ルイス・フロイス(1532~1597)
ポルトガル人イエズス会士(宣教師)。
1548年、16歳でイエズス会に入会し、インドのゴアへ赴き養成を受けます。また、同地において日本宣教へ向かう直前のフランシスコ・ザビエルと日本人協力者ヤジロウに出会います。
1561年にゴアで司祭に叙階され、1563年31歳で横瀬浦に上陸し、日本での第一歩を記します。
1580年の巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、その後全国を巡って見聞を広めました。
日本を報じる60通を超える書簡のみならず、その時の記録が後に『日本史』と呼ばれることになります。
その中でキリスト教だけでなく織田信長や豊臣秀吉、大友宗麟父子などといった歴史上の有名な人物についてもいきいきと伝え、当時を知るうえでの貴重な資料となっています。
1597年、フロイスは長崎西坂での殉教事件の報告を最後に、5ヶ月後に長崎で息を引き取りました。
11月26日にアップした横瀬浦の港を撮影した、横瀬浦公園から階段を下りてきた場所にフロイスの像がありました。(写真の左端に写っている階段がそれ。)
ポルトガル人イエズス会士(宣教師)。
1548年、16歳でイエズス会に入会し、インドのゴアへ赴き養成を受けます。また、同地において日本宣教へ向かう直前のフランシスコ・ザビエルと日本人協力者ヤジロウに出会います。
1561年にゴアで司祭に叙階され、1563年31歳で横瀬浦に上陸し、日本での第一歩を記します。
1580年の巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノの来日に際しては通訳として視察に同行し、その後全国を巡って見聞を広めました。
日本を報じる60通を超える書簡のみならず、その時の記録が後に『日本史』と呼ばれることになります。
その中でキリスト教だけでなく織田信長や豊臣秀吉、大友宗麟父子などといった歴史上の有名な人物についてもいきいきと伝え、当時を知るうえでの貴重な資料となっています。
1597年、フロイスは長崎西坂での殉教事件の報告を最後に、5ヶ月後に長崎で息を引き取りました。
11月26日にアップした横瀬浦の港を撮影した、横瀬浦公園から階段を下りてきた場所にフロイスの像がありました。(写真の左端に写っている階段がそれ。)