ぼくたちの日常にとって芳香はとても大切だ。かほりと表わしたくなるほどの好い匂いは、ストレスを和らげ、砂漠のオアシスのように心を癒してくれる。ふと嗅ぐシャンプーの薫りやシャボンの残香、センスのよいコロンの余香など教室はいつも優しい香気に包まれている。
バジルやミントなど路地植えのものを運んでもらったこともある。また、最近では、マリアージュ・フレールという素晴らしいフレーバー・ティーや、ベルギー製のゴディバの珈琲に接する機会を得た。柄に無く、香りづいている昨今である。
芯から痺れるような疲れを覚えるとき、いただいたお香で教室に満たす。自分への褒美である。「芳輪 堀川」は、白檀の甘みを強調したまろやかな香りがして、ぼくには最高の癒しとなる。
デューク・エリントン楽団を聴きながら、お香を楽しむ。このアメリカのジャズとあまりに日本的な芳香との取り合わせが興に乗り、今、マイ・ブームなのだ。
そうだ、香りで思い出したことがある。
ぼくの眉の白髪を抜いてくれたり、「肩を揉め」「揉まない」でそれこそモメたりと、唯一、恋人接近を許される女性が娘である。もっとも肩揉みするのがぼくの方、とオチがつき、さらに、それさえ恩に着せてくるのだが…。
それでも、時として口論になるときがあり、その時、ぼくに最大のダメージを与える悪態と彼女は思いこんでるらしいのだが、
「カレイシュー」
という言葉を発する。
「カレイシュー」とは、「加齢臭」のことらしい。ところが、当の本人(ぼくだ)にはその自覚が無い。毎日風呂に入っているし、洗髪も欠かさない。歯だってきちんと磨いているはずだ。ぼくに体臭なんかあろうか。
堪えるどころか、その言い方が可愛く、フランス語の響きのようにも思えて、
「もう一回言ってみてくれぇ、あんたの発音、可愛~いっ!」
と、ぼくは返す。親の欲目だろうか、彼女の声はアニメ声のようで、天使の声に聞こえてならないのである。
加齢を重ねたのは確かだが、その分、鈍感になり、打たれ強くなっている。これもポジティヴ・シンキングだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます