島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

高森町紀行-高森殿の杉

2015-03-30 14:02:42 | 歴史・史跡
高森阿蘇神社も御矢石も見たので、高森町観光案内所で紹介された所へ行ってみます。
2ヶ所紹介されましたが、あちこち徘徊していたおかげで時間が無くなってきました。w
南阿蘇で宿を取っていますが、そこまでの道程を考えると、あと1ヶ所しか回れない。
そこで選んだのが「史跡 高森殿の杉」です。

牧場入口のゲートが道を塞いでいますが、案内所の方によると開けて閉めてすれば入って良いとのこと。
遠慮なく行かせてもらいます。
まあ、牧場で働いた経験のある私にはゲートの開け閉めなど躊躇するに値しません。w

後ろを振り返ってみました。
おお、結構登ってきたな。
だいぶ日が傾いてきたな、急がなきゃ。

目的の杉はどうやらこの森の中らしい。
森に入って行くとすぐに目的の杉が見つかりました。
というか、写真の杉がまんま目的物でした。

案内所の方の説明によると、高森城主が逃げる際にここで自害したとかなんとか、どれどれ?
『天正十四年正月二十三日、島津勢との三度の戦いに高森落城し、再起をはかろうと豊後に逃れる途中、追ってに囲まれ城主 高森伊予守惟直・家臣 三森兵庫守能因、虎御前原のこの地で自刃した。
 元々は墓があったが寛永六年に含蔵寺に移された。』
へぇ~高森にもお城があったのか。
それにしてもかなりの巨木だな~この杉。
島原半島にあれば、巨樹・巨木観察会で訪れたのに・・・。

この後、宿まで走り、一泊して翌日熊本城を観光しました。
さて、一年間拙い文章にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。
まだ来年度も続けていく予定ではありますが、勤務地が島原から雲仙へ変わります。
環境の変化によってどの程度の影響を受けるのか、まったくの未知数です。
落ち着くまでは更新できないかも知れません。(4月1日にすぐ更新するかも知れません。w)
その場合は再開するまで気長にお待ち頂ければと存じます。
別れではないので、「またな。」と言っておきます。(スタンド・バイ・ミーみたいw)
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高森町紀行-御矢石

2015-03-30 10:44:11 | 歴史・史跡
高森阿蘇神社へ向かう途中、またしても史跡の標柱を見つけた。
ただ軽1台しか通れない細い道だったので、高森阿蘇神社の駐車場に車を置いて、歩いて向かった。
「史跡 御矢石」
左右に鳥居やお地蔵さんがいらっしゃるが・・・。
『高森阿蘇神社北方にあり、阿蘇神話によると阿蘇大明神宮居を定めんと矢を放たれ、その矢が当たった大石に矢尻の跡があり、雨降っても水溜まらずと伝えられている。
 この地を御矢村といい、高森阿蘇神社を一名(?)、矢村社という。』
先程、高森阿蘇神社で読んできた由緒と一致します。
すると、後ろの石が矢尻の跡が残っている大石?

恐れ多くて、確認はしませんでした。
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高森町紀行-高森阿蘇神社

2015-03-29 14:47:38 | 歴史・史跡
高森観光案内所から高森湧水トンネル公園まで行く間に「高森阿蘇神社」への矢印を見つけていた。
観光案内所で紹介された所ではなかったが、折角なので行ってみることにした。
軽1台しか通れない幅の道だが、カーブミラーなどがしっかりと整備されているので湧水トンネルよりは行きやすい。w

ちゃんと駐車場もある。

駐車場には何故か阿修羅像がある。
阿修羅だよな?腕何本もあるし。

御祭神は、健磐龍命(たけいわたつのみこと)。
「元、この神祠は神社の裏山の中腹にあったと言う。蓬莱山の神の信仰に起こるものであろう。
この社は矢村社(やむらしゃ)または矢村大明神と称しており、現在の名は明治以降のことである。
矢村社と称する由緒は、『健磐龍命 阿蘇国に降り国土開発の時、住むべき宮居を定めんと阿蘇山上に登り南北に向かって卜矢を放つ。その一矢は今の一の宮町(宮地)なる十二の宮の地に落ち、一矢は南なるこの所の大石に当たり、これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を残すという。
ここに一社を建て神矢を納めて矢村社と称す。
その矢 朽ち果てたるにより新に神像を奉安してこれに替え鎮祭す。』とある。」
コメント (5)
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高森町紀行-高森湧水トンネル公園

2015-03-29 11:36:00 | 観光・施設
予想よりも早く荷物は片づいたのですが、結局のところ月末と年度末の報告があるため、最後の最後まで運び出せないことに気付きました。
話を高森町観光に戻します。
観光案内所で「高森湧水トンネル公園」までの道程を教えてもらったのですが、やっぱりよく分からなかった。
適当に車を走らせていると偶然デカイ看板を見つけて、砂利の広い駐車場に到着することが出来た。w
「ここが湧水トンネルか?(表紙写真)」
近づいて下を覗き込むと、

「あ、こっちか。」
トンネルの上には建物が建っていて、こちらは「湧水館」という資料施設になっていました。
※入館無料、月曜休館

解説員の方もいらっしゃいましたので、お話を聞くことも出来ます。
そもそも何故こんな所にトンネルがあるかというと、現在南阿蘇鉄道は高森町が終着駅になっています。
しかし、元々は高森町からトンネルを掘って、高千穂まで鉄道を繋げる計画があったそうです。
全長6000m以上の大規模な計画です。
ところが、トンネルの入口から約2km掘り進んだ所で水脈にぶつかってしまい、毎分36トンもの水が出てきてしまいました。
この時、高森町の湧水8ヶ所が枯れて、住民の水道が断水する騒ぎになったそうです。
工事は一時中断になり、その後トンネルの計画自体がなくなりました。

トンネルの上からの眺めです。

右に階段があり、下りて行けそうです。
中に入るつもりはなかったのですが、上の湧水館で丁寧な説明を受けたので、入園料(300円)を支払って中に入りました。

工事を中断したまま閉鎖されていた高森トンネルと周辺を親水公園として整備し、掘削全長約2kmのうち550mを一般公開しています。
先の方に何やら電飾が見えてきました。

クリスマス飾りや!・・・時期外れなw
殺風景なトンネル内を楽しんでもらおうと、年二回、クリスマスと七夕の飾り付けを地元の幼稚園や商店街・企業が行っているようです。

トンネル内の最奥部手前に「ウォーターパール」があると聞いていたのですが、「ウォーターパール」とは?
特殊ストロボライトを利用して、一本の流水が水の玉に見えて、時には止まったり、時には逆流しているように見える、光と水のイリュージョンでした。

最奥部です。
壁からどんどん水が流れてきます。
『水質保全のため、お金等水路に入れないで下さい。』とお願いが書いてあるのですが、何故か日本人は入れちゃうのですね。w
水路の底を覆い尽くさんばかりのコインが見えます。w
トンネルなので、来た道を帰るしかありません。

屋外へ戻ってきました。
パンフレットと同じアングルで撮影しました。
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高森町紀行-高森町観光案内所

2015-03-28 14:30:25 | 観光・施設
流石に9年も同じところで働いていると、荷物が尋常じゃないくらいの量になっています。
「何故こんなものが?」といった物もたくさん出てきます。w
あと2,3回往復すれば、全部の荷物が運べそうです。
さて、話を高森町観光に戻しまして。
そろそろお昼も終わりそうな時間になってきたので、南阿蘇ビジターセンターに向かいます。
と、その前に広場が見えたので、立ち寄って写真撮影することにしました。

『月廻り公園』というそうです。
山の上に雲がかかっているように見えますが、一部は噴煙です。
阿蘇の中岳が現在噴火中なのはご存知かと思います。
※阿蘇山は現在噴火警戒レベル2の火口周辺規制がかかっています。
風向きによって火山灰が降りそそぐ地域が変わるそうですが、ほとんどが高森町に降ってくるそうです。
確かに風が強いと灰色の砂みたいなのが巻き上がります。
それから3月13日の近況報告にも書きましたとおり、南阿蘇ビジターセンターにて職員やボランティアの方々と色々なお話をさせて頂きました。
勉強になりましたし、色々と私自身が考えさせられることもありました。
あまり長居して、お仕事の邪魔をしては申し訳ないので、お暇することにしました。
時間はあるので、高森町の観光に出掛けようと考えました。
ビジターセンターまで来る間に「高森湧水トンネル公園」の看板を見かけていたので、行ってみることにします。
が、道が分からない。
どうも駅前の小さな路地に入り込んで、道に迷ってしまったようです。
仕方ないので、目に入ってきた「観光案内所」の看板の方へ向かいます。
少し離れた空き地に車を停めて、「高森町観光案内所」に着きました。

どうやら地元のバス停と併設されているようです。
中には物産も販売していました。
帰り際と思われる職員の方に声をかけて、高森湧水トンネル公園への行き方と高森町の観光名所を尋ねました。
「どんな所が?」と聞かれたので、「歴史が好きなので、史跡や文化財なんかあれば」と答えると2つほど推薦して下さいました。
情報と地図と資料を手に入れて、まずは高森湧水トンネル公園に向かいます。
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高森町紀行-穿戸羅漢山

2015-03-25 11:07:55 | 歴史・史跡
高森町で検索していると、長野県の高森町を探していました。
熊本県の高森町を散策しています。
高森自然公園をうろついていると、またしても史跡の標柱を見つけた。
「有形建造物 穿戸羅漢山(入口)」と書いてあるが、建物らしきものは見当たらない。
漢字も読めないが、何故こんな所に建っているのか、皆目見当もつかない。
こんな時こそネット検索だ。w
漢字の読み方は「うげどらかんやま」と読むそうだ。
ハイキングコースの一つらしく、登っただの歩いただの記述が出てくるが、どんな史跡なのかさっぱり分からない。
どうやら山の中に洞窟があって、その中に釈迦如来や観音様、十六羅漢像などがあるらしい。
ならばそういった物を文化財指定している筈だが、山全体を有形建造物で指定している。
山を人造する筈もなし・・?
謂われも何も、謎だらけの史跡でした。
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驚天動地

2015-03-23 13:54:41 | 平成新山
本日の平成新山です。
昨日のPM2.5が嘘のように(最近こればっかり)、雲一つなく晴れ渡っています。
午前中、雲仙勤務でした。
お昼前に下ってきたのですが、雲仙にて驚きの発表がありました。
4月から何か私は雲仙勤務になるそうです。
・・・は?
マジ!?ってかあと1週間しか移動の準備期間がないのですが?
流石に10年もセンター勤務だったので、あれやこれや物がいっぱいなんですが。
1週間で移動しきれるかな~。
ブログの更新は続けるにしても、平成新山の写真は減るか無くなるでしょう。
タイトルは・・・変えなくても大丈夫だな。
う~ん、この年度末の忙しい時期に予告もなしにとは。
すみません、もしかすると新年度が始まるまでの間、更新できないかも知れません。
残りの日数考えると・・・ヤベッ!急に焦りを感じ始めました。w
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高森町紀行-高森自然公園と御成山

2015-03-22 13:01:41 | 雑談・その他
今朝、眉山のヤマザクラが咲き始めている事に気付きました。
本日の平成新山は、PM2.5と黄砂の影響でうっすらと霞んでいます。
着実に春が近づいています。

時を遡りまして、3月10日(火)熊本県に渡りました。
3月13日の記事に書きましたが、南阿蘇ビジターセンターを訪問した際の報告です。
朝二番の便で熊本港に渡り、途中道の駅「大津(おづ)」でトイレ休憩を取って、南阿蘇に向かいました。
丁度お昼時に南阿蘇に着いたのですが、飯時にお邪魔しては申し訳ないので、近くの食事処で昼食を摂りました。
それでも時間が余ったので近くを散策することにしました。
その時に行き当たった場所が、表紙の写真「高森自然公園」です。
『本地域は、阿蘇くじゅう国立公園特別地域内に位置し、阿蘇外輪山の南東部にあたります。
 通称「九十九曲がり(くじゅうくまがり)」と呼ばれているカーブの多い道路(表紙写真の足下を見て下さい。)があり、沿線の桜は“高森峠千本桜”として熊本県下有数の名所の一つです。』
※さすがにこの時期は葉っぱを落としていましたが、見えている木すべてが桜だと考えると、全盛期は息を飲むほどの素晴らしさだと予想できます。
『ソメイヨシノやヤマザクラなど6000本あまりの桜が咲き誇り、麓から頂上までは標高差があるため、比較的長期にわたって桜を楽しむことが出来ます。』
また、阿蘇五岳が遠方に見える景色は最高ですね。
そんな高森峠(標高790m)の頂上付近に標柱が建っていました。

「史跡 御成山(おなりやま)」と書いてあります。
帰島してから調べたのですが、すでに史跡から外されてしまったのか、高森町の文化財にヒットしません。
仕方ないので、標柱の側面にあった記載を転載します。
『高森町から旧蘇陽町に通ずる外輪山八八二米の山を御成山といい、ここを通ずる旧道を御成坂という。
 太古、景行天皇が熊襲征伐の時この頂上にお成りになったのでこの名があると伝えている。
 大正の末期までこの峠の七合目に七合の小屋があり、付近には山伏塚、獅子口等がある。
 阿蘇五岳、南郷谷を一望にする景勝の地である。』
景行天皇と言えば、古事記・日本書紀に記される第十二代天皇ですね。
熊襲征伐は日本武尊の所業と思っていましたが、父の景行天皇も行っていたのですね。
日本書紀で、島原を指して「あれは島なのか陸続きなのか調べてこい」と言ったのも景行天皇だっけ?
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キイロスズメ(幼虫)

2015-03-22 09:13:35 | 昆虫
昨年の夏の終わり、9月27日にお隣の森林公園で撮影したイモ虫です。
正体は早くから分かっていたのですが、書く説明文が思いつかずに・・・。
イモムシハンドブックの3巻を買っちゃいました!
早いうちから3巻が出ているのは知っていましたが、すでに2巻まで購入済み、これ以上ずるずると買い続けるのは。
・・・と、かなりの時間悩んでいましたが、キイロスズメが3巻に収録されているため。
文一総合出版のトラップにかかったような気がします。
白斑状の小さな眼状紋、湾曲する短い尾角が特徴の、暖地で普通に見られるヤマノイモ食大型スズメガイモムシです。
食草はヤマノイモをはじめ、ナガイモ、オニドコロなどのヤマノイモ科の植物です。
この時も小さな足でひしっと掴まっているのはヤマノイモの蔓です。
かなり大型ですし、口から糸らしきものを吐いていたので、ここで蛹になるのかと翌日同じ場所に行きましたが、残念ながら別の場所に移動したようです。
蛹の状態で越冬し、翌夏から秋にかけて成虫が発生します。
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金浜断層を歩く6-ゴールとそのあと

2015-03-21 11:24:28 | ジオパーク
垂木台地におけるツバメの初飛来を確認した、春分の日です。
薄曇りですっきりとしない天気ですが、暖かい日です。
さて、金浜断層を歩くシリーズも最終回をむかえました。

国道251号線の金浜断層が見えるジオサイトに到着しました。
ようやくゴールです。
断層に沿って流れてきた金浜川も石橋の下を潜って、海へ注いでいます。

いやいや、お疲れ様でした。
予想よりもずっと長い行程でした。
ジオツアーの企画として下見のつもりで歩いてみましたが、長過ぎるし、途中休憩する場所やトイレがないのは致命的です。
バスに先回りしてもらう事も考えましたが、バスが待機できる場所もない。
仕方ない、この企画はお蔵入りにします。
それよりもこれから私の帰る方法ですが、ここからバスで小浜まで行き、乗り換えて雲仙に帰るつもりです。
・・・さっきバス走って行ったよな。
時刻表を確認すると・・・、次のバスは1時間待ちだ。
ええーい、ならば小浜まで歩くのみ!

金浜ゆーても同じ小浜町内やし、歩いて行けない距離じゃないでしょ。

すぐに小浜温泉が見える位置に出てきました。

雲仙警察署の前を通過して、

ほっとふっと105に到着しました。
何やらイベントを開催しているらしく、人でごった返しています。
リュックを担いで、町中を歩き回っている人もたくさんいます。
違う!私は参加者じゃないですよ!
おや、道向かいにバス停を見つけました。

丁度雲仙行きのバスが来る時間でした。
ものの数分で来たバスに乗って、雲仙まで帰りました。
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