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法隆寺など「斑鳩の里ガイド」のご相談は、斑鳩町観光協会(0745-74-6800)にご相談ください

法輪寺の軒亙

2009-11-24 09:37:00 | 「斑鳩の神社と寺院」
法輪寺は、法隆寺の北東にあるお寺で三井寺とも呼ばれており、西側土塀の軒亙には「三井寺」が入っています。 <情報マップご参照>
法輪寺の創建は、飛鳥時代に遡り聖徳太子の御子山背大兄王が、聖徳太子の病気平癒を願って、その子由義王と共に建立したと伝えています。(異説あり)伽藍配置は、現在の法隆寺と同じで法隆寺の2/3の大きさといわれています。
なを、三井寺の謂れになっている聖徳太子が掘った「赤染井」が西の三井集落の中に残されています。
 写真 法輪寺の軒亙

中宮寺の軒亙

2009-11-20 16:03:00 | 「斑鳩の神社と寺院」
中宮寺は聖徳太子が御母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御願によって、皇后の宮を寺に直したと言われ、聖徳太子建立七か寺の一つに数えられる名刹です。現在地の東約550mに創建法隆寺と同じ四天王寺式伽藍配置の遺跡があり、発掘調査が行われていますす。 <斑鳩の里情報マップご参照>
現在地には室町時代に再建されたと推測され、門跡寺院として有名です。軒丸亙などには『菊』のご紋が入っています。

聖徳太子と磐余地域

2009-11-13 08:54:00 | 【歴史探検ウオーク】
11月8日、いつもの三バカセで磐余(いわれ)地域の古墳と遺跡・神社を「歴史探検ウオーク」、コースは、JR桜井駅を10時半に出発~桜井茶臼山古墳~等彌(とみ)神社~メスリ山古墳~コロコロ山古墳~上之宮庭園遺跡~艸墓古墳~土舞台~安部文殊院東・西古墳~JR桜井駅17時。 歩数約18000歩・10kmでした。
当日は、橿原考古学研究所の友史会が(isaoも会員)、11月例会「磐余地域の古墳を中心に巡る」でほぼ同じコースを歩いており、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳では合流することが出来、後円部に登って石室の発掘現場を再度見ることができました。
 桜井茶臼山古墳
全長200m、後円部径110mに南北13.8m東西11.3mの方形壇を築き丸太が立て並べられていた「丸太垣」。竪穴式石室からコウヤマキの木棺を取り出し保存。
 等彌神社
この神社は、桜井駅の南東になだらかな山容をみせる鳥見山の西麓に鎮座しています。
神主さんのお話では、神武天皇縁の神社で裏山の頂上に登れるそうで、これからの紅葉が見事だそうです。
 メスリ山古墳
全長224m(250mとも)後円部径128m墳頂部の方形埴輪列の特大埴輪と玉仗、鉄製弓矢など多くの武器類が出土した竪穴式石室跡を眼下にして、被葬者はどのような大王か感無量でした。
なを、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳の出土品、特大埴輪などは橿考研の博物館に展示されています。
 写真 上之宮庭園遺跡
犬を連れて散歩中の奥さんに案内してもらって、やっと住宅の中に探し当てました。
一辺50m以上の柵や溝に囲まれた方形区画の中に建物が配置されており、西側から園池遺構が出土。上之宮の地名から聖徳太子が20年間居所した宮跡と推定されています。
 写真 土舞台
艸墓古墳を見て安部文殊院に行く途中右手の小高い丘の頂上にあります。
聖徳太子が摂政の頃百済人味摩之(みまし)が日本に帰化、太子は子供達を集めて土舞台で味摩之に伎楽(ぎがく)を習わせたと伝えています。「土舞台」は日本最初の国立演劇研究所があった場所として、日本芸能発祥の地といわれているそうです。また聖徳太子は芸能の始祖とも言われています。