一つの節目といおうか。200本目を目前にして、しばらくブログを更新できない状態が続いて来た。別に意識した訳ではない。諸般の事情でそうなっただけである。したがって本編が200本目である。三日坊主の自分にしてはよく続いたものだと他人事のように感心している。この距離感がよいのかも知れない。
それでも皆さんにはご心配をおかけしたようだ。mogeさんが突然訪ねてくれたのも、口には出さなかったが、
何かあったか
と気づかってくれたのだと思う。4日の初釣りでは、年末の不振を払拭するかのような釣果をあげ、教室に届けてくれようとしたのであるが、あいにくと不在で伊勢にいたため叶わなかった。もらい損ねた魚は大きい気がしてならず、残念な思いを抱いている。
その頃、ぼくは高校時代の下宿付近を散策していた。勢田川のほとり、鉄橋を蒸気機関車がモクモクと煙を撒き散らし渡っていく姿はもはや幻でしかなく、味気ないディーゼル車が通り過ぎるだけだが、その汽車のボォーという汽笛が目覚まし時計だったこと懐かしんでいた。川辺はことのほか寒いことに気づく。風は身を切るようである。だが当時のぼくは犬ころのように跳ね回っていた。無神経なほどタフで、無邪気だったと思う。今とても信じられないのであるが、それが「加齢」なのだ。それを認め、折り合いをつけようとする自分がいる。
年が変わって、よく歩くようになった。身体の切れを意識している。別にメジャーリーグを目指そうというのではない。歳末のショッピングの最中、ショーウィンドウ越しにコチラに向かってくる初老の男性の姿を見て、
アアは成りたくないなぁ
と心底、思ったのである。ところが、何のことはない、反射するガラスに映る己が姿であることに気づき愕然とした。見栄っ張りが人生を変える。そう信じたい。