11月8日、いつもの三バカセで磐余(いわれ)地域の古墳と遺跡・神社を「歴史探検ウオーク」、コースは、JR桜井駅を10時半に出発~桜井茶臼山古墳~等彌(とみ)神社~メスリ山古墳~コロコロ山古墳~上之宮庭園遺跡~艸墓古墳~土舞台~安部文殊院東・西古墳~JR桜井駅17時。 歩数約18000歩・10kmでした。
当日は、橿原考古学研究所の友史会が(isaoも会員)、11月例会「磐余地域の古墳を中心に巡る」でほぼ同じコースを歩いており、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳では合流することが出来、後円部に登って石室の発掘現場を再度見ることができました。
桜井茶臼山古墳
全長200m、後円部径110mに南北13.8m東西11.3mの方形壇を築き丸太が立て並べられていた「丸太垣」。竪穴式石室からコウヤマキの木棺を取り出し保存。
等彌神社
この神社は、桜井駅の南東になだらかな山容をみせる鳥見山の西麓に鎮座しています。
神主さんのお話では、神武天皇縁の神社で裏山の頂上に登れるそうで、これからの紅葉が見事だそうです。
メスリ山古墳
全長224m(250mとも)後円部径128m墳頂部の方形埴輪列の特大埴輪と玉仗、鉄製弓矢など多くの武器類が出土した竪穴式石室跡を眼下にして、被葬者はどのような大王か感無量でした。
なを、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳の出土品、特大埴輪などは橿考研の博物館に展示されています。
写真 上之宮庭園遺跡
犬を連れて散歩中の奥さんに案内してもらって、やっと住宅の中に探し当てました。
一辺50m以上の柵や溝に囲まれた方形区画の中に建物が配置されており、西側から園池遺構が出土。上之宮の地名から聖徳太子が20年間居所した宮跡と推定されています。
写真 土舞台
艸墓古墳を見て安部文殊院に行く途中右手の小高い丘の頂上にあります。
聖徳太子が摂政の頃百済人味摩之(みまし)が日本に帰化、太子は子供達を集めて土舞台で味摩之に伎楽(ぎがく)を習わせたと伝えています。「土舞台」は日本最初の国立演劇研究所があった場所として、日本芸能発祥の地といわれているそうです。また聖徳太子は芸能の始祖とも言われています。