今回は建築訴訟についてお話したいと思います。3年前に私と仲間の建築士が建築専門家として、訴訟協力していた重大な瑕疵があるマンションの建て替え裁判において、建物の解体・建て替えを認める判決が下されました(その記事はこちら「建築訴訟でマンション建替えの判決が下された!!」)。この判決は構造耐力に関わる重大な瑕疵がある大規模なマンションの解体・建て替えを認めるものとしては、国内で初めての判例となりました[近年では大規模な欠陥マンションの建て替えも数例ありますが、これらは事業主・施工者側が自主的に建替えているもので訴訟での判決によるものではありません]。これまで日本の建築裁判では、社会的経済損失が大きいという理由など(他にも法律解釈の問題もあります)により、建物の解体・建て替えが認められることはハードルが高かったことから、大規模なマンションの解体・建て替えを認める判決が下されたことは画期的な出来事でした。
このような実績もあってか、時折り建物の瑕疵(契約不適合)※1を主張する建築主・消費者から訴訟への協力依頼があります。主な依頼は「建物の構造耐力に関わる重大な瑕疵について、その危険性を工学的に立証してほしい」というものです。いつも私が依頼者に対して最初にお話することは、建築訴訟はやめて話し合いで解決するように考えてほしいという事です。なぜなら、建築裁判(重大な瑕疵を主張するものに限る)で勝つには膨大な時間と労力と費用を要するため、瑕疵主張する建築主・消費者に多大な負担を強いることになるからです。建築主・消費者側の弁護士や建築専門家の資質は別として、莫大な資力が無ければ裁判には絶対勝てません。もちろん、精神面での負担やストレスも尋常ではありません。ですから、納得がいかない理不尽な事があっても、話し合いによる折り合いをつけて解決することを勧めます。
とは言っても、折り合いがつかないので、提訴しようとしている若しくは訴訟になっているワケですから、前述したようなお話をしたうえで、それでも訴訟をするという依頼者には、生半可な気持ちでは到底勝てないので、相当の覚悟をしてもらうことを条件に訴訟協力に応じる場合もあります(重大な瑕疵を主張するものに限る)。その他にも訴訟協力する条件としては、私以外に2人以上の建築構造技術者を加えたチームを編成して瑕疵立証に取り組ますので、関係資料を読み込んだうえでチームとして、瑕疵による建物の危険性を工学的に立証可能と判断できる事案であること。建築訴訟では、建築士などによる専門的知見が必要不可欠なので、訴訟方針などは弁護士ではなく私たち建築専門家の主導により行うこと(弁護士によっては揉めるんですけどね)などがあります。このように私たちが訴訟協力する場合は、依頼者に相当の覚悟を強いたうえで協力するワケですから、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証について徹底的に取り組み、依頼者を有利な和解や判決へと導くよう努めています。
前置きが長くなってしまいましたが、よく言われている瑕疵主張する建築主・消費者(原告)が建築裁判で勝てないという事についてお話したいと思います(もちろん、私見ですけどね)。まず、何をもって「裁判に勝った、負けた」という定理が難しいと思いますが、ここでは「建物の構造耐力に関わる重大な瑕疵」が認められるか否かというところで線引きすることにします。賠償金額で線引きすると、瑕疵の強度に見合った補修費の評価(補修方法や補修の可・不可など)が難しいことから賠償金額は別とします。
建築訴訟においては、建築主・消費者(原告)が瑕疵を主張しても施工業者(被告)に有利な判決が下されるケースが少なくありません。これは訴訟における瑕疵の立証責任が原告にあることに起因するものです。すなわち、建築訴訟における瑕疵の立証には、建築士などによる専門的知見が必要不可欠であるにもかかわらず、受任した弁護士(法律事務所)に協力する建築専門家が見つからない、若しくは協力する建築専門家の知識・経験不足のため、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証が行えないことによります。
そのため、瑕疵の立証において、瑕疵の原因はどこにあるのか、どの規範に反し品質・性能を欠いているのか、建物の安全性にどのような影響を及ぼすのか、どのような補修が必要なのか、補修費用はどれくらいかかるのか、といった要件を具備することができず、当を得ない主張に終始することになります。これに対し、施工業者(被告)には、建築の専門知識を持つ有資格者が多く所属しているうえ、協力する建築専門家(業界仲間)も少なくありません。加えて、多くの証拠資料を所持しており(不都合な証拠は秘匿します)、建築物に瑕疵があっても詭弁を弄して「品質・性能には問題ない」と主張します。このようなことから、建築訴訟においては、建築主・消費者(原告)が瑕疵主張を行っても証拠作成のハードルが高いため、瑕疵の立証において要件を具備できず、結果的には施工業者(被告)に有利な判決が下される(施工業者に言い逃れをされる)傾向にあります。
前述したような建築訴訟における実情を打開するには、高度な専門知識と豊富な経験を有する建築専門家により、真の争点を的確に把握し、専門的知見から各論点を整理したうえで、重大な瑕疵(契約不適合)に論点をしぼり、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証を行う必要があります。特に、建築物の構造耐力にかかわる重大な瑕疵については、建築構造の知識と経験を基に、瑕疵を反映させた構造計算書を作成し、建物の危険性を数値化(見える化)して立証する必要があります。瑕疵の調査を実施しても、その調査結果から瑕疵の有無を判断し、瑕疵であった場合、その瑕疵が建物の安全性にどのような影響を及ぼすのか、その危険性を数値化(見える化)しなければ証拠の価値は下がります。「瑕疵だから構造耐力が低下しているので危険」と主張するだけでは裁判において認めてもらえません。ところが、建築訴訟の実情は前述したように、多くの場合において専門的知見による支援が得られないため、瑕疵の本質まで踏み込んだ主張・立証を行うことなく、瑕疵の表面のみを捉えた論点によって、小競合いをしているに過ぎないのです。これでは施工業者(被告)に言い逃れされても仕方がありません。
当該建築物において、構造耐力にかかわる重大な瑕疵が実際に存在するのであれば、その危険性(瑕疵の本質)を明確な技術的根拠に基づき数値化(見える化)すれば、瑕疵は認められ原告に有利な和解や判決へと導くことができます(建築の専門知識について素人である裁判官でも分かるように建物の危険性を見える化することが重要なワケです)。もちろん、瑕疵による危険性を数値化するだけでなく、調査会社による瑕疵調査、鑑定意見書の作成、補修方法の立案、補修費用の見積りなど多くの主張・立証を積み重ねる必要があります。これらのことは、訴訟において当たり前のことですが、建築訴訟の場合、この当然のことに対するハードルが高いのです。高度な専門知識と豊富な経験を有する建築専門家が積極的に訴訟に協力するようになれば、建築訴訟における瑕疵立証のハードルが下がっていくと思いますが、そもそも高度な専門知識と豊富な経験を有する建築専門家は本業が多忙なうえ、訴訟などの紛争にかかわりたくないと考えるのが一般的なので訴訟への協力は望めません。
本題である瑕疵主張する建築主・消費者(原告)が建築裁判で勝てないかという事については、前述したように明確な技術的根拠に基づき瑕疵の立証を行えば、瑕疵は認められる(勝てる)と思います。それには明確な技術的根拠に基づき瑕疵を立証してくれる建築専門家が必要不可欠です。しかし、前述のとおり訴訟に協力してくれる高度な専門知識と豊富な経験を有する建築専門家を見つけることは困難だと思います。仮に見つかったとしても、そのような建築専門家に膨大な時間と労力を要する瑕疵立証を依頼すれば多大な費用が必要になります(相手方の反論への反論、場合によっては追加調査や実験などと費用が膨らみます)。
私たちが訴訟協力する場合もそうですが、構造耐力にかかわる瑕疵を構造計算により数値化(見える化)することは容易ではありません。構造計算で用いられている各基準式は建物の安全性を確保する目的で定められたものであって、瑕疵を数値化する目的で定められたものでありません。そのため、瑕疵を構造計算により数値化(見える化)する作業には膨大な時間と労力を要します(結果的に費用も)。明確な技術的根拠に基づき瑕疵の立証を行えば、瑕疵は認められる(勝てる)と言いましたが、実際のところ、私たちのチームや他の建築専門家がそのような立証を行っても、それは瑕疵主張する建築主・消費者(原告)に有利な和解や判決を保証するものではありません。有利になる可能性が高いという事であって、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証を行っても、裁判官・調停委員・専門委員によっては、その解釈や判断(技術的根拠の理解度)が異なる場合があるからです。すなわち、建築訴訟においては、満点の瑕疵立証を行っても専門性が高いゆえに、その解釈や判断にはリスクを伴います。
また、私の知る限りでは、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証が行える目処が立っていないにもかかわらず、見切り発車で訴訟を起こし、裁判所から工学的な瑕疵の立証を求められた段階になって、建築構造の専門家を探し始めるというケースが多いようです(私に訴訟協力の依頼がある事案もこの段階が多いです)。このような段階になって、協力してくれる建築専門家が見つかれば良いですが、繰り返し言っているように、見つけることは困難ですし、見つかっても知識・経験不足であったりして、瑕疵は認められず(負ける)、建築主・消費者に不利な和解や判決となるケースが珍しくありません(このような建築訴訟の実情も「建築裁判は勝てない」と言われている一因のような気がします)。「建物の構造耐力に関わる重大な瑕疵」と言っても事案ごとに瑕疵の強度は異なります。瑕疵の強弱にもよりますが、建築裁判に勝つために費用面や精神面で多大な負担を背負うことと、それによって得られる利益との費用対効果を慎重に判断する必要があります。とは言っても、素人の建築主・消費者がそれを判断するのは困難だと思いますし、弁護士でも建築の専門知識がないと難しいです。
私が建築主・消費者から訴訟協力の依頼や相談を受けたとき、建築訴訟はやめて話し合いで解決するように勧めるのは、既述したような様々な負担やリスクがあるからです。私も条件次第で訴訟協力する場合がありますが、1つの事案に多くの時間と労力を要するうえ、やはり本業(設計・監理業)を優先させますので協力できる事案には限りがあります。最後に、建物の構造耐力に関わる重大な瑕疵を主張する事案に限って「建築裁判は勝てない」は本当か、という事についてまとめると、高度な専門知識と豊富な経験を有する建築専門家によって、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証を行えば勝てる可能性が高くなります。しかし、そのような建築専門家の訴訟協力が得られることは困難であり、明確な技術的根拠に基づく瑕疵の立証が出来なくなります。結果的に瑕疵は認められず、建築主・消費者(原告)に不利な和解や判決となることから、「建築裁判は勝てない」と言われているのだと思います。
という事で、建築訴訟については、まだまだ書きたい事がありますが、今回はこれぐらいにしておきます。いずれにしても、建築紛争に至らないよう適正な設計・工事監理、適正な施工を心掛けることが一番大切だと思います(当たり前の事なんですけどね)。
※1 瑕疵:通常有すべき品質・性能を欠いていること。2020年4月に施行された改正民法では、「瑕疵」という言葉は「契約不適合」へ置き換えられ、より契約を重視する社会を志向することになっています。