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竜田城(陣屋)跡

2011-12-11 09:40:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
 竜田城(陣屋)跡は、斑鳩町の竜田道と竜田川が交わる竜田大橋の南東の一角、竜田川の東岸にあり、規模は東西430m×南北350mの城郭で、片桐且元が竜田川の流れを変えて西の外堀に、北は竜田道を含み、一段低い南側は大和川から大和平野が一望できる戦略的に重要な地域だったと思います。徳川家康がこの地に片桐且元を配置したのは、587年蘇我馬子と聖徳太子が物部守屋を倒して、物部の地盤であった斑鳩に宮や寺を造るに先立ち、竜田川右岸の三室山に物部氏の始祖神である三輪山の神を祀った(斑鳩の伝承)ことに相通じるものがあります。
関が原の戦の後1601年に片桐且元が2万4千余石を拝領して、竜田氏が築いた竜田城(土豪の館か)を踏襲して城(陣屋)を構えたと考えられています。斑鳩バイパス建設に伴う発掘調査では、12世紀末~13世紀初の遺構と共に竜田城(陣屋)時代の屋敷地遺構の一部が確認されています。

 写真 平大池(西~南の内堀)
現在、竜田城跡に残る内堀はこの平太池と東町(どんど)池だけで、西の長池と東の鎌池は埋め立てられて住宅になっています。内堀に囲まれた内郭は130m×120mの方形で、平城形態であったといわれています。

 写真 バイパス工事現場と竜田城(陣屋)跡
平太池の堤の下(南側)をバイパスが通ります。前方の杜は竜田城の鎮守白山神社です。このバイパス工事のあたりで武家屋敷の遺構とか井戸跡が見つかっています。
 写真 『もみじばし』から見た堂山
片桐且元が竜田川を西の外堀にするために、竜田川を堂山の下に付け替えました。正面左が『堂山』で紅葉と桜の名所になっています。
前方の橋は堂山橋、その下流右岸に三室山(標高82m)があります。<情報マップご参照>