自分の「ご機嫌度」を測るには、鼻歌がいちばん。
というのも、今、煙草のウマさをもっとも知る男がぼくであり、隙あらば鰹節を狙う猫のごとくシガーを追うばかりか、一服という甘美なフレーズに飢えるあまり、不機嫌の種は尽きないのだから。幸いにして教室のドアを開けてくださる皆さんのおかげで快活にしていただき、見苦しい姿を晒すことはない。いえ、少ない…はず(?)
今日の上機嫌は、スウィング・ジャズをハミングしてることで分かる。
- シング・シング・シング(ベニー・グッドマン)
- ビギン・ザ・ビギン(アーティ・ショウ)
- チェロキー(チャーリー・バーネット)
- A列車で行こう(デューク・エリントン)
あたりを口ずさめば、まあ一人遊びが楽しくできてる状態。
そんなハイな状態で、ハタと気づいた。ぼくが日本人であることに。
鈴木章治のクラリネットを真似て、「鈴懸の径」を歌っていることが多いのだ。
「灰田勝彦の歌じゃん」と知ってる人は少なく、「何ソレ」という人の方が多いだろう。戦前、1942年の流行歌である。鈴懸とはプラタナスのこと。えらっそうな顔はしない、最近知ったばかりだ。当時、立教大学出身者の作曲者(灰田勝彦の兄)が、母校のプラタナスの並木をイメージして作ったという日本初のキャンパス・ソング。一風変わったモダンさで、故鈴木章治が自分のスィングバンドのレパートリーにしていた。
世の中は面白い。偶然なのか、必然なのか。こんなドラマとあいなった。
1951年1月、スイングの王様といわれるベニー・グッドマン楽団が来日し、そのときに、ベニー・グッドマンと彼の楽団でリード・アルト・サックスを担当していたピーナッツ・ハッコーが、銀座のクラブで鈴木章治とリズム・エースが演奏していたのを聴いた。スィングの王様、ベニー・グッドマンは鈴木章治という日本人クラリネット奏者を賞賛し、ピーナッツ氏は「鈴懸の径」に魅了された。そればかりか、彼はこの曲の録音にゲストとしてクラリネットで参加したレコードは、1951年、ジャズ・レコードの記録を破る大ヒットとなった。
その曲を乳母車で聴いてたぼくが、今、自分で運転しない乗用車や電車の中でハミングしてるだけではない、必死で自転車のペダルを漕ぐとき、ズンズンと4ビートを体現している。蒼空に突き抜けるクラリネットが心地よい。冬の寒さを忘れるぞ。
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