島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

ドクターヘリ

2011-02-27 13:26:24 | 雑談・その他
先日、当センターの駐車場にドクターヘリが着陸しました。
いざという時のため、当センターの駐車場はドクターヘリの離着陸場に指定されています。
救急患者が発生した場合、島原市の消防本部から協力要請の電話があります。
以前にも一度協力要請の電話があったのですが、その時はより現場に近い方が良いとの判断で当センターには着陸しませんでした。
今回はまゆやまロードで事故とのこと。
暫く救急車で治療が行われた後、ドクターヘリによって搬送されました。
来館されたお客様は突然のヘリ離着陸に目を白黒させていました。
航空実播のヘリといい、今月はやけにヘリコプターに縁があったなあ。
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月と朝焼けの平成新山

2011-02-26 15:20:35 | 平成新山
数日前の休日の朝、忘れ物を取りにセンターに寄った際に撮影しました。
左奥に見える白い点が月です。
朝焼けで平成新山が赤く見えています。
山肌にはまだ若干の雪が残っています。
月の白、朝焼けの赤、残雪の白、1年でもそうそう見られる光景ではありません。
暖かくなってきたからか、お客様の数が増えてきました。
今日も今の時間まで手が空かず、更新がこの時間になってしまいました。
月末から月始めにはまた寒くなりそう(2月12日記事「寒気が1周」)です。
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ハマジンチョウ

2011-02-24 13:16:28 | 植物
今の時期に天草に行ったとなれば、目的の1つはコレでしょう。
暖地の海岸の岩場などに生える常緑低木、ハマジンチョウ科の「ハマジンチョウ」です。
日本では九州西部以南にのみ分布する珍しい植物です(例外的に三重県志摩半島でも見ることができます)。
高さ1~2mほどになり、1~3月に薄い紫色の花を咲かせます。
苓北町富岡のハマジンチョウは、熊本県の天然記念物に指定されており、またごく近い将来における野生での絶滅の可能性が極めて高いものとして“絶滅危惧種”にも指定されています。
海岸に生え、葉がジンチョウゲに似ているのでこの名前がつきました。
果実は直径1cmほどあり、コルク質で軽く、海流にのって運ばれます。
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V字形

2011-02-23 13:58:31 | 野鳥
空?
いえいえ、撮影ミスでもありません。
昨日、所用で熊本は天草へ渡っていました。
お昼くらいの時間だったと思います。
頭上から「コーアッ、コーアッ、コーアッ」とかなり大きな声が聞こえてきました。
始めは気にしていなかったのですが、どこから鳴いているのだろうと空を見上げました。
どこにも鳥らしき姿は見えません。
「おかしいな?」と思いつつ、空の高い所まで視野を広げてみると、

「おお!V字飛行や!!」
ツルじゃねぇ?ツルの北帰行(ほっきこう)じゃねぇ!?
用事そっちのけで一人興奮していました。
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長崎甚左衛門の墓

2011-02-20 13:13:28 | 歴史・史跡
えー、ちょっと島原を離れまして(島原半島博物日誌なのに)、実家のある時津に帰っていた時の写真です。
こちらは長崎県指定の史跡「長崎甚左衛門(ながさき じんざえもん)の墓」です。
今回、島原の歴史を勉強中にこの長崎甚左衛門の名前が出てきました。
地元の時津にはこの長崎甚左衛門の墓があることを思い出し、久しぶり(それこそ二十数年ぶり)に行ってみました。
基本的に場所や道順は変わっていませんでしたが、昔はもっとうっそうとした所だったような気がします。
さて、この「長崎甚左衛門の墓」には“長崎港開港の祖”というキャッチフレーズがついています。
なので、小学生の私は唯単に「長崎港を(土木工事で)開いた人だ」との認識しか持っていませんでした。
ですが先に記したように、島原の歴史を勉強中にその名前が出てきたのです。
疑問を持って調べてみると、キリシタンに関わる人だったことが分かりました。
以下、時津町教育委員会設置の解説板より
「長崎氏は、代々長崎の領主でした。
妻の父であるキリシタン大名の大村純忠と謀り(甚左衛門自身も洗礼を受け、ベルナルドという洗礼名を持つ)、平戸・大村・島原の商人を招いて今の長崎県庁付近に町を開き、元亀二年(1571年)南蛮人と交易するための港(長崎港)を作りました。
禁教により、天正十五年(1587年)長崎を失い、時津に七百石を与えられましたがそれを受けず、久留米・横瀬浦(西海市)を転々として時津に移り住みました。
元和七年(1621年)12月、七十年余りの生涯をこの地で閉じました。」
自分が幼少を過ごした頃の土地と島原の地を結ぶ意外な接点があり、驚きました。
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本日の平成新山

2011-02-19 13:34:54 | 平成新山
本日の平成新山です。
月曜日に垂木台地では雪が降り、一時平成新山も真っ白に雪化粧していたのですが(16日写真)、木曜日からの雨ですっかり溶けてしまいました。
黒い岩肌に少しだけ残っている程度です。
垂木台地の今朝の気温は3℃、氷点下まで下がることはなくなってきました。
油断してると寒波が来るかもしれませんが、しばらくは大丈夫でしょう。
水曜日以降、悪天候のため休んでいた航空実播のヘリも、昨日の午後から再び作業を開始しました。
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みそ五郎公園

2011-02-18 13:41:07 | 観光・施設
南島原市西有家町の「みそ五郎公園」に行ってきました。
「みそ五郎」は島原に残る民話に出てくる巨人です。
「みそ五郎」についてはそのうち紹介致します(最近コレばっかりだな)。
今回は公園の紹介なのですが、公園だから特に記すこともないな~。
初めて行ったのですが、思っていたより広かったです。
山の斜面、というか谷地形に作られた公園で、傾斜がきつかったです。
中には大型の遊具もあり、お子さん連れが遊びに来ていましたが、夕暮れ時間近で寒くなってきていたので帰り支度をしていました。(時間帯が悪過ぎた~w)

「みそ五郎どん、発進!」
何だか変形して、飛び立ちそうだな。w
公園の一番上まで登ったのですが、残念ながらこの日は視界が悪く景色は楽しめませんでした。
天気がよければ、有家の市街地や湯島が見えたことと思います。

代わりに公園入口のグラウンドです。
野球の試合なども行われるようです。
寒空の下、ランニングをしている人が何人かいました。
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山田右衛門作住居跡

2011-02-17 13:14:54 | 歴史・史跡
南島原市の史跡「山田右衛門作(えもさく)住居跡」です。
場所は説明し難いので割愛しますが、口之津町です。(島鉄の旧線路脇にあります。)
島原の乱に詳しい方はご存知だと思いますが、島原の乱唯一の生き残りがこの「山田右衛門作」さんです。
そういった糸口から調べてみるとこの人は大変面白いと言っては失礼ですが、紆余曲折を経た人生を送った方でした。
追々人物のカテゴリーを作って、詳しく解説したいと思いますが、今回は史跡としてご紹介します。
もとはポルトガル人に絵を習った南蛮絵師で、島原の乱が勃発するまではこの口之津に居を構え、絵を描いていました。
奥の立て看板の下に石碑がありますが、これは右衛門作の供養塔として遺されたものです。
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Only now;今だけ

2011-02-16 13:11:50 | Weblog
見えますか?
平成新山の右下にヘリコプターが飛んでいます。
どこの事業が分かりませんが、航空実播が行われています。
朝からヘリが往復しながら、砂防ダム周辺に空から植物の種を播いているそうです。
霧島の新燃岳噴火で発生が心配されている「土石流」ですが、ここ雲仙普賢岳の噴火でも度々土石流が発生し、甚大な被害が出ました。
噴火後、植生の回復とともに土石流の発生も頻度を減らしましたが、今もって心配される事であります。
(実際、昨年6月には赤松谷上流で土石流が発生しました。)
この光景は、火山と人が共生するための象徴的な画なのかも知れません。
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坂本龍馬上陸の地

2011-02-13 13:18:41 | 観光・施設
観光地ということでアップしておきましょう。
私は天の邪鬼な性格で、世間の熱が高いうちは何の興味も持ちません。
ある程度熱が冷めてから、少しずつ興味が出てくる難儀な性格です。
ですから、ここも今はあまり興味がありませんが、見つけたからには紹介しておきます。(程度です。)
列強4カ国(英仏米蘭)の下関砲撃が予測される時、調停の為長崎出張した勝海舟の随行員として坂本龍馬らは熊本より来島しました。
1864年2月21日のことです。
当時はここに船番所があり、そこを通り中村別当宅で休息の後、長崎へ急行しています。
帰りも立ち寄り、熊本へ渡海しています。
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