夜明けの来ない朝はない、なんっちゃって!
実は、寝坊した。 で、寝正月…(´へ`;;;)。
最近の通過儀式。
これから、2パターン。第一のコース、「正常に起動」。第二のコース、前述のコースを2回ほど繰り返し、それでも立ち上がらず、「スタートアップ修復」が起動。
これで、半時間以上を無駄にする。ぼくの晩年。貴重な時間が無駄に削られている。
最終的に、起動するのだが、最悪1時間、翻弄されている。
イタブラレテいるいる。漢字では、甚振られている
Windows95の時代、「上書きインストール」という便利なツールが用意されていた、OSには。立ち上がりに不調があれば、OSのディスクを挿入し、待つこと暫しで、データはそのまま、OSのみリフレッシュできた(ように思う)。Windows98でも、MEでも、XPでもできたはずだ。VISTA以外、お世話になった。今となっては恥だが、OS歴代、不始末を仕出かし、その都度、救済されてきたことになる。
しかるに、Windows7には、「上書きインストール」がないの? DSP版だから?
通常の真っ新な更地にしてしまう前に気づいて、思いとどまったのはエライ、と自慢にもならない。
救いようのない気分でいる。
Tシャツ一枚ではしのげない夜明け前のひと時、季節の変わり目を感じる。果たして今年の冬は越せるのだろうか、と自問する。冬の朝でも水道水で洗顔してる間は大丈夫だろうと、反問。プール通いのおかげか、体調はすこぶるよい。食欲がありすぎて困るのが難だ。
晩御飯は「てるてる絵日記」さんの差し入れ、ゴマ豆腐がおいしい。松阪市阪内町産。それに合わせて、娘自慢のクッパ、秋口には嬉しい一品。食が進んでいる。
その恭子ちゃんのブログが滞っているのはパソコンが昇天したため。今日、発注。先週の清子ちゃんに引き続き2台目となる。症状はともに、突然、スリープ状態になって、息を引き取った。何の予兆もなく、それこそ、眠るがごとく。幸い、2台とも分解してハードディスクを取り出し、調べたらデータは生きていた。さぞ、肝を冷やしたことだろう。
やらかしたと思っても、救済の手立てはある。ただし、要は日頃の行いだろう。誰にでも奇跡が起こる訳じゃない。
暗いと不平を言うよりも、すすんで灯かりをともしましょう。
俺たちに明日がないなら、俺たちには「今日がある」のだ。
夜明けの来ない朝はない…。
「ダイセンジガケダラナヨサ」。
若い日のおまじない。ぼくらの周りで流行ったのはごく一部かも知れない。カッコつけてこう唱えたものだ。意味は、なんでもない。逆から読めば…、
さよならだけがじんせいだ
と、なる。
出典は、于武陵という人が作った、「勧酒」。唐の時代、五言絶句の唐詩だ。
作家の井伏鱒二の名訳が以下だ。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
無常ということの覚悟。母親の死に接したとき、切なさを振り切ろうと呪文のように胸で唱えた。
ダイセンジガケダラナヨサ
が、哀しみが薄れる訳などないと、確信しただけだった。
訳などあろうはずがない。馬鹿になって、馬鹿のように、そうした。
以来、長い間。この呪いは封印されていた。
ぼくには、「南平」姓をもつ大切な人が二人いる。
一人は。高校の先輩、地学教諭にして、作曲家の南平秀生氏。「伊勢志摩おもしろワールド」の主宰である。
もう一人が、近鉄駅員から家業の大工を継いだ、建築業の「南平康義」くん
6月のはじめ、高校1年のクラスメートだった、大忠食品株式会社 社長西村修一君からメールが届いた。
大変ご無沙汰しております。南平康義君の葬儀に6月5日(金)お参りしてきました。ご冥福をお祈りします。あまりに急なことでどこまで案内して良いものか悩みました。葬儀が終わりましたのでご案内させていただきました。
業務多忙な西村氏、簡潔な文章ながら、適切だ。
仕事にならない。
走馬灯のように思い出が駆け巡る。
一年に一度、突然、教室に現れ、授業中でもお構いなし、背中を向け、一人遊びのように、タイプ・レッスンをしていたものだ。
パソコンちゃ大工の修業と一緒やのぉ、頭で覚えるもんじゃなく腕に覚え込ませるもんやぞ
おっしゃる通りで、「お前はわかっとるなぁ」そのフレーズを戴いた。
美術部だったが、大工の倅だからと、ぼくの所属する演劇部に舞台監督として引っ張り、県の演劇コンクールに入賞をもたらせてくれた。それ以来、方々の部に呼ばれ(押しかけ?)、卒業アルバム、複数のページに「南平」が登場している。
ぼくが家業の化粧品屋を継ぐと決意したとき、はなむけに手作りのポスターを贈ってくれた。男性化粧品の瓶の陰影・光沢など、写実的で、見事なまで印象的だった。
母親の介護をしなければ…、と教室を訪ねてくれたのが、2012年正月明けのこと。ぼくのだらしなく伸びっぱなしの無精髭を、前に来たとき見て感じたのか、彼も髭を蓄え、しかもきれいにトリミングしていた。ぼくに諭すためにか、何かにつけ、彼は(ぼくを教えるために)よくこうしたものだ。シャイだったし、口が上手な方じゃなかったから、「手本にしろ」と口に出さずに教えようとした。それが彼のスタイルだった。寡黙だが、アイビーについてはうるさかった。
高校生から、メンズクラブを愛読し、就職を決めたのも、トラッドなファッションを購うためだったのかも知れない。
つらつら書いているのは、彼への決着を求めているのかも知れない。
7月の最終週、燕が巣立って行った。残骸を後始末もせず。
燕は来年も来るだろうけど、旧友は帰らない。
さよならだけがじんせいだ
ぼくの未練であり(逝くなよ)、後悔であり(もっと逢っておくべきだった)、すべてぼくの側の責任だ。なのに、繰り言を並べる。
お盆が近づき、ぼくのなかで呪文が復活している。
ダイセンジガケダラナヨサ
花に嵐の譬えもあるぞ さよならだけが人生だ。
後日、西村君から、「アルバムの整理していたら、こんなものが出てきた」と、メールに画像を添付して送ってもらった。高1の秋、伊勢道路を通り、大王崎の灯台まで仲間たちとサイクリングした時の一葉だ。ぼくが初めてドロップハンドルの自転車をゲットした時の記念だった。その頃、既に西村君は名古屋辺りまで自転車で往復してたようだ。伊勢道路が出来たての、交通量も少なくて、ピカピカしていた頃、通行料は有料で、自転車は10円(?)だったかな。
少し気になり、facebookにボヤカセテもらったことだが、ネットショッピング中に詐欺ソフトらしき不審な画面が現れたと電話あった。近くだし、ノートPCでもあるので、電源を落とさずにそのまま蓋をして持ってきてもらうことにした。
間もなく還暦を迎えようという、綺麗で、上品な女性である。このような不埒なソフト、不肖なぼくならいざ知らず、また、好奇心旺盛でヤンチャな畏友(スマヌ<(_ _)>)ならともかくも、品行方正を絵に描いたようなご婦人のパソコンにまで出現するような事態は、実に、由々しい。
ごくなんでもない、大手のショッピングモールから、突如、出現したというが、もし、通信速度が下がり、重いパソコンなら、クリックしてしまいそうだ。
よく読むと怪しげな日本語、間違ってもクリックしてはいけない。
数回、ウィルス対策ソフトの完全チェックをかけ、除染ツールで確かめ、半日、異常のないことを確認した。なにせリッチなご夫人だけに慎重を期した。
で、最後にWindowsのアップデート、ところが、7月にリリースされるWindows 10のご予約をしてしまっている。
私事であるが、7から8に移行する時、何も考えずアップグレードしてしまって、ブルーレイのディスクが見えなくなってしまった一件を思い出し、それとなく、アドバイスを。
なにも貴女が人柱になることはないですよ。充分バグが出きって対策を施されてからにしましょう。
きっと駿なら、さっとんなら、頷いてくれる筈だ。
Windows8の時、スタートボタンがないなど、勝手が違うと、不満が渦まき、ほどなくして8.1になったことは記憶に新しい。模様眺めと行くか、人柱になるか、それはそれは悩ましい。
教訓。万が一、クリックしても、放置しよう。心配なら、交番に届けること。迷惑なソフトをインストールしたとしても、削除はできるから大丈夫。Windowsの10への予約も解約できるので心配しなくてもいいです。
深夜の店仕舞い、自転車を片付けようとしたら、ハンドルにちゃっかりお父さんツバメが羽根を休めている。うたた寝をしているのだろう、ぼくに気づきもしない。ぼくが無害だってこと、彼らにも認められているのだ。
お母さんツバメは巣の中。赤ちゃんツバメに添い寝している。
「コレコレ、寝てちゃあ、見張りの役目をしていないぜ」
この季節は通路はじゅうたん爆撃のようなフン害に悩まされる。しかし、なぜか憎めない。頑張る、お父さん・お母さんツバメの活躍をそっと支援している。
ご来訪のみなさん、もうしばらくの間、頭上にご注意いただき、幼子の巣立ちを見守っていただきたい。
Belle Vague Bienfaitさんの看板の上には、もう一羽、お父さんツバメが…。2所帯を確認。「起こして、すまん」。
昨年のクリスマス・パーティに着たきりのブレザー。
クリーニングに出そうとポケットを探っていたら、
出てきたのが、第669回全国自治宝くじ。
いわゆる、'14年末ジャンボ宝くじだ、1等5億円。
買ったことさえ覚えてないダダクサさに自分でも呆れるが、
それが、何と、当たりくじだった!
生まれて、初めて吐いた嘘だ。エイプリル・フールに免じてご容赦いただきたい<(_ _)>。
情けなくも、恥ずかしくもあるが、ぼくは、依然、大貧民だ。創業100年以上の、鵜方の老舗、おとやの大将と、いかに自分が最下位の人間であるかの自慢をしあったが、思いやり深い大将の方はもちろん「洒落」としてで、ぼくが正真正銘の最下位人間であることは間違いない。
例えて言うと、
金ヶ崎の戦い、浅井の裏切りで泡を食った信長軍の撤退戦として殿(しんがり)を務めた秀吉と言えばカッコいいのだが、そうではなくて、マラソン大会でビリを定位置とするぼくの「お先にどうぞどうぞ」と居直るぼくってどうだろ
負けるな、一茶、ここにあり、か。
こうして、ぼくの四月が始まった。金はなくとも、健康で過ごせる毎日が大切なんだと実感する日々。
ありがたい。