滋賀県 建築家 / 建築設計事務所イデアルの小さな独り言

建築家・清水精二のブログ、何でもあり独り言集・・・。

西武大津店がもうすぐ閉店になります・・。

2020年07月01日 | 建築

だいぶん暑くなってきましたね。でも個人的には、なんか・・今年は例年よりも暑くない(涼しい)感じがするんですよね。いつもなら、もっと「蒸し暑いなぁ~」って言ってるような気がするんですけど・・。話は全く変わりますが、新型コロナの事があったので、今年になってから名建築を訪れる建物探訪を見合わせています。探訪する建物を2~3件選んでいたのですが、今のところ保留のままになっています。(そろそろ探訪に出かけようかとも思っているのですが・・)、それで、近くにある西武大津ショッピングセンター(現・西武大津店)が来月で閉店してしまう事もあり、今回は西武大津店のお話をしたいと思います。

 

西武大津店は、戦後を代表する建築家の一人で、大胆な造形とメタボリズム理論で知られる菊竹清訓氏の設計です。外観の特徴は、前面道路側がひな壇状になっていて、これによって各階にガーデンテラスが張り出し、ガーデンテラスに面してショーウインドーが設けられていることです。路面店を垂直に積み重ねたような感覚で、内部からだけでなく外側(ガーデンテラス)からもアクセスできるように設計されていました。(現在は、ガーデンテラスに面してショーウインドーは設けられていません)

もう一つの外観の特徴は、なんと言っても幾重にも連なって突き出ている避難階段のダイナミックな造形です。階段の踊り場が支えもなく大きく突き出しているデザインには圧倒されます。建築設計をしている私としては、「この階段、どうやって持たせてるんやろ・・」とよく考えたことを思い出します。誤解を恐れずに私の考えた階段の構造形式を言うと、階段自体の片持ち形式(跳ね出し)では、これだけの長さを持ち出すのは無理があるので、踊り場から上階へ上がる階段に引張力を働かせ、踊り場から下階に下がる階段に圧縮力を働かせたトラス原理を用いてこの階段を持たせているんだと思います。(あくまで私の見解です)

それと、西武大津店の特徴と言えば、後側にある立体駐車場です。床面全体がスロープになっていて、らせん状につながっています。駐車する床自体が斜面になっていて、それがつながって立体化している駐車場は珍しいと思います。西武大津店は計画当初、前面道路側に「パンタグラフ」と名付けられた別棟があり、店舗の床自体がスロープだったそうです。もし実現していれば、私たちは面白い店舗を体験していたのかも知れません・・。

西武大津ショッピングセンター(当時の店名)が竣工したのが1976年(昭和51年)ですから、私が小学6年生ぐらいのときになるのかな・・。私のかすかな記憶を辿るとオープン当初には、6階の2層吹き抜けのプラザに大きな青色のネッシー(首の長い恐竜です)が置いてあって、オープンしたときの店のキャッチフレーズが「びわ湖にネッシーが現れた・・」みたいな感じだったと思います。あと・・同じ2層吹き抜けのプラザにある三角形フレームの内部でインコなどの小鳥たちが放し飼いされていたのを覚えています。(思い出すと懐かしいなぁ・・)

近年は、西武大津店から足が遠ざかり年に1~2回程度しか行かなくなってしまいましたが、当たり前のようにあると思っていたものが無くなるとなると寂しい限りです・・・。

 

 

 

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障害福祉施設-プロジェクト/滋賀県 建築家 建築設計事務所イデアル

2020年01月05日 | 建築

明けましておめでとうございます・・・。今年も「滋賀県 建築家/建築設計事務所イデアルの小さな独り言」をよろしくお願いします。

お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、実は1ヶ月半ぐらい前にブログ名を少し変更しました。以前は「滋賀 建築設計事務所イデアルの小さな独り言」だったんですが、「滋賀」のところを「滋賀県 建築家」に変えたんですね。理由はというと特にはないのですが、建築に関係のない記事が多いので、一応・・建築家のブログであることを強調しょうかと思って・・。建築に関係のない記事が多いのは、以前にもお話しましたが、建築家が建築の話をしても一般的には面白くないので、意図的にそうしているのですけどね。(と言って、今回は建築の話ですけど・・)

 

画像は、昨年に設計した障害福祉施設の内観パース(完成予想図)です。2階建ての建物で、1階が18歳までの重度障害児(肢体不自由)のための放課後デイサービス、2階が18歳以上の重度障害者(肢体不自由)のためのデイサービスとして設計しました。各施設の運営状況にもよりますが、軽度の障害児や障害者を対象とした施設であれば、1人のスタッフで数人の障害児(者)を介護できるところ、重度の障害児や障害者を受け入れる施設の場合、1人の障害児(者)を介護するために2人のスタッフを要したり、医療資格を持つスタッフも必要であることから、民間の事業所では施設運営が困難な傾向にあります。

といって、重度の障害児や障害者を受け入れる公共施設も不足しているのが現状のようです。本来であれば、国や自治体が積極的に取り組む課題であるように思えますが、高齢者施設に重点が置かれ、障害児(者)施設が置き去りにされている傾向にあるようです。お施主さんは、現在も重度障害児(肢体不自由)のための放課後デイサービス施設を運営されていますが、前述したような要因から通所する障害児の人数には限りがあり、通所待ちの方もおられるとの事で十分な対応ができていないそうです。(重度障害児の受け入れる施設が不足しているにもかかわらず、お施主さんの話では、300人に1人の割合で重度障害児が生まれてくるそうです)

このような状況において、障害児や障害児を抱える家族の不安を少しでも解消してあげたいというお施主さんの思いから、新たな障害福祉施設を建設する企画が立ち上がり、私に設計を依頼されました。内観パースから分かるように、敷地内でポニー(小形の馬)を飼って、施設内から障害児にいつでもポニーを見せてあげたい(障害児は自由にどこにでも行くことはできないので、施設にいるときぐらいは日常とはちがう風景を見せてあげたい)というお施主さんの要望を取り入れています。

残念ながら、新たな障害福祉施設の建設は、お施主さんの諸事情により見送りとなりました。これまでにお話しました重度障害児(者)施設の現状を踏まえて、設計に取り組んだ私としては、行き場のない気持ちを整理するのに時間がかかりましたが、建設見送り後にお施主さんにお会いしたとき、内観パースを見ながら「これ(パース)を目標にがんばります」と言って下さったことがせめてもの救いでした。近い将来、新たな施設が建設されることを願うばかりです。

今回お話しました重度障害児(者)の受け入れ施設不足の課題については、今後も引き続き私にできることがあれば力になっていきたいと考えています・・・。

 

 

 

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名建築を訪れて・・・ダイジェスト

2019年09月08日 | 建築

9月になっても暑いです・・・。最近、また猛暑が戻ってきましたね。8月末は暑さも和らいだので、このまま涼しくなればいいのに・・と思っていましたが、そうはなりませんね。先月は、また月1ブログが書けませんでした。仕事が忙しくて・・と言っても仕方ないのですが、しっかり言ってます。今日は久しぶりにゆっくりしているので、記事を書こうと思ったものの、本当に先月からずっとバタバタだったので、ネタが思いつきません。それで、今回は近年に訪れた名建築をダイジェストで紹介することにします・・。

 

1つ目の建築は、「猪名川霊園 礼拝堂・休憩棟」です。イギリスの建築家ディヴィット・チッパーフィールドが初めて手掛けた宗教建築です。庭園がこの建築の核となっていて、中庭は建物の中心部と礼拝堂の両側にあります。画像は、ゲートの下から建物中心部の中庭越しにビジターラウンジを見ています(私が訪れたのは12月初旬だったかな、中庭はその頃の様子です)。礼拝堂は、この中庭から緩やかな斜路を上がって到達するようになっています。最小限の照明しかない無垢で静謐な礼拝堂は、宗派を問わない純粋な祈りの場となっています。

 

 2つ目の建築は、「香川県立東山魁夷せとうち美術館」です。このブログでも何度か紹介している谷口吉生氏の設計した小さな美術館です。本州から瀬戸大橋を渡ってすぐのところにあります。海側と公園側を隔絶するように大きな壁が貫いていて、まっすぐにのびるアプローチから館内に入り、エントランスを通り抜けて、天井高さ6メートルの1階展示室へ、この1階展示室の入隅に立てらた1本の円柱が空間の垂直・水平方向に奥行きを与えていることに驚かされます。私は1本の円柱がある1階展示室の空間がとても気に入りました。11月には、先月オープンした谷口吉生氏の設計による「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」を訪れる予定です。

 

3つ目の建築は、 栗林公園の中にある「掬月亭(きくげつてい)」です。歴代の藩主が愛した茶室で、江戸時代には「大茶屋」と言われていたそうです。玄関を持たず、どこからでも出入りできる四方正面の数寄屋造りで、いろいろなところに沓脱石(くつぬぎいし)が置かれています。 現在でも、建物内で抹茶や菓子を頂きながら、景観を楽しむことができるようなのですが、私が訪れたときは、ちょうど営業時間が終了したときだったので、残念ながら菓子と景観を楽しむことはできませんでした。

 

最後の建築は、「桜井寺」です。言わずと知れた村野藤吾氏が設計したお寺の本堂です。私たちが訪れたとき、偶然、庭の手入れをされていた前住職さんが、私たちが建築設計に携わっていることを知り、村野氏に設計を依頼した当時のエピソードなどをお話してくださいました。また、本堂の内部も快く見せてくださり幸運でした。実は私もお寺の本堂建替えを3年計画ではじめようとしているところなので、村野氏が設計した鉄筋コンクリート造の本堂に興味がありました。大胆なデザインに圧倒されると同時に、村野氏の建築に対するメッセージが感じ取れたような気がしました。ちなみに、画像に写っている人物は、私の親友(建築構造家)でよく一緒に建物探訪しています。

という事で、今回は私の名建築を訪れて・・・ダイジェストでした。

 

 

 

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建築訴訟でマンション建替えの判決が下された!!

2019年04月29日 | 建築

世間は10連休のようですが、私は連休中もずっと仕事をする予定です・・・。計画中の建物プランが上手くまとまらないので、連休中に頭を切替てじっくりと考えようという作戦です。わが家の周りで、春先から鳴き始めたウグイスも最初は上手く鳴けなかったのですが、今頃の季節になると「ホーホケキョ・・」と上手く鳴けるようになりました。なので・・私の建物プランも連休中にはそろそろ上手くまとまるかなぁ~と思ったりしています。(あまり関係ないか・・?)

という事で、今日は建築訴訟のお話です。先日、建物に重大な瑕疵※1があるとして、事業主が施工会社に対して建物の解体・建替えを主張する控訴審裁判の判決が下されました。私は、この建築訴訟で瑕疵による損害賠償を求める事業主側の建築専門家として訴訟協力をしていました。問題となっていたのは、鉄筋コンクリート造14階建ての分譲マンションで、今回の判決内容は事業主の主張どおり建物の解体・建替えが認められるというものでした。(誤解がないように言っておきますが、私はこの分譲マンションの設計・工事監理には一切携わっておらず、建築専門家の立場で客観的に瑕疵調査に立会い、瑕疵の鑑定を行い、瑕疵を立証するための技術的な証拠資料の作成、証人尋問での証言などを行ってきました)

今回の建築訴訟では、私を含め複数の建築士や有識者が建築専門家として訴訟に協力していました。問題となった分譲マンションでは数多くの瑕疵主張がされていましたが、中でも高等裁判所が注目し集中的に審理したのが、コンクリート打継部が一体化していないことでした(打継部が一体化していない瑕疵によって、建物を建替えなければならない場合は、他の瑕疵の有無について審理する必要はないとの判断)。私たち専門家の鑑定は、「コンクリート打継部が一体化しておらず、建物の構造耐力が低下しており、居住者の生命・身体・財産を危険にさらしている」というものでした。このことを裁判で認めてもらうためには、コンクリート打継部が一体化していないことによって、具体的に建物の構造耐力がどの程度低下していて危険であるかを数値化(構造計算)し立証しなければなりませんでした。「構造耐力が低下しているので危険!!」と言うだけでは裁判で認めてもらえません・・。

そもそも私に今回の建築訴訟への協力依頼があったのは、私はもともと建物の構造計算をしていた経歴があり、現在は総合設計(意匠設計)を行っていることから、意匠と構造の専門知識を有しているので、建物の瑕疵について総合的な鑑定をしてほしいという要望が事業主からあったからです。このようなことから、私は協力してくれる他の構造専門の建築士たちとコンクリート打継部が一体化していないことによる建物の構造耐力低下を数値化(構造計算)し立証することにしました。

とは言っても、構造耐力にかかわる瑕疵を数値化(構造計算)することは容易ではありません。なぜかというと、構造計算で用いられている各基準式は建物の安全性を確保するために定められたものであって、瑕疵を数値化するために定められたものではないからです。単純に設計時の建物荷重よりも実施工された建物荷重が増えているといような場合には、荷重の増加分を構造計算ソフトに入力するだけで済みます。しかし、法令で定められている基準式はコンクリートが一体化していることを前提としているので、コンクリート打継部が一体化していないような瑕疵を数値化(構造計算)するには、定められた基準式が採用できるように実状の瑕疵をモデル化したり、基準書以外の文献などにある算定式を調べて参考にしなければならず、膨大な時間と労力を要します。

このように創意工夫して、コンクリート打継部が一体化していないことを反映させた構造計算書を作成し、瑕疵による建物の危険性を数値化して主張してきました。裁判所も危険性を数値化することにより、「建物の構造耐力が当初の構造計算によって算出された数値より相当程度低下していることを裏付けている」と認めてくれました。もちろん、建物の解体・建替えが認められたのは瑕疵による危険性を数値化しただけではなく、調査会社による瑕疵の調査や有識者・専門家による鑑定意見書など多くの主張・立証を積み重ねた結果であることは言うまでもありません。

今回、建築訴訟に携わることによって思ったことは、建築瑕疵の有無が問題となるような場合は、建築に関する専門技術的な事項が主な争点となるため、紛争解決に至るまでの瑕疵主張や証拠作成について、建築士などによる専門的知見の必要性が高いということです。また、瑕疵を主張する建築訴訟では、瑕疵の立証や瑕疵主張への反証のための調査や実験、専門技術的な証拠資料の作成などに多くの時間や費用を要するため、当事者双方に大きな負担を強いる結果となることも実感しました。さらに、建築訴訟は、専門性が高いことから長い審理期間を要することとなるので、このことも当事者双方には大きなストレスとなっていると感じました。

ちなみに施工会社は、今回の判決を不服として最高裁判所に上告※2したそうです。結審するまでには、まだ時間がかかるようです。私としては居住者のためにも、このマンション問題が1日でも早く解決することを願うばかりです・・・。

※1  瑕疵:通常有すべき品質・性能を欠いていること。2020年4月に施行される改正民法では、「瑕疵」という言葉は「契約不適合」へ置き換えられ、より契約を重視する社会を志向することになります。

※2  2020年3月に最高裁判所は上告審として受理しない旨を決定し、控訴審裁判の判決が確定しました。

 

 

 

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閑谷(しずたに)学校を訪れて

2018年12月09日 | 建築

岡山県備前市にある閑谷学校(正確に言うと旧閑谷学校)を訪れて来ました・・・。閑谷学校は、現存する日本最古の学校建築であり、現存する世界最古の庶民のための公立学校でもあります。閑谷学校は、江戸時代の寛文10年(1670年)に岡山藩主池田光政によって創建されたものです。初めて閑谷の地に来観した池田光政は、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛し、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めました。そして、学校の永続を願う藩主の意を受けた家臣津田永忠は、約30年の歳月をかけて、元禄14年(1701年)に現在のような閑谷学校の全容を完成させました。

 

上の画像は、国宝の講堂です。入母屋造りの屋根は、創建当時は茅葺きだったそうですが、現在は備前焼瓦が葺かれています。閑谷学校については、予備知識も何もなく訪れたので、最初に遠くから全貌を概観したとき、紅い瓦葺きだったので、石州瓦なのかなぁ・・とも思ったのですが、石州瓦にしては色にムラがあるし、岡山で石州瓦というのもおかしいし・・と考えているうちに、間近で瓦が見えるところまでたどり着き、ひょっとして備前焼・・?と思ったら、本当に備前焼の瓦が葺いてありました。

備前焼瓦では、耐久性はあっても水密性(屋根の防水)には問題があるのでは・・と思いながら、眺めていると軒先にパイプ状のものが取り付けてあったので、これは水抜きパイプだなとすぐに分かりました。つまり・・備前焼瓦は漏水することを前提に葺かれているということのようです。ちなみに、後で資料館で知ったのですが、この水抜きパイプも備前焼で造られているとの事で驚きました。

 

もう一つ驚いたのが、閑谷学校を取り囲むカマボコ型の石塀です。(上の画像)、こんな石の塀は見たことがなかったので、どんだけの手間暇をかけて造ってんねん!!と思ってしまいました・・。この長さ756mにおよぶ石塀は、形の異なった石を組み合わせた切り込みはぎ式の石築きで、閑谷学校の全容が完成した元禄14年(1701年)にこの石塀も完成したそうです。石塀の内部には、清浄した割栗石をつめ雑草木を生やさないように築造されているとの事です。

 

最後に紹介するのが、私が気に入った文庫の窓に取り付けられている銅板(雨戸?)です・・。漆喰壁と緑青が現れた銅板との質感のコントラストが生えていて、めちゃくちゃ渋かったです。この銅板の緑青のムラとか、凹凸とか、随所にある赤錆(おそらく銅板に打ち付けた釘から染み出た下地の鉄の錆か何か)などの粗い質感と漆喰の無機質で吸込まれるような白とのコントラストが最高です。私もこういう銅板の使い方をしてみたいと思ってしまいました。(現在は、こういう緑青は出ないでしょうけど・・)、ちなみに、文庫の床下換気口にも同様の銅板が取り付いていました。

 

 

 

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マンション-プロジェクト/滋賀県 建築家 建築設計事務所イデアル

2018年08月26日 | 建築

暑い日が続きますね・・・。今日は、山積みになっている事務所の書類を整理していました。(書類の山の中で仕事をしている状態になっていたので・・)、整理した書類の中に昨年設計して、現在中断しているマンション-プロジェクトの図面やパース(完成予想図)があって、このマンションも中断しなければ、ちょうど今月完成する予定やったなぁ・・とパラパラ図面を見ていました。それで・・せっかくなので、今回は中断しているマンション-プロジェクトを紹介することにしました。

 

このマンション-プロジェクトは、2LDKの賃貸マンションですが、お施主さんの要望により分譲マンション以上の仕様になっています。他の賃貸マンションとの差別化を図りたいとのお施主さんの要望から、通常のマンションにないプランとなっていて、天井高さも2メートル80センチ以上確保しています。(通常のマンションの天井高さより30~40センチ高く設定しています)

外観の特徴は、上層部から飛び出している中空テラスで、この中空テラスは、外壁から5メートル飛び出していて、8畳分程度の広さがあります。ちょっと技術的な話をすると、中空テラスはPRC(プレストレスト鉄筋コンクリート)造としています。5メートルも飛び出しているので、コンクリートのひび割れを制御するためにポストテンション工法により、プレストレス(圧縮応力)を導入するように設計しています。

ちなみに、このマンション-プロジェクトが中断している理由はというと、ここまで差別化を図るのであれば、一戸に2台分の駐車場を確保しよう(夫婦で1台ずつで2台)ということになり、そのためには計画している敷地では狭いので、もっと広い土地を現在検討しているからです。このマンションの設計はほぼ出来上がっているので、別の土地で法令がクリアできれば少し修正を加えて、このまま建てるのも良し、いろいろ違うアイデアが浮かんでいるので、どうせなら設計をやり直して全く違うマンションを建てるのもいいかも知れませんね・・・。

滋賀県 建築家/建築設計事務所イデアル

 

 

 

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豊田市美術館に行って来ました。

2018年06月25日 | 建築

今日は暑かったです・・・。というか・・今も暑いですけど。ワールドカップの時期になると、にわかサッカーファンになるので、昨夜はサッカー日本代表の試合を観戦していました。正直、セネガルに勝てると思っていなかったので、リードされながら2回も追いついての引き分けはスゴイと思いました。ここまで来れば、次のポーランド戦に勝って決勝トーナメントに行ってもらいましょう・・。

という事で、先日、愛知県の豊田市美術館に行って来ました。豊田市美術館は、建築家の谷口吉生氏の設計によるもので、昨年、同じく谷口氏が設計した金沢の鈴木大拙館を訪れて、いい建築だったので、他の谷口建築も訪れてみたいと思い行って来ました。

 

豊田市美術館の特徴は、常設展示室・企画展示室・高橋節郎館の展示空間の集合と、それらを結ぶ人工池に面した水平に延びる回廊によって構成されていることです。画像でいうと、水平に延びる回廊超しに見える半透明のガラスで覆われた白い建物が、この美術館構成の中心をなす常設展示室のための建物となっています。

 

また、美術館の敷地の中には、伝統的な木構造による茶室建築が建てられており、この建物も谷口氏の設計によるものです。美術館の建築と茶室建築は、様式的に全く異なるものですが、部分的に共通の素材を使用したり、簡潔さを求める共通の意匠性によって、同一の敷地に建てられた建築としての共通性を保つことが試みられていました。

 

 

 

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終の棲家・・和風平屋建て住宅

2018年03月04日 | 建築

今日は完全に春でしたね・・・。にもかかわらず、花粉症もひどくなかったので、散歩をしていて・・とても気持ち良かったです。

先日、数年前に設計させて頂いた「瀬田の家」のお施主さんから久しぶりに連絡がありました。連絡を頂いた要件は、「瀬田の家」とは関係のない別件だったのですが、その時に快適に暮らしていることと、いい家を設計してくれたことへのお礼を言って下さっていました。いわゆる建築家冥利に尽きる言葉を頂いたワケです。(この言葉を聞きたくて、日々格闘しているのですからね・・)

 

 [正面外観を見る]

それで、瀬田の家については、工事の様子などはブログでも紹介していましたが、よく考えると完成した建物は紹介していなかったことと、前回の記事で「誰か・・数寄屋の設計させてくれないかな・・・」と言っていたこともあって(瀬田の家の外観は数寄屋風なので)、今回の記事で紹介することにします。瀬田の家は、ご夫婦が「終の棲家」として暮らされる平屋建て住宅として設計しました。和風にしてほしいという要望があったので、外観は数寄屋風にしていますが、内部は生活様式に合せて和洋折衷にしています。

 

 [リビングより中庭を見る]

敷地の南側には高い建物が建っているので、中庭を設けて、その中庭を囲むように各部屋を配置することによって、建物内に光を取り入れています。その中庭を臨む窓には、オリジナルの連窓・連段の障子窓を設けています。(2枚目画像)、また、限られた敷地に奥行きと広がりを持たせるため、玄関に前庭、LDKに中庭、中庭の奥に後庭と異なる形式の3つの坪庭を設けて、視覚のストーリー性を演出しています。

という事で、これからも「瀬田の家」のように、建築家冥利に尽きる言葉を頂くことができるよう自己研鑚に努めなければいけませんね・・・。

 

 

 

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竹中大工道具館に行って来ました。

2018年02月28日 | 建築

だいぶん暖かくなってきましたね・・・。暖かくなってくるのはいいんですけど、こうなってくると花粉が飛んでくるので花粉症の私としては微妙です。といって寒いのも嫌なので、このまま季節をとばして一気に5月になればいいんですけど・・そんなワケないですよね。

 

ということで、先日、竹中大工道具館に行って来ました。「竹中大工道具館」は、消えてゆく大工道具を民族遺産として収集・保存することにより、研究・展示を通じて後世に伝えていくことを目的に設立された日本で唯一の大工道具の博物館です。もともとは、神戸市中山手にあったようですが、現在は新神戸駅近くの竹中工務店ゆかりの地へと移転しています。館内は、7つの展示コーナーに分かれていて、大工道具の歴史や種類・しくみを紹介したり、大工棟梁の仕事を通して、ものづくりの心を伝えたりしています。また、実際に触れることのできるハンズオン展示もあり、いろいろな種類の継手仕口の実物模型を自分で外して組んでみることもできます。

 

さらに館内には、実物大の茶室構造模型も展示されていて、日本にはまだ究極の美を生み出す技術と感性を持った職人が残っているんだという心意気を伝えてくれています。私としては大工道具よりも、こういう和の伝統美にどうしても興味を引かれてしまいます。こういうのを見ると数寄屋建築の設計がしたくてたまらなくなりますよね。(誰かぁ~、数寄屋の設計をさせてくれ・・!!と心の中で叫んでいました)

 大工道具は、品質の良いものほど摩耗するまで使われ、消滅するという宿命をもっているそうです・・。大工道具には、日本人ならではの美意識や心遣いが秘められています。ものづくりの国に生きる楽しさ、素晴らしさを改めて考え体感することができたひと時でした。

それにしても、誰か・・数寄屋の設計させてくれないかな・・・。

 

 

 

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鈴木大拙館を訪れに金沢へ・・・。

2017年11月19日 | 建築

昨日は、鈴木大拙館を訪れるため金沢まで行って来ました。あいにく天候は雨でしたが、雨の日の鈴木大拙館もいいかな・・それに人も少ないかも・・と思いつつ行って来ました。(最近、仕事が忙しくないので遊びまくっています・・・。)、鈴木大拙館は、金沢が生んだ仏教哲学者である鈴木大拙の考えや足跡を広く国内外の人々に伝えることによって、大拙についての理解を深めると共に、来館者自らが思索する場として利用することを目的に開設された建物で、建築家の谷口吉生氏の設計によるものです。以前から、友人に名建築だと聞いていたので、この機にと思い訪れて来ました。

 

 〈往路となる外部回廊から水鏡の庭に浮かぶ思索空間棟を見る〉

鈴木大拙館は、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」を回廊で繋ぐと共に、「玄関の庭」「水鏡の庭」「露地の庭」によって構成されていて、3つの棟と3つの庭からなる空間を回遊することによって、来館者が鈴木大拙について知り、学び、考えることが意図されています。建築は、動線に沿って展開する内部空間の連鎖と関連して移り変わる外部への眺望を強調するために、極力単純な意匠とされていて、まさしくモノクロームの自然素材による「無の意匠」となっています。

 

 〈思索空間棟から水鏡の庭超しに展示棟と外部回廊を見る〉

画家などのための記念館や美術館であれば、作家の作品を展示することによって、それらの建築は性格づけられます。しかし、日本文化の根源を説く哲学者にふさわしい空間をどう構成するかという難題について、設計者である谷口氏は「床」や「床の間」といわれる空間に答えを求めました。「床」や「床の間」といわれる空間は、軸が掛けられ、縁の品が置かれ、季節の花が添えられるまでは、全く機能を持たない無の空間です。最小の設えによって姿を変える家の中の小美術館とも言える「床」は、日本の文化の一面を顕著に象徴するものであって、鈴木大拙館の計画を構成する要素としてふさわしいものと谷口氏は考えました。

 

 〈昨日も、思索空間に空けられた開口部には、秋の朱に染まる彩りが添えられていました〉

水鏡の庭に浮かぶ思索空間は、全体が設えによって変化する「床」の空間そのものであり、壁面に空けられた開口部からは、四季によって移り変わる周囲の景観が切り取られて見えるようになっています。訪れた昨日も、谷口氏が目指した「無の意匠」に秋の朱に染まる彩りが添えられていました・・・。

 

 

 

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