今月8日のラジオ大阪「マリコのちょっとお出かけ!新・発・見」で業平道を放送する為収録のご案内をしました。この業平道(なりひらみち)は、平城天皇の孫の在原業平(ありはらのなりひら)が天理の我が家から河内高安の彼女の元に夜な夜な通ったといわれているロマンの古道(ふるみち)です。今回のコースは、大和郡山市椎木(しぎ)町から東安堵・JR関西線を渡り・斑鳩の高安・富雄川にかかる業平橋・新業平橋・法隆寺参道を横切り・業平姿見の井戸・守谷池の西堤から山道へ・集落を抜けて竜田川に架かる念仏橋まででした。
当日は雪から氷雨が降る寒い日でしたが、パーソナリテイー安陵真理子さんの軽妙な話しかけに話も弾みました。 (斑鳩の里情報マップご参照))
写真 業平道・椎木町から東安堵
郡山工業団地の北行き道路から少し西に入ったあたり、業平道のすぐ左(南)を岡崎川が流れています。前方は東安堵の集落、富雄川に架かる業平橋までほぼ直線で、田んぼ道がほとんどです。業平道の道幅は20mで計画されていたと言われていますが、斑鳩の里を東西に縦断する道は細く山道とか住宅の路地のようになりかろうじて残っている状態です。
写真 高安の在原神社・左の鳥居
冨雄川に架かる業平橋の東に斑鳩の高安集落があり、天満宮の杜があります。業平(なりひら)が河内姫とのデートの帰りに、ここ高安の娘達が連れて行かれるのを防ぐために、娘達の顔に鍋底の墨を塗ってわざと醜くしたとの伝説があります。また、昭和30年代まで顔に墨を塗る行事があったそうです。
写真 業平橋と歌碑
冨雄川に架かる業平橋は、幅2mほどの人道橋で車は通れませんが、少し下流に新業平橋が出来て車も通れます。業平橋の東に源忠季の歌『君が代は富の小川の水すみて千年をふともたえじとぞ思ふ』金葉集 の歌碑があります。当時は水量も多く水も綺麗に澄んでいたのでしょう。
写真 業平道と法隆寺松並木の参道
法隆寺の参道は、1261年に後嵯峨上皇が法隆寺に行幸された時に整備したと言われ全長は300m近くあります。isaoが自分の歩幅と歩数で実測したところ約285mありました。松並木の参道は現在、南から国道25号線、中央部で業平道、北(法隆寺南大門前)で旧街道の3箇所で分断されています。参道も重要ですが、業平道も古代から河内と大和を結ぶ重要な道だったのでしょう。
写真 業平姿見の井戸
この井戸は、斑鳩町役場の前(南)国道25号線と旧奈良街道・竜田道が斜めに交差する所にあります。写真の奥にあるのが井戸で手前は日切地蔵尊です。
この井戸には業平と河内姫の悲しい伝説があります。ある時、業平が河内姫の家の近くで笛を吹いて姫を呼びますが姫はなかなか出てきません。業平が東の窓から家の中を覗くと、姫はしゃもじでご飯をすくいそのまま食べていました。それを見た業平は、いっぺんに恋も冷め逃げ帰り井戸の傍のヨノミの木に登って隠れますが、業平の気配を察した河内姫がこの井戸まで追いかけてきて、月明かりで井戸に写った業平の姿を見て、井戸に飛び込んでしまいました。また河内のほうでは姫がしゃもじではなく、手で直接ご飯をつかんで食べていた、姫が飛び込んだのは井戸ではなく池・・との伝説もあるそうです。
写真 業平道・竜田神社北
竜田神社西の道を北に50mほど、民家の石垣に沿って田んぼ道へ、細い坂道を登ると守谷池の堤防から竹薮を通って段々畑のあぜ道に出ます。
写真 念仏橋と竜田北の集落
見晴らしの良い山道から集落の路地裏を抜けて、竜田川に架かる念仏橋(業平橋)に出ます。この念仏橋は、その昔、丸木橋であったので旅人が念仏を唱えながら渡ったところからこの名前がついています。業平が竜田川ともみじを詠んだ歌『ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは』が有名です。(カテゴリー斑鳩の句・歌碑ご参照)
当日は雪から氷雨が降る寒い日でしたが、パーソナリテイー安陵真理子さんの軽妙な話しかけに話も弾みました。 (斑鳩の里情報マップご参照))
写真 業平道・椎木町から東安堵
郡山工業団地の北行き道路から少し西に入ったあたり、業平道のすぐ左(南)を岡崎川が流れています。前方は東安堵の集落、富雄川に架かる業平橋までほぼ直線で、田んぼ道がほとんどです。業平道の道幅は20mで計画されていたと言われていますが、斑鳩の里を東西に縦断する道は細く山道とか住宅の路地のようになりかろうじて残っている状態です。
写真 高安の在原神社・左の鳥居
冨雄川に架かる業平橋の東に斑鳩の高安集落があり、天満宮の杜があります。業平(なりひら)が河内姫とのデートの帰りに、ここ高安の娘達が連れて行かれるのを防ぐために、娘達の顔に鍋底の墨を塗ってわざと醜くしたとの伝説があります。また、昭和30年代まで顔に墨を塗る行事があったそうです。
写真 業平橋と歌碑
冨雄川に架かる業平橋は、幅2mほどの人道橋で車は通れませんが、少し下流に新業平橋が出来て車も通れます。業平橋の東に源忠季の歌『君が代は富の小川の水すみて千年をふともたえじとぞ思ふ』金葉集 の歌碑があります。当時は水量も多く水も綺麗に澄んでいたのでしょう。
写真 業平道と法隆寺松並木の参道
法隆寺の参道は、1261年に後嵯峨上皇が法隆寺に行幸された時に整備したと言われ全長は300m近くあります。isaoが自分の歩幅と歩数で実測したところ約285mありました。松並木の参道は現在、南から国道25号線、中央部で業平道、北(法隆寺南大門前)で旧街道の3箇所で分断されています。参道も重要ですが、業平道も古代から河内と大和を結ぶ重要な道だったのでしょう。
写真 業平姿見の井戸
この井戸は、斑鳩町役場の前(南)国道25号線と旧奈良街道・竜田道が斜めに交差する所にあります。写真の奥にあるのが井戸で手前は日切地蔵尊です。
この井戸には業平と河内姫の悲しい伝説があります。ある時、業平が河内姫の家の近くで笛を吹いて姫を呼びますが姫はなかなか出てきません。業平が東の窓から家の中を覗くと、姫はしゃもじでご飯をすくいそのまま食べていました。それを見た業平は、いっぺんに恋も冷め逃げ帰り井戸の傍のヨノミの木に登って隠れますが、業平の気配を察した河内姫がこの井戸まで追いかけてきて、月明かりで井戸に写った業平の姿を見て、井戸に飛び込んでしまいました。また河内のほうでは姫がしゃもじではなく、手で直接ご飯をつかんで食べていた、姫が飛び込んだのは井戸ではなく池・・との伝説もあるそうです。
写真 業平道・竜田神社北
竜田神社西の道を北に50mほど、民家の石垣に沿って田んぼ道へ、細い坂道を登ると守谷池の堤防から竹薮を通って段々畑のあぜ道に出ます。
写真 念仏橋と竜田北の集落
見晴らしの良い山道から集落の路地裏を抜けて、竜田川に架かる念仏橋(業平橋)に出ます。この念仏橋は、その昔、丸木橋であったので旅人が念仏を唱えながら渡ったところからこの名前がついています。業平が竜田川ともみじを詠んだ歌『ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは』が有名です。(カテゴリー斑鳩の句・歌碑ご参照)