4月からのマイ・ブームが村上春樹である。再読どころか、20代、30代、40代と、それぞれの世代で折に触れ読んできた。飽きないどころか、いつも新鮮な発見があって、初めて覚える感動に動けないときがある。致命を過ぎると未知の事柄が少なくなり、これまで不明だった部分が理解どころか共感を伴って迫ってくる。齢を加えるってこういうことなのか、爺になるのも悪くない。それにしても作家って凄い。読者の成熟化やその重なる読書体験に晒されても決してメッキが剥げない。村上春樹という人の凄みだ。
処女作、「風の歌を聴け」から始まり、「1973年のピンボール」と続き、どのお店も上巻だけが売り切れて在庫がなかった「羊をめぐる冒険」はスキップして図書館で借りた、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」も終盤にさしかかった。ハードボイルド・ワンダーランドの方だ。実は、すべての箇所で印象に残る会話や深い意味の言葉が散りばめられていてただでさえ見逃せないのだが、こちらの主人公、私がレンタ・カーを借りに行く辺り、すっかり見落としていたシーンがあった。私の応対をしてくれた感じのよい若い女性。彼女は車の中に流れる音楽がボブ・ディランだと指摘する。
「ボブ・ディランって少し聴くとすぐにわかるんです」
「ハーモニカがスティーヴィ・ワンダーより下手だから?」
…
「そうじゃなくて(ボブ・ディランの)声がとくべつなの」と彼女は言った。
「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見ているような声なんです」
「よい表現だ」と私は言った。
よい表現だった。私はボブ・ディランに関する本を何冊か読んだがそれほど適切な表現に出会ったことは一度もない。簡潔にして要を得ている。私がそういうと彼女は少し顔を赤らめた。
「よくわからないわ。ただそう感じるだけなんです」
「感じたことを自分のことばにするっていうのはすごくむずかしいんだよ」と私は言った。
「みんないろんなことを感じるけど、それを正確にことばにできる人はあまりいない」
「小説を書くのが夢なんです」と彼女は言った。
「きっと良い小説が書けるよ」と私は言った。
この台詞通りの言葉をそっくり差し上げたい少女がいるのだ。彼女に逢ったのはそう遠い過去のことではない。
初めて彼女の父親を訪れたとき、彼女の無線LANに繋がらないパソコンがあって、少し弄ったら間違って治った(…ようなものだ)。
彼女はそのお礼をリアルタイムで自ら立ち上げてるブログに書き込んでくれていた。それまで長らく携帯からの投稿が続いていた。
お礼とは別のスレに、
人見知りしてお腹が痛い
と書かれてるのを発見した。彼女が凄い人見知りする性質で、社交も苦手ということが分かったのだが、それにしても、修理の間、ぼくの取材に丁寧に付き合ってくれて、ぼくの質問に、誠実に、むしろ生真面目なぐらい真摯に、さらに言えばひたむきに応えてくれたのだ。彼女は律儀な性格で、自分のために尽くしてくれる相手へのホスピタリティの心を忘れない。その時、治るかどうかの不安、さらに自分が壊したのではないかという自責もあり、さらにそこへぼくのキャラが初対面で現れた訳である。平素あり得ない対処を迫られ、挙句腹痛に至ったと思われる。
まじめ、ひたむき、おもてなし…、久しく忘れていたピュアという言葉を思い出した。
と、ここまで読んで、
「じゃあ、私らは濁ってるの?」
と感じたあなた…、あなたも純なのだけど、レベルが違うのだ、格段に。あなたならぼくと話していて胸がキュンとするはずだが、お腹までは痛くならないだろう。
例えれば、強くてキツイ洗剤の原液に素手で手を突っ込むような、ゴム手袋も無しに雪解け水でオムツを洗うような…。人の思いが、言葉が、剥き出しで突き刺さってくる時にどこまで無垢のまま耐えられるだろうか。無垢でないぼくには我慢できる。耐性とは何かを亡くして身につけられるような気がしてならない。
純で、無垢で、ナイーヴなら、それはとんでもなく尊いものであると評価したい。自分にはないものなのだから。とっくに喪失した故に、自分と違うからと言って、排除しない。
「みんな飛び込んでますよ」
と言われて初めて海に飛び込むような真似はしたくない。自分に持てないもの、自分にできないことが尊いのだ。だからこそ自分にしか感じないものを書くことは素敵なことなのだ。