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法隆寺など「斑鳩の里ガイド」のご相談は、斑鳩町観光協会(0745-74-6800)にご相談ください

法隆寺参道の地鎮具

2012-01-18 09:28:00 | 「isao流法隆寺の謎」
 法隆寺の東大門と西大門のほぼ中間地点、西院伽藍回廊の出口を南に来た参道から、奈良時代初期に埋められたと思われる地鎮具が見つかっています。地鎮具は蓋のある土器の中に和同開珎と金箔が入っていました。
なぜ参道に地鎮具を埋納したのでしょうか。?? 聖徳太子が建立したとされる法隆寺(若草伽藍)は670年に消失、その後、710年代に現在の法隆寺(西院伽藍)が再建されています。法隆寺再建当時の地鎮具が見つかったこの位置は、南大門と南大垣の外になり(現在の南大門は平安末期に移設された)、また若草伽藍推定地からも外れており、一般道路に地鎮具を埋めたことになります。 とゆうことは、若草伽藍が消失して法隆寺再建のころまで、この地に何らかのお堂か祠のようなものがあったのではないかと考えられています。? 参考資料;法隆寺防災施設工事発掘調査報告書
 写真 赤丸印が地鎮具の見つかった場所、左の×印は伏蔵のある場所

 法隆寺の中門

2009-02-23 11:24:00 | 「isao流法隆寺の謎」
法隆寺中門の謎は別項でも説明していますが、出入り口が二つあります。
中門に関する伝説の中で、「左の出入り口は五重塔へ、右の出入り口は金堂へお参りするときに使用した」とガイド説明をすることがあります。
2月22日太子の日フォーラムが斑鳩ホールで開催され、近畿大学の大脇潔 教授が「聖徳太子はいくつ寺を建てたか+法隆寺式伽藍配置の源流を探る」を講演されました。この話の中で特に興味深かったのは、中国唐の青龍寺と吉備池廃寺の伽藍配置です。いずれも塔が西に金堂が東に並び、それぞれに中門があり回廊で囲んでいます。
法隆寺も塔が西に金堂が東にありますが、塔と金堂のそれぞれに中門はなく、法隆寺の中門は一つで出入り口が二つになっています。
法隆寺の中門も本来は、塔と金堂それぞれに中門を作るべきところを、スペースの関係か?、大きい中門にして出入り口を二つにしたのではないでしょうか???
  写真 法隆寺中門


夢殿の水取り

2009-02-06 11:39:00 | 「isao流法隆寺の謎」
法隆寺の七不思議の1つに「夢殿の礼盤の下に水滴がたまる」とゆう言い伝えがあります。今朝8時から『水取り』行事があり見に行きました。
8時になると、鐘楼の鐘が鳴り僧が救世観音像の前にある礼盤(僧が座る台)に座ると、厳かに読経を唱え、これが終わると礼盤(写真)3と4を同時に取り横に置いて、次に2を取りこれも横に置いて、最後に1を持ち上げ裏表を確認して「湿っている、カビが生えているな」と言って、1~4の順に元に戻して水取は終わりです。この間わずか7分でした。

1の板の表面に湿ったような跡があり、カビが生えているように見えました。
僧のお一人に「今年の占いはどう出ましたか」と聞きますと、「例年どおりです。豊作です。」とゆうことでした。
 写真 法隆寺夢殿お水取り isao画 

 法隆寺の蛙

2008-06-13 09:39:00 | 「isao流法隆寺の謎」
法隆寺は謎の多いお寺です。法隆寺の七不思議(法隆寺ハンドブックより)
1、法隆寺にはクモが巣を掛けない。
2、南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある。
3、五重塔の相輪に鎌が刺さっている。
4、不思議な伏蔵がある。
5、法隆寺の蛙には片目が無い。
6、夢殿の礼盤の下に水がたまる。
7、雨だれが穴をあけるべき地面に穴があかない。
法隆寺にあるヨルガ池の蛙は、生まれたときから目がひとつだと言われています。
誰もそのような蛙(かえる)を見た者はいませんが???
七不思議のいわれについては、ボランティアガイドに聞いてみてください。
なを、この「カテゴリ」で説明していますのでご参考にしてください。
 写真 聖徳会館東にあるヨルガ池

 西円堂の謎

2008-03-13 13:38:00 | 「isao流法隆寺の謎」
西円堂(峰の薬師)は、法隆寺西院伽監の西北少し高くなった所にあります。
西円堂は、718年に藤原三千代と行基の創建と言われ、1050(1049)年大風で倒壊、1250年現在地に再建されました。 がしかし、創建時の場所が不明で、現在地は峰と言うにはいささか違和感があります。
法隆寺の西側土塀に沿って山道を200m位登ると、悔過池(けかいけ)がありますが、この池の伝説に西円堂(峰の薬師)の優美な姿が池の水面に写り、綺麗であったと言う話があります。ここですと峰の薬師にピッタリですが??
また、八角円堂は、五重塔、三重塔と同じように死者の冥福を祈るために建てられています。法隆寺の夢殿が聖徳太子をおまつりするように、西円堂には誰を祭っているのか今までに聞いたことがありません。isaoの推測ですが、斑鳩の地は古代から物部氏系が治めていた地域であり、聖徳太子と物部守屋との関係、また蘇我氏(藤原氏?)が物部氏を滅ぼした事等から、贖罪の意味で西円堂には、物部守屋が密かに祭られているのではないかと思います。
  写真 法隆寺西円堂(峰の薬師)