先日図書館内をぶらりとしていたら、佐野洋子さんの『ヨーコさんの言葉~それが何ぼのことだ~』という本がふと目にとまり読みました。
「ヨーコさんの言葉」というのは、NHKのEテレでも少し見たことがありますが、文明や老いへの愚痴が面白く挿絵がうまくマッチしています。
普通、文明が進歩して便利になれば喜ぶべきところを、ヨーコさんは「それが何ぼのものだ」と少し反発するのです。でも、どうしようもないこともわかっています。
確かに、コンピューターの発達等により生活自体は便利になったけれど、そうしたものがなかった不便な時代の方が人間は助け合って、温かく生きていて喜怒哀楽が大きかったと思います。
ところが、便利な時代にはあくせくする気持ちや強迫的な清潔感や他人との比較などなどいいことばかりではないということにふと気づかされます。
さて、本題のタイトルの本のことですが、『ヨーコさんの言葉』という本の中にも紹介されていましたので、どのような内容の本か図書館の人に検索して古い書棚から出してもらい読みました。
本の表紙を見た瞬間に「ああ、この本自分の子供が読んでいたなあ」と思いました。
でも、どんな話だったかは全く覚えていませんでした。
読むと、1匹のかなりたくましいオスのとら猫が色々な主人に飼われて亡くなっていくという物語です。
いつも、主人のことが大嫌いでしたが、主人は死んだ後、その猫を埋葬してくれたので生まれ変われたのかなと思います。
そして、あるとき、その猫は初めて主人のいない「のらねこ」として生まれ、自由を手に入れました。
言い寄ってくるたくさんのメスの猫には見向きもせず、だまっているきれいな白い猫のことが好きになりました。
そこから先は、ネタバレになりますので読んでください。
私は、この話を読んでいて最後のところでなぜだか、ぐっとくるものがありました。(以下はブログ作者の感想)
それはきっとそのとら猫が持っている「愛情の深さ」だったと思います。
今まで飼い主に飼われているときには得ることのできなかった充実した深い人(猫)生ゆえ、
たった1回の人(猫)生でも十分な満足が得られ、妻である白い猫や子供への「愛情の深さ」が文章にしみわたっていたのだと思います。
『100万回』というタイトルはおおげさだけれど、回数では測ることのできないものがあるのだということを教えてくれているように思いました。
(参考)
『100万回生きた猫』は1977年に出版され、200万部以上発行されたベストセラー本らしい。