葛城王朝を探る・その2として、馬見古墳群を2回に分けていつもの”三バカセ”で探検、古代豪族葛城氏が活躍した北部に馬見丘陵がありますが、北端は大和川のすぐ南でこの地域には旧石器時代の遺跡とか、シガゾウの化石(牙ば橿考研の博物館に展示)が発見されています。
南に延びた微丘陵には、4世紀初~6世紀後半の前方後方墳、帆立貝式古墳、円墳、方墳、前方後円墳(巣山古墳全長220m、新木山古墳全長200m)など多く、葛城氏か大王家に関する古墳群ではないかと思われます。
{前半のコース}2010.4.11
近鉄箸尾駅~天神社~乙女山古墳~一本松古墳~倉塚古墳~ナガレヤマ古墳~馬見丘陵公園~近鉄池部駅 (約15000歩・8.5km)
{後半のコース}2010.6.13
JR法隆寺駅~車で馬見丘陵公園~巣山古墳~讃岐神社~新木山古墳~三吉石塚古墳~牧野古墳~佐味田宝塚古墳~近鉄佐味田川駅 (約17000歩・9.5km)
写真 ナガレヤマ古墳 全長103mの前方後円墳、5世紀に巣山古墳ーナガレヤマ古墳ー乙女山古墳の順で築造されたようです。葺石と埴輪で復原されており、後円部頂上に登ると大和平野が一望できます。この古墳は、東側から見せるように造られたのでは?
写真 讃岐神社・讃岐神社古墳
この神社は、巣山古墳の西にある讃岐神社古墳(全長60mの前方後円墳:5世紀初)の後円部の上に祀られていますが、古墳の前方部は道路などで消滅しています。神社には、大物主命=ニギハヤヒノミコト=物部氏の始祖も祀られています。また「竹取物語」の舞台とも、5人の貴公子のモデルが特定されているとも言われています。
写真 牧野(ばくや)古墳 径50mの円墳:6末~7世紀初の築造
この古墳は、馬見公園から西へ2km弱行った国道の傍、少し登った所に羨道の入り口があります。石室内には2つの石棺があったようで、規模など斑鳩町の藤ノ木古墳と良く似ています。被葬者は、敏達天皇の皇子押坂彦人大兄王ではないかと。
写真 桜峠
帰り道で佐味田川沿いに北へ、交差点を右に行くと池部駅へ、左に行くと王寺・香芝へ、横断歩道を渡った所にこの碑があります。山道が三輪と王寺を結ぶ三輪街道で途中に桜峠があります。 『あしびきの 山の間照らす 櫻花 この春雨に 散りゆかんかも』 万葉集 巻2 1度歩いてみたい峠道です。
南に延びた微丘陵には、4世紀初~6世紀後半の前方後方墳、帆立貝式古墳、円墳、方墳、前方後円墳(巣山古墳全長220m、新木山古墳全長200m)など多く、葛城氏か大王家に関する古墳群ではないかと思われます。
{前半のコース}2010.4.11
近鉄箸尾駅~天神社~乙女山古墳~一本松古墳~倉塚古墳~ナガレヤマ古墳~馬見丘陵公園~近鉄池部駅 (約15000歩・8.5km)
{後半のコース}2010.6.13
JR法隆寺駅~車で馬見丘陵公園~巣山古墳~讃岐神社~新木山古墳~三吉石塚古墳~牧野古墳~佐味田宝塚古墳~近鉄佐味田川駅 (約17000歩・9.5km)
写真 ナガレヤマ古墳 全長103mの前方後円墳、5世紀に巣山古墳ーナガレヤマ古墳ー乙女山古墳の順で築造されたようです。葺石と埴輪で復原されており、後円部頂上に登ると大和平野が一望できます。この古墳は、東側から見せるように造られたのでは?
写真 讃岐神社・讃岐神社古墳
この神社は、巣山古墳の西にある讃岐神社古墳(全長60mの前方後円墳:5世紀初)の後円部の上に祀られていますが、古墳の前方部は道路などで消滅しています。神社には、大物主命=ニギハヤヒノミコト=物部氏の始祖も祀られています。また「竹取物語」の舞台とも、5人の貴公子のモデルが特定されているとも言われています。
写真 牧野(ばくや)古墳 径50mの円墳:6末~7世紀初の築造
この古墳は、馬見公園から西へ2km弱行った国道の傍、少し登った所に羨道の入り口があります。石室内には2つの石棺があったようで、規模など斑鳩町の藤ノ木古墳と良く似ています。被葬者は、敏達天皇の皇子押坂彦人大兄王ではないかと。
写真 桜峠
帰り道で佐味田川沿いに北へ、交差点を右に行くと池部駅へ、左に行くと王寺・香芝へ、横断歩道を渡った所にこの碑があります。山道が三輪と王寺を結ぶ三輪街道で途中に桜峠があります。 『あしびきの 山の間照らす 櫻花 この春雨に 散りゆかんかも』 万葉集 巻2 1度歩いてみたい峠道です。