天気の良い札幌、しかしながら、除雪した雪の捨て場となっていたところにはまだ残雪があり、その上を通る風は冷たい。
ギャラリー巡りの記事を分割したのは、最初に行った「バンクシー展 天才か反逆者か」の写真を少し多めにアップするからである。時間指定入場券を予約しており(11:00~11:30)、混雑を避けてバスセンター前駅から会場に向かう。
11時ちょうどに行くと混雑するのではないかと思い、少し遅れ気味に入るつもりだったのだが、常に余裕を持って行動する慎重な癖が災いして、会場にはまさに11時に着いてしまった。
しかし、入場者はそれなりにいるものの特に行列と言うほどではなく、チケットをチェックしてもらい、手の消毒をしてから会場内へ。
入ったばかりのエリアはそこそこ混雑している。私は東1丁目劇場(旧北海道四季劇場)に入るのが初めてなので、会場の全体感が分からないから、どんなペースで見ていいか分からないよね。この先、どれだけの展示があるかによって、多少、動き方も変わるというものである。
展示の最初の方に劇場スペースがあり、世界各地のバンクシー作品を映しているようだったので、あまり映像作品を見ない私もとりあえず席に座る。混雑は全然しておらず、少し場所を選べば、他人からはちゃんと離れて座ることができる。
で、この映像だが、軽快な音楽(ジャンルを言い難いが、いわゆるワールドミュージックかな)に乗せて、世界各地にあるバンクシー作品が3面のスクリーンに映し出される。真ん中のスクリーンの映像は、CG処理がしているのか、描かれたキャラクターが動いたりする。なかなか軽快で見ていてつい気持ちが乗ってくる映像展示だった。
この後、バンクシーの作品を見て、2つ思ったことがある。一つは英米系のユーモアということ。星新一に自らコレクションするアメリカの一コマ漫画を紹介した「進化した猿たち」という本があるのだが、それを見て感じるユーモアに近いものがいくつかあった。日本だと四コマ漫画の起承転結が主になるが、アメリカでは一コマの図+登場人物のセリフで落とすものが多いのである。
これにセリフを付けるとしたらどうなるかな。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」かな(良いアイデアが浮かばず…)。
次のような間男モノも、マンガだと先に隠れている男がいて、いったい何人と浮気をしているんだという笑いになったりする。
もう一つ思ったことが、自由の訴求である。自由と言っても好き放題に過ごしたいという自由では必ずしもない。まず一つは戦争に巻き込まれない自由。戦争はいかなるものであっても愚かで間違っている(「WRONG WAR」)。
それから官憲に好き勝手なことをされない自由。
自分のことを監視されない自由。
そして、資本主義、商業主義がこの世にあるとしても、それに個人の生活を好き勝手にされない自由だ。
そんなことを思いながら展示を見たが、思った以上に展示路は長く、それなりに満足したのであった。「それなりに」というのは私の絵画の好みが、実にアカデミックでクラシックだからである。
会場は北海道電力の北側、中央バスターミナルの東側であるが、この辺一帯の再開発はいつ頃になるのかな?