島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

島原城下を歩く6(東虎口門跡)

2014-04-29 18:45:34 | 歴史・史跡
虎の口と書いて、「こぐち」と読みます。
簡単に攻め込まれないように、右に左に折れ曲がったお城特有の入口のことを言います。
さて、宮崎商店の横を通り抜けていよいよ島原城内へ入っていきます。

現在の島原城は、お堀があってその中に復元された本丸の天守閣が見えているので、「お城」というと「お堀の中」のイメージが強いのですが、実際にはこの坂道(段差)から内側が全部「お城」になります。

丁度ここには七つの城門のうちの一つ「東虎口門」がありました。
お城は、言っても昔の要塞です。
戦う為の建物ですから、それなりの戦の準備がしてあります。
出入り口に門があるのは当然のこと、門を突破できたとしても虎口によってまっすぐ進めません。
そんなところに、お堀を挟んだ向かいには櫓が建っており、そこからは弓矢や鉄砲が雨あられと降りそそぎます。

もし、写真に写っている我々が敵軍の兵士だったとしたら、全滅しています。
本当によく考えられて建てられているなあ~。
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島原城下を歩く5(宮崎商店)

2014-04-27 13:33:45 | 観光・施設
恵比寿堂の道向かいに建つ「宮崎商店」です。
島原城への上り坂を利用した二階建て構造になっています。
商店の店舗と、酒造業を行っていた当時に使用していた酒造蔵から棟札が確認でき、明治39年の建築物だと分かっています。

また、レンガ造りの煙突も明治39年に建てられており、店舗・蔵・煙突の3つが国登録有形文化財になっています。

蔵の二階部分は、島原城側から入ることができます。
現在は、観光客向けのお休み所として開放されています。
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アケビ(花)

2014-04-26 19:23:17 | 植物
やはり繋がりません。
全然繋がらないならまだ方法もあるのですが、微妙に繋がるから始末に悪い。
繋がりやすくなるまで、我慢しかありません。

「島原城下を歩く!」の報告は、長くなりそうなので一先ず置いておいて。
今、園内で咲いている「アケビの花」です。
アケビは、本州から九州の林縁にみられるつる植物です。
秋には食べられる実がなります。
私より年齢が上の方たちは、子供の頃によく食べたのではないでしょうか。
アケビの名前の由来は、『開け実』からきています。
実がパカッと開き、中の果肉が見えます。
恥ずかしながら、私はまだ食べたことがありません。
雌雄同株なので、上手くすれば秋には実がなってくれるんじゃないかと、今から期待しています。
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繋がりません。

2014-04-26 06:36:22 | Weblog
おはようございます。
ここ最近、電波状態が非常に悪く、ネットワークに繋がりません。
昨日もほとんどダメで、ブログを更新することが出来ませんでした。
今、出勤前に雲仙でネットワークに繋げています。
もしかすると、今日も更新出来ないかも知れません。
日本で営業している通信関係の方々、なんとかしてもらえないでしょうか。(_人_)
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島原城下を歩く4(恵比寿堂跡)

2014-04-24 13:21:02 | 歴史・史跡
七万石坂はあとから造られた道なので、上の町通りを途中で切ってしまっています。
坂を挟んで、上の町通りは続いています。
先に少し進むと、なんてことの無い駐車場に行き当たりました。(表紙写真)

駐車場のわきに解説板が建っています。
記録によると、寛政四年(1792年)四月朔日に発生した島原大変の大津波の波先は、地区によってまちまちですが、三会町・有馬町では恵比寿堂の辻が「津波堺」になっていました。
昔は、この駐車場の場所に恵比寿堂があったそうです。
この場所で標高が8mあるそうなので、当時の津波の高さが伺われます。
肝心の恵比寿堂は十字路の道向かいに移転していますと、土橋氏が指す方を振り向くと、

え、これ!?
あまりにもこじんまりとし過ぎていて、見落としていました。
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七万石坂

2014-04-24 11:41:17 | 雑談・その他
以前、ネタがなかった時にアップしたかも知れません。
東を見ると、

島原駅。
西を見ると、

島原城。
ここが「七万石坂」です。
しかし、交通の要所となる場所から直接お城へ繋がる道がある筈もなく。
あとから造られた道です。
城の内と外には城壁が造られるものですから、坂道になっているわけです。
で、坂道の突き当たりには昔、南高来郡だったころの郡の建物があったそうです。

その時の名残としては、石垣の上に残る赤いレンガ壁だけです。
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島原城下を歩く3(上の町通り)

2014-04-23 11:20:47 | 歴史・史跡
紹介するものが多過ぎて、しばらく終わりそうにない・・・。
上の町通りには、国登録有形文化財が多いのでここでまとめてご紹介します。
まず、表紙の写真は「清水家住宅主屋」です。
正面に前庭を造らない近代の特徴がみられ、江戸時代からの持ち合わせながら新しい特徴もみられる過渡期の町屋として、島原町屋の変遷をたどる貴重な遺構です。
現代の建築物とは違って、二階が低いように見えるのが特徴です。
町人の住まいなので、武士を上から見下ろしてはいけないとの理由からだそうです。

次に訪れたのは、「鵜殿家住宅主屋」です。
現在は、「まちの寄り処森岳」として、観光のお客様の休憩所として利用されています。
天保13年(1842年)に建築された、建築年代の明らかな当地最古の町屋です。
何故年代が明らかなのかというと、

二階に上がらせてもらいました。
土橋氏が写真を見せながら解説していますが、この二階の梁の上に「棟札(むなふだ、むねふだ)」という木の札があって、それに施工主や大工の棟梁、建築年月日が記載されていたのです。
再び、屋外へ出ると、

中野金物店主屋(手前)・防火壁があります。
奥の建物と比べると、若干二階の高さが違うのが分かります。
レンガ造りの防火壁は大正時代頃の造りで、時代の変遷を表しています。
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島原城下を歩く2(猪原金物店)

2014-04-22 11:15:13 | 観光・施設

大手門跡から“上の町通り”へ入っていきます。
上の町通りは、島原築城とともに整備された400年近い歴史を持ち、現在では森岳商店街と呼ばれています。
その入口近くに「猪原金物店」はあります。(表紙写真)
万延二年(1861年)の棟札を持つ建物が、国の登録有形文化財になっています。

現在でも勿論営業しており、店主さんが解説してくださいました。
以前は金物の製造もしていたそうですが、今は国内外のロングセラーからチタン製の最新商品など品質本位で選んだ金物類の販売が主です。
店内、かなり様々な商品が並んでいますが、これでも取り扱い商品の約3割しか置いていないそうです。
さて、店主さんの解説で面白かったのが、こちら!

床に分厚い板で蓋がしてあります。
戦時中に床をくり貫いて作った、防空壕の跡です。
これは人が避難する為の防空壕ではなく、天然の砥石を守るものだったようです。
当時は金物の製造を行っていたこともあって、天然の砥石は命よりも大事だったとのこと。
時代が違えば、色々なものが違っているんですね。
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島原城下を歩く1

2014-04-21 17:51:09 | イベント
今日もネットワークの繋がりが悪いです。
昨日のアップ時間は15時になっていますが、私のところでアップしたものが見れたのは17時前でした。

さて、「島原城下を歩く!~文化財ジオツアー2014~」の報告です。
まずはセンターにて事前学習を行いました。(表紙写真)
事前学習によって、現場を訪れた時の理解度は格段に違います。
事前学習の後は、バスに乗り込んで島原市役所前に移動しました。

島原市役所の前を「大手広場」と言います。
昔は、この広場で「島原初市」が開かれ、多くの人が集まり、売買が盛んだったと言われます。
一見、交通量の多い市役所前の広場ですが、意外や意外こんな場所にも説明を受けるものがわんさとあります。

平成新山の溶岩です。
左の岩1個で約30㌧の重さがあるそうです。
そして、近くには「平成新山の火」があります。

いつだったか、このブログでも紹介したことがあると記憶しています。
噴火活動が落ち着いた後に自衛隊が登って採火したものです。
他にも南島原市の出身で彫刻家の北村西望さんの作品などがあります。

そして、講師の土橋氏の後ろにそびえ立つ石垣は、島原城の「大手門跡」の石垣です。
人の手では動かす事さえ困難そうな巨石が、上手い具合に積み重ねられています。
大手門は、島原城にあった七つの城門のうちの1つです。
城を落とすためには、城門を突破せねばなりません。
この大手門は「島原の乱」の時の古戦場跡になります。
「島原の乱」というと、どうしても原城や日野江城が思い出されますが、乱の初期には島原城も戦場になっていました。
一揆軍(?)はここまで攻め込み、城主たちを籠城まで追い込んだそうですが、結果的に門を破ることができず、敵に応援が来るということで撤退を余儀なくされたそうです。
そうして見ると、確かにこの石垣や門を突破するのは容易ではないことが分かります。
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クマイチゴ(花)14

2014-04-20 15:29:43 | 植物
ネットワークの繋がりが悪いです。
本当ならば、昨日開催した「島原城下を歩く!~文化財ジオツアー2014~」の報告をしたいのですが、アップできるか分からないので、今朝園内で見つけた「クマイチゴ」の花の掲載です。
H22年の4月に、蕾から花、実まで成長する「クマイチゴ」を紹介しています。
「クマイチゴ」は、山地の日当たりの良い林の縁などに生えるバラ科の落葉低木です。
園内のキイチゴの仲間でも一番大柄で刺々しい姿をしています。
花期は5~7月で、枝先や上部の葉のつけ根から花柄を出し、白い花を咲かせます。

今日この後、ネットワークが繋がれば文化財ジオツアーの報告をアップします。
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