天皇皇后両陛下が4月9日パラオ共和国のペリリュー島で戦没者の慰霊をされ、同夜帰国された。西太平洋の点在する島々で構成されている、パラオ共和国は第一次世界大戦前はスペイン~ドイツの殖民地であり、極貧の島であった。戦後は日本の委任統治領として、生活文化、教育、インフラ整備等々で格段に生活水準も向上したものだが、大東亜戦争の敗戦により、米国の統治下におかれ再び殖民地化され、今日に至っている。そのなかでも今回慰霊に行かれた《ペリリュー島》は、戦前から東洋一の飛行場を作る計画があったことから、小島ながらも米国側からみれば最重要戦略拠点(ここを足場に日本本土空襲なども可能)であったため、日米軍の死闘が繰り広げられた島であり、日本側約1万人、米軍側の約2千人の将兵が戦死している。パラオ国民の親日度は格別であり、国旗のデザインも青地(海)に黄丸(満月)で日本国旗と色こそ異なるが全く同じである。高齢者の大部分が、日本語はペラペラで、昔の話の内容も、極端に日本びいきであるのが、近隣の諸国の嫌日と対称的に好感を持てるである。ただ、今回の両陛下ご訪問で感じたのは、宿泊が海保巡視船《あきつしま》であったことである。パラオは観光立国であり宿泊施設もピンからキリまであるだろうし、現地の住民の家に泊まるという選択もあっただろう。いかに大型巡視船といっても、船内は通路も狭く、ハッチなどもたくさんあり、ご高齢の両陛下にとっては結構大変ではなかったかなと思う。両陛下の、70年前当時の暑さや悲惨さなどの体験を味わいたい・・というご要望であれば身も蓋もないが、受け入れ側のパラオ共和国の立場からも巡視船宿泊というのはあまり感情的にもよくなかったのではと思うのだが・・。同国の保安や警備が不十分とは言えず、夜中に巡視船のヘリコプターで船に戻られる場面をテレビで観ていて、巡視船乗組み員も大変だろうなとつくづく感じた次第である。