島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

獅子身中の虫

2024-02-09 12:47:28 | 民話・伝承
24.2.9(金)
 霊丘神社で紹介したいものは「狛犬」です。 拝殿の前に一対の狛犬さんがいらっしゃいますが、目に付く立像ではありません。
 よく見ると拝殿に上がる石段の側面に、獅子(狛犬)と牡丹が彫り込まれています。(分かりにくいと思いますので、よければその目で直に見に行って下さい。)
 獅子と牡丹は、「百獣の王と百花の王で富貴の象徴とされる『牡丹』を取り合わせて吉祥の意味を強めた文様」として使われます。
 これには「獅子身中の虫」のことわざからきているという説があります。「獅子身中の虫」とは、百獣の王である獅子も体内にすくう虫には勝てない、という意味です。
 ところがこの獅子に勝る虫には弱点があって、それが牡丹です。 獅子が己に勝る虫を牡丹で寄せ付けないことによって、まさに「最強!」に成るというお話です。
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七日回りの石

2018-12-21 13:12:42 | 民話・伝承
「名犬 矢間の墓」まで着いたらUターンして雲仙温泉街に戻ります。
今度は国道57号線に沿って帰ります。
雲仙小学校の前を過ぎると、表紙の写真「片足鳥居」があります。
このブログでも何回か紹介していると思いますが、直近では2015年3月15日の記事ですね。
この片足鳥居がこの後紹介する「七日回りの石」に関係してきます。
行きは小地獄から旧道を通ってきましたが、帰りはこのまま57号線に沿って帰ります。
「旅亭半水盧」の入口よりもちょっと手前に、今回の観察会のもう1つのメイン「七日回りの石」があります。

勿論、国道沿いにデンと巨石が転がっているわけでなく、少しだけ藪の中に入って行きます。
夏場は(9月に一回下見に来た)、とても分け入ることが出来ないくらい植物が繁茂していますが、冬場は歩けるくらいには開けています。
もしかすると、誰か手入れしているのかも知れません。
お地蔵さん辺りは綺麗ですし、手前の枝はお地蔵さんが見えるように折られています。

巨石と書きましたが、比較するものがないと大きさが分かりにくいでしょう。
石の隣に丁度上司がいたので、比較するために撮影しました。
赤・紺の上着を着ているのが大人一人の大きさです。
「その昔、温泉神社が『四面社』と呼ばれ、仏教の聖地だった頃の雲仙は、片足鳥居よりも先は女人禁制になっていました。
 ある日、雲仙のお寺に我が子を預けた母親が、我が子会いたさから下の子を連れて山を登り、女人禁制である事を忘れて『一の鳥居(片足鳥居)』の先にある大きな石のところまで来て、流れる小川で足を洗い休んでいました。
 ふと気がつくとそばで遊んでいた子供の姿が見当たりません。母親は驚いて、気が狂わんばかりに七日七夜 石のまわりを捜しますが、こちらにくればあちらから子供の声がすると言う有様で、とうとう見つける事ができず、哀しみのあまり遂に息が絶えたということです。この話を聞いた人々は、子供を思う母親の気持ちを考えると、かわいそうに思い、大きな石の上にお地蔵さんを祀ってねんごろに弔ったということです。」
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名犬 矢間(やま)の墓

2018-12-18 12:27:44 | 民話・伝承
今回の観察会のメインの1つでした。
「名犬 矢間(やま)の墓」です。
話が長いので、この場ではかい摘んでしか説明できませんが、良い話です。
「昔、湯元に賢くて忠義な矢間(やま)という犬がいました。
主人に頼まれると約12kmの山道を越えてお使いをする名犬でした。
ある日、お使いに向っているとその家の娘が蛇に襲われていました。
矢間はすぐに飛びかかって、蛇を追っ払いました。
そんな矢間が、どんよりと曇った日にお使いを渋る様子を見せました。
しかし、首にお使いの風呂敷を括り付けられると『ワン』と吠えて、元気よく駆け出しました。
ところがいっこうに矢間は帰ってきません。
心配していると、通りがかりの人が『札の原で矢間が倒れているよ』と報せてくれました。
主人をはじめ湯元の人たちも驚いて駆けつけてみると、首に掛けていた風呂敷は無くなり、お腹と頭をひどく叩かれた傷がありました。
きっと泥棒が風呂敷にお宝が入っていると勘違いしたのでしょう。
矢間は取られまいと必死に戦ったのですが、敵わなかったのです。
みんな残念に思って、札の原に矢間を丁寧に葬り、石碑にその姿を刻んで建ててあげました。」
場所が少し分かりにくいのです。
国道57号線からカトリック雲仙教会へむけて行く道の途中にあります。

赤丸の中です。
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神話の里14.5天孫降臨

2017-01-09 12:48:24 | 民話・伝承
国見ヶ丘の中央には小高い丘があります。
丘の上には大きな像が設置されているのが見えます。(表紙写真)
丘の周囲を一周できる歩道が整備されていますが、中央の丘にも登る事は出来ます。

像の足元にも文章が記されているのですが、ちょっと読み取り難かったので、別の場所にあった他の解説板を記します。
「遠い神代の昔、この地上界があまりにも乱れていましたので高天原のアマテラスオオミカミは大変ご心配になりました。そこでアマテラスオオミカミは孫にあたるニニギノミコトに地上界へ降りて国を治めるように命じました。
 多くの神々を従え、高天原を出発したニニギノミコトは日向の高千穂の二上峯(ふたがみのたけ)に到着されました。しかし、霧が深く夜や昼の区別もつかず、道も分からず、物の色もよく分かりません。
 その時、この地に住むオオクワ・オクワ(漢字が分かりません)という二人が現れて『ミコトが手に持たれている稲千穂を籾(もみ)にして、あたり一面にまかれるとこの霧は必ず晴れるでしょう』と進言しました。
 ミコトがその通りにすると、霧が晴れ地上界に無事おりることが出来ました。それでこの地は智鋪(ちほ・高千穂)といわれるようになりました。
 この神話は日向風土記に書かれていた物語です。風土記は七一三年、元明天皇の命により、諸国の国司(現在の県知事)が産物、地名の由来、伝承等を書いて提出した地誌です。日向風土記は現在残っていませんが、万葉集注釈(一二六九年)釈日本紀(一二七四年)という書物に引用されており、これを風土記逸文と呼んでいます。
 尚、古事記(七一二年)には天孫降臨の神山として高千穂のクシフルタケ、日本書紀(七二〇年)には襲(そ)のタカチホノタケ、クシフルノタケ、フタガミノタケ、セフリヤマタケ(祖母山)が記されています。」高千穂町
丘を降りてぐるりと一周してみます。

「正面向こうに見える山並みは阿蘇山です。
 お釈迦様が横たわった姿に似ていることから、別名『阿蘇の涅槃像』と呼ばれています。
 右が顔で根子岳、体が高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳と続き、阿蘇五岳と呼ばれています。
 ここ国見ヶ丘は、涅槃像、雲海とともに神々しい山々が見渡せる絶好の展望ポイントとなっています。」
ああ〜なるほど、仰向けに寝ているように見える。
と、その時!
背後に人影を感じ、さっと振り向くと!!

なんだ、さっきの像じゃないか・・・。w
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神話の里⑪天真名井と夜泣き石

2016-12-29 14:11:35 | 民話・伝承
写真撮影失敗した〜><
「天真名井(あめのまない)」は、写真に映っているケヤキの老木の根もとから湧いている水だった〜。
「天然の湧水で天孫降臨の時、この地に水がなかったため、ニニギノミコトがアメノムラクモノミコトに命じて再び天上に上がられ、高天原の水の種を移されたと伝えられる。現在でも天真名井には水が湧き続け、地下を通り、真名井の滝や玉垂れの滝となっている。」
さて、天真名井の近くにガイドマップには載っていなかったが「夜泣き石」なるものを見つけた。

「古くは天真名井の下を流れる神代川の清流にあり、村に災いがある時は、石が夜にうごめいて知らせたことから“夜泣き石”と言われています。
 伝説ではニニギノミコトの子供を宿したコノハナサクヤヒメが、あまりの難産にこの石に抱きついてお産をされたとも言われ、豊玉姫・玉依姫のお産伝説もあるようです。
 また、夜泣きの激しい赤ん坊は、この石に触ると泣き止むとも言われ、昔は子供を抱いた若嫁の姿をよく見かけたそうです。」
さて、時間軸ではお昼の時間になったので、この後昼食を食べに行きました。

現在の時間に戻りまして、ブログの更新は本日までとなりそうです。
明日は一日お休みがありまして、明後日は駐車場勤務となっております。
来年は元日が再び駐車場勤務のようなので、2日以降からの再開となりそうです。
2016年も色々とありましたが、一年間お付き合い頂きまして ありがとうございました。
また2017年もよろしくお願い致します。
それでは皆様、良いお年を〜 ノシ
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神話の里⑨四皇子峯

2016-12-28 13:15:08 | 民話・伝承
高天原遥拝所を去ろうと振り返ると、突然カラスが鳴き始めた。
吃驚して林の中を探すと、目線の高さの枝に一羽のカラスが留っていた。

しきりに鳴いているが、何をしたいのか分からない。
もしかすると天からの使いだったのかも知れないが、高千穂から帰って来て一ヶ月、何も変わった事は起きていない。w
山中を歩いて、表紙写真の場所に出た。
ここが「四皇子峯(しおうじがみね)」だ。
「鵜戸神宮で誕生したウガヤフキアエズノミコトはタマヨリヒメと結婚され、ヒコイツセノミコト、イナヒノミコト、ミケイリノミコト、カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の四皇子がお生まれになった所と伝えられています。
 その後幼少期を高千穂で過ごして自然の中でたくましく成長した神武天皇は、美々津の港から東へ旅立ち、大和の国を天下統一の地と定め、天皇を称するようになりました。」
日本の天皇が誕生した土地だ。
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神話の里⑧高天原遥拝所

2016-12-28 09:56:21 | 民話・伝承
風土記・万葉の丘を離れ、ぐるりと遊歩道を歩いて行く。
まわりの景色は木々に覆われ見えないが、よく観察するとほとんどが植林だ。
神話にまつわる土地だけに自然林が残されているのかと思ったが、意外なほど人の植えたスギ・ヒノキがまわりを囲っている。
足元にはフユイチゴの実がなっていた。

そんな観察をしながら歩いていると、目的の場所に着いた。
「高天原遥拝所」だ。

昨日も書きましたが、「高天原から降臨された神々が天を懐かしみ、遥拝された所と伝えられています。
 天と地を結ぶパワースポットといわれます。」
パワースポットかどうかは私には霊感がないので分からないが、なんだか近寄り難い雰囲気に押され、これより中には入れなかった。
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神話の里⑥鬼八塚

2016-12-26 16:29:13 | 民話・伝承
やっと「鬼八退治伝説」の話ができる。w
街中を歩いていると「鬼八塚」の案内板が出て来た。(表紙写真)
角を曲がるが、おや?

「鬼八塚」はどこだ?
実は写真の中にすでに映っています。
写真中央より少し左の小さな林の中に「鬼八塚」がありました。

「神武天皇の兄・ミケイリノミコトは、神武建国の途中で、もとの国高千穂に御帰還され、あららぎの里に宮居を定め住まわれた。
 その頃、二上山の乳ヶ窟に住む鬼八という鬼が里で悪行を働き、祖母岳明神の娘・鵜ノ目姫を奪い鬼が窟に隠していた。
 ミコトが御塩井を歩いている時、鵜ノ目姫に会われ、姫の願いにより鬼八を退治されました。
 鬼八の死骸は八尺の石で押さえて土に埋めたが魔力を持つ鬼八は再び生き返りました。
 そのためミコトは身体を三つに切り、三カ所に分けて埋めました。
 この場所は首塚と伝えられています。
 荒ぶる神鬼八は霜宮といい、寒霜を司ったので、今では農耕や厄除けの神として尊敬され、日向・肥後地方の里人の信仰を集めております。
 昔から鬼八荒神の霊を慰めるため毎年十六歳の少女が人身御供として捧げられていましたが、天正年間岩井川の城主甲斐宗摂の進言により、初狩りのイノシシ一頭、米飯三石三斗三升三合が代わりに供えられて以来、この神事は高千穂神社の「猪掛祭」として現在も伝えられています。」
ちなみに胴はここから300mほど離れた所に、手足は道の駅高千穂の近くの淡路城跡に祭られています。
高千穂峡で見たかった物は、この鬼八が力自慢のために投げたといわれる約200tの大石「鬼八の力石」でした。
ん〜見られなくて残念。
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高千穂峡⑦槍飛橋

2016-12-20 12:55:20 | 民話・伝承
いよいよお目当ての物が見れると思ったら、こちらも通行止めでした!

ああ〜あれか、あの先かは分かりませんが、見たかった物があったのに〜。
同じ場所で二枚も写真を撮っている事から私の未練さが伝わってきます。w
多分、あの先に鬼八退治伝説にまつわる「鬼八の力石」があった筈なのです。
鬼八退治伝説にまつわるものはあと一つあるので、そちらに期待して先へ進みます。

あまり良い写真を撮っていませんでした。
「槍飛橋(やりとびばし)」です。
「ここは、五ヶ瀬川の中でも最も川幅の狭いところです。天正十九年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められた時、三田井城が落ち、城から逃げ出した家来たちがここまで逃げてきました。しかし、橋がないので槍の柄を手前の岸についたものは飛び渡り、向こう岸についたものは川の中に転落したと伝えられており、ここを槍飛びと言うようになりました。」
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高千穂峡③おのころ島

2016-12-17 13:08:29 | 民話・伝承
高千穂峡遊歩道に入ってすぐに見つけたのが「おのころ池」です。(表紙写真)
「昔、この池には桜川神社(滝津妙見神社)があり、鵜の鳥はこの神社に仕える神聖な鳥であったと伝えられています。
 高千穂神社の春祭では、御神幸の御輿がおのころ池を3回まわって禊をします。」

池の真ん中にあるのが「おのころ島」です。
島の上の小さな祠は、日本を生み出した男女の神・イザナギノミコトとイザナミノミコトが祀られています。
鵜じゃなくてカモ?いや家禽化しているようなのでアヒルか?、が泳いでいる。
魚のエサまで売っているな。
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