邦題が、「明るい表通りで」として知られる、スィング時代(1930年代)を代表する名曲である。トミー・ドーシー楽団でヒットした。サッチモ、ベニー・グッドマン、ペギー・リーら多くのシンガーによって歌われ、誰もがきっと一度は耳にしたことがあるだろう。ぼくはヴィブラフォンの名手、ライオネル・ハンプトンの演奏と歌で聴いた。このメロディ流れると、知らずにご機嫌な気分になってくる。
上着をつかみ帽子をとって
悩みごとなんか玄関に置いて歩き出そう
心配なんか忘れて明るい通りへ聞こえて来るのは、弾む君の足音
人生は楽しい
明るい通りで日陰の通りで
哀しみを引きずり
歩くのをやめて
明るく上を向いて通りの明るいところに行けば人生も楽しいものさ
と、人生を謳歌する歌に聞こえるが、この歌の誕生は大恐慌の最中だ。邦題も怪しくて、いささか趣が異なってくる。サニーサイドは陽のあたる場所であり、シェイドは陰のこと、表通りと裏通りのことでは決してない。
通りにはいつも陽の当たる側(サイド)と、陰になって陽のあたらない側とがあって、自分はずっと陽の当らない側ばかり歩いて来たけれど、これからは陽の当たる側を歩いて行こう。そんな痛切な意思が感じられる。アメリカが不景気のどん底に喘いでいた頃にこんな歌が生まれている。ジャズの強さだ。
で、話は今日の「純情きらり」になる。戦争が終わって、代用教員として働く桜子は、子ども達にジャズを教え、彼らの心を慰めている。特に親族を亡くした疎開児童に、「陽のあたる街角」としてこの曲を教え、文字通り怨念を越えて明るく生きよと彼女なりに諭すシーンは印象的だ。この曲は、「陽のあたる街角」というタイトルがもっとも似合う。
冬吾夫妻は絵が売れてずい分裕福になったようだし、杏子家族も幸福な暮らし向きが伺える。陽射しが貫いたようだ。一方、戦時中に心ならずも軍部の意向に沿った絵を描いたヤスジと八重には戦争協力者の烙印を押され世間の冷たい視線が突き刺さる。戦争の陰は去らない。では、桃子はというと…。
どうも今週、来週は目が離せない。朝、7時30分の衛星放送を待ちかねるようにテレビの前に陣取っている。彼女のジャズ・ライフが始まるのか。ぼくの興味はその一点。火曜日の淑女たちは、
「達彦さん、キタ━━(゜∀゜)━━!」
で盛り上がっているというのに。
それと戦争が終わったからと言っていいことばかりがある訳ではなく、それで心に傷を負った人がいたということを知りました。
戦地から帰って来た、達彦さん帰って来てから様子が変わったようで、桜子とはどうなるのかますます気になるところです。今後のストーリーが気になります。