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柳本・大和古墳群

2009-07-21 13:17:00 | 【歴史探検ウオーク】
7月19日10時~16時、いつものニセ博士3人で纏向古墳群に続いて、柳本古墳群と大和(おおやまと)古墳群をウオーク、卑弥呼(ひみこ)は、邪馬台国はどこだ。
コースは、JR柳本駅~黒塚古墳~黒塚古墳展示館~崇神天皇陵~天理トレイルセンター
~中山大塚古墳・大和神社御旅所~西殿塚古墳~下池山古墳~大和神社~馬口山古墳~JR長柄駅 (歩数15211歩・約8.4km)でした。

 写真 上ツ道と卑弥呼の里
JR柳本駅から東に約100mで上ツ道と交差します。この辺りから「卑弥呼の里」の看板が目に付きます。左の道が上ツ道で北に行くと、卑弥呼の宮があったと言われる大和(おおやまと)神社へ、南に行くと箸墓古墳に行きます。さらに右の道を東に行くと、黒塚古墳・天神山古墳があり、国道を渡ると崇神天皇陵から山之辺の道に出ます。

写真 黒塚古墳の竪穴式石室内部
黒塚古墳は、3世紀後半~4世紀の古墳と推定され、全長132mの前方後円墳です。この古墳から出土した33面の三角縁神獣鏡は、初期ヤマト政権のありかたや、邪馬台国論争にも無関係ではないと言われています。写真の竪穴式石室模型は「黒塚古墳展示館」に再現されています。木棺(直径1mのクワ)はありませんが、一面に水銀朱が撒かれ手前正面(被葬者の頭部)に1面「画文帯神獣鏡」が置かれ、33面の三角縁神獣鏡は「33人の巫女さんが儀式後に、木棺の外に並べておいた」と展示館の解説員に聞きました。 なお、黒塚古墳の南にある天神山古墳(全長106m前方後円墳:4世紀)には、23面の銅鏡と41kgの水銀朱等が出土しています。   

 写真 大和神社御旅所と中山大塚古墳
大和(おおやまと)神社御旅所は、中山大塚古墳前方部の西端に御旅所坐神社があります。祭神は大歳(後のニギハヤヒノミコト:大物主命)ほか二神で、毎年4月1日に行われる大和神社の例祭(ちゃんちゃん祭り)の御旅所になっています。
中山大塚古墳は、全長132m(調査後の復原安:古墳の復元模型が橿原博物館に展示されています)竪穴式石室で3世紀の古墳です。

 写真 下池山古墳
中山大塚古墳から東に大塚念仏寺の墓地を通り過ぎて、西殿塚古墳(衾田陵)へ、この古墳は3世紀に造られたとゆうことですが、手白香皇女の陵に指定されているのは,時代が合いませんね。卑弥呼の後の台与(とよ)の墓ではないでしょうか。??
山を下りて西へ行くと下池山古墳が見えてきます。この古墳は、全長120mの前方後方墳で竪穴式石室・4
世紀初に造られたと言われています。
石室内には、高野槙材の割竹形木棺が、5.24mと蓋も1.54m程度遺存していました。
 なを、木棺の実物が橿原博物館に展示されています。

写真 大和神社
大和神社は、ニギハヤヒノミコトの末娘である御歳大神(みとしのおおかみ)他が祀られています。桜井市の大神神社と同じくらいに古い神社と言われています。
上ツ道の近くにあり、水野正好氏が「ヒミコの王宮」があった所と言われている神社です。卑弥呼に関する伝説なり物証がないかと思い、神主さんに話を聞きましたが、神社の近くにスサノオ神社があることと、大和神社の鳥居近くに馬口山古墳、全長70m前方後円墳:3世紀の古い古墳があることを聞きしましたが、卑弥呼に直接関係の有る話は聞けませんでした。
しかし、スサノオ神社は、字名「兵庫」にあり、卑弥呼の蔵があったのでは、?
大和神社の例祭で、御旅所まで往復するのは、娘が実家に里帰りしているように思います。