年より遅れているので、丁度良い時期になりそうです。
さて、昨日勤務終了後、買い物へ島原市街地方面に下りました。
まゆやまロードを下って行くと、焼山が異常な(?)、普段とは違った姿に変貌していました。
山が白や薄いピンクで斑(まだら)模様になっています。
近づいて確認したわけではありませんが、今の時期からして恐らく桜でしょう。
焼山に、こんな斑模様になるほどの桜があったとは知りませんでした。
植生は刻一刻と変化してるんだなあ。
昨日、島原半島内の桜で有名な場所を2,3まわってきました。
橘神社の桜は8分咲きです。
もう見頃をむかえています。
前回、橘神社へ桜の開花状況を確認しに行った時は午前8時半ごろでしたが、今回は朝から富津から木津まで歩いた(後日更新予定)後、10時頃に到着しました。
すると、駐車料金を徴収されました。
500円“も”!
2,300円ならまだしも、500円“も”。
普段から徴収しているなら話しは分かりますが、普通行っても誰もいないじゃないですか。
こんな時ばかり・・・。
さて、話は変わって島原城です。
表紙の写真にも掲載しましたが、島原城の桜も見頃をむかえています。
今回気づきましたが、城内には桜の木は少ないのですね。
どちらかと言えば、お堀のまわりの桜が一番見応えがありました。
で、城内には背の高い松が植わっているものだから、お城と桜の写真が撮りづらいったら。w
結局、島原城の周囲を1周してしまいました。
あと島原市の観音公園にも足を運びました。
こちらも見頃で、お花見を楽しんでいる多くの人が訪れていました。
橘神社の桜は8分咲きです。
もう見頃をむかえています。
前回、橘神社へ桜の開花状況を確認しに行った時は午前8時半ごろでしたが、今回は朝から富津から木津まで歩いた(後日更新予定)後、10時頃に到着しました。
すると、駐車料金を徴収されました。
500円“も”!
2,300円ならまだしも、500円“も”。
普段から徴収しているなら話しは分かりますが、普通行っても誰もいないじゃないですか。
こんな時ばかり・・・。
さて、話は変わって島原城です。
表紙の写真にも掲載しましたが、島原城の桜も見頃をむかえています。
今回気づきましたが、城内には桜の木は少ないのですね。
どちらかと言えば、お堀のまわりの桜が一番見応えがありました。
で、城内には背の高い松が植わっているものだから、お城と桜の写真が撮りづらいったら。w
結局、島原城の周囲を1周してしまいました。
あと島原市の観音公園にも足を運びました。
こちらも見頃で、お花見を楽しんでいる多くの人が訪れていました。