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キトラ古墳から牽午子塚古墳

2011-04-20 13:29:00 | 【歴史探検ウオーク】
4月17日(日)三バカセのウオーク、桜の残り花を見ながら鴬の鳴き声を聞き長閑な飛鳥探検でした。
コースは、近鉄新王子駅~橿原神宮前駅構内で弁当を仕入れ~壺阪山駅~小嶋寺~キトラ古墳~文武天皇陵~高松塚古墳~中尾山古墳~岩屋山古墳~牽午子塚古墳・越塚御門古墳~近鉄飛鳥駅~新王寺駅  徒歩17500歩、約9.5km でした。

 写真 小嶋寺  宗派;真言宗御室派  本尊;大日如来 高取町観覚寺
1640年植村家政が高取城に入部した後は祈願所となり保護された。表門は高取城の二の門を移築したもので、寺宝の紺紋地金銀泥絵画界曼荼羅図2幅(平安後期)は国宝に指定されています。  

 写真 キトラ古墳 明日香村阿部山 7世紀末~8世紀初
径13.8mの円墳、2段築成は版築で築かれています。横口式石槨は二上山の凝灰岩で、石槨内面は、全面に漆喰を塗り壁画が描かれており、石槨内部からは漆塗木棺の破片や金銅製飾り金具などが見つかっています。
被葬者は、天武天皇に関わる皇族ではないかといわれていますが、古墳の面影がうしなわれているのが残念です。
  
写真 檜隈寺跡  明日香村檜隈
檜檜寺は、東漢一族の氏寺とされ、伽藍は西向きの特異な配置で、西門を入ると正面に塔、南に金堂、北に講堂がある。回廊は講堂及び金堂に取り付き塔を囲むことが調査で判明しています。
寺跡には、重要文化財の十三重塔(上2段欠損)が残り、現在は於美阿志神社の境内になっています。その鳥居の前には宣化天皇宮跡の石碑が立っています。近くの住人の話ではキトラ古墳からこの辺一帯が公園になるそうです。

写真 文武天皇陵 明日香村栗原 
陵号は檜隈安古岡上陵、高松塚古墳の南に位置した丘の南面にあります。

 写真 もう一つの文武天皇陵??中尾山古墳 明日香村平田
築造は7世紀後~8世紀初、径19.4mの八角形墳、墳丘全面を石で覆う3段築成で、石槨内部には火葬骨を納めた金銅製の蔵骨器が置かれていた可能性があり、文武天皇の檜隈安古陵ではないかと言われています。
 写真 高松塚古墳  明日香村平田 
径23mの円墳で周囲に2.5mの周溝が巡る。7世紀末~8世紀前半
横口式石槨は二上山の凝灰岩の切石を使用(斑鳩町の藤ノ木古墳の石棺も二上山の凝灰岩)。石槨内面は漆喰が塗られ、四神図、男女人物像、星宿図など壁画が描かれています。かの壁画は、古墳横の壁画館で見ることができます。
被葬者は天武天皇に関わりを持つ皇族では???
以前来た高松塚古墳は竹薮でこの時期筍がたくさん出ていたのを思い出しました。 
写真 岩屋山古墳 明日香村村越
一辺約40mの方墳、7世紀中頃、近鉄飛鳥駅北側の踏切を渡ってすぐ右の石段を登ると羨道の入り口があります。
羨道と玄室は、丁寧な切石加工がされ「岩屋山式横穴式石室」の標識になっています。
飛鳥時代の大王ないしは有力氏族が被葬者か???
石室内部は、自動的に照明がつき石積の様子など良く見えるようになっています。
 ここから集落を抜けて登りの山道を行くと、今回のメイン牽午子塚古墳です・・・その前に、山道の真ん中にへたり込んで一休み。

 写真 牽午子塚古墳 明日香村越 7世紀後半
一辺12.2m(対辺長18.5m)2段築成、石槨は、1個の巨大な凝灰岩を刳り抜いた横口式石槨で、内部中央に厚さ0.5mの間仕切壁を造り出している。入り口は凝灰岩の切石で蓋がされていました。石室内から夾紵棺(きょうちょかん)二棺の破片や、金銅八花形座金具、7宝亀甲形飾金具、ガラス玉などが出土しています。
被葬者は、齋明天皇と間人皇女説が言われており、この古墳は築造当初から二棺埋葬を計画して造られたと思われます。
この古墳に寄り添うように南東部から、腰塚御門古墳が最近の調査で見つかり話題になりました。

 写真 牽午子塚内部