友の死からちょうど1年が経とうとしている。日々心のなかで彼に語りかけている自分がいる。「まさか…」。急逝の報に接した刹那の思いが今なお続く。
「隠居したら存分につもる話をしような」
ある日交わした約束は千切れ雲のように消えてしまった。「いつか」などありはしない、今日しかない。「やがて」などありえない、今しかないのだ。こうして繰言をならべるぐらいなら、鬱陶しがられるほど逢っておくのだったと後悔しきりだ。久闊を叙すということが如何に幸せなことか。己の足回りの悪さを、怠惰さを責めている。
彼の遺された子らは、彼のギターを弾き語った時代を知っているのだろうか。ビールを呑みながら呟くような、囁くような歌声が記憶に甦る。まるでウッディ・ガスリーのようだった。君たちのお父さんはトム・パクストンを歌ったことがあるのだよ。仕事に励み、多くの人の支えとなった男のプリミティブな頃。無性に懐かしい。なぜか、今日、音楽に包まれるのを拒んでしまっている。
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