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法隆寺など「斑鳩の里ガイド」のご相談は、斑鳩町観光協会(0745-74-6800)にご相談ください

佐紀の王陵と平城京

2008-05-23 09:47:00 | 【歴史探検ウオーク】
昨日は快晴ウオーク日和でした。『斑鳩の里観光ボランティアの会」の歴史探検ずきが、佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群と隆光の墓、不退寺などを見て議論白熱でした。
称徳天皇は、法隆寺の百万塔を造られた天皇で、法隆寺ガイドではいつも話に出てきますが、称徳天皇陵は南北に並ぶ王陵の中でただ1基東西に造られた不思議な古墳です。平城天皇陵は、平城京造営時に前方部が削り取られた後円部に葬られています。この2基の天皇陵は、普通の天皇陵ではないように思います。
コースの中程にある「平城庵}で一休み、ここは平城天皇陵の前方部にあたり、平城京発掘に尽力された溝辺文四郎氏の家で平城京が良く見えます。
不退寺は、平城天皇が晩年を過ごされた宮を孫の在原業平が寺にしたとご住職のご説明。業平(なりひら)が、天理から河内高安の彼女の元に通ったと言われる『業平道』が法隆寺参道を横切っています。
  写真 怪僧隆光の墓


吉田寺

2008-05-21 13:48:00 | 「斑鳩の神社と寺院」
吉田寺(きちでんじ)は、竜田神社の南約100mにあります。斑鳩の里情報マップご参照
通称「ぽっくり寺」と言われお参りすると、安楽往生ができると言われています。
この寺は、987年に恵心僧都が八幡宮の旧跡地に建立したと伝え、本堂には丈六仏阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。
境内の多宝塔(重要文化財)は1463年に建てられ、塔内の大日如来像は秘仏で9月と11月に公開されています。また寺の西側には天智天皇の妹・間人皇后の墓といわれる古墳がありますが、最近では、この間人(はしひと)皇后は聖徳太子の母穴穂部間人皇后説が有利です。isaoも斑鳩の歴史から考えて天智天皇の妹はありえないと思います。
  写真 吉田寺の本堂と多宝塔


藤ノ木古墳の公開

2008-05-04 10:16:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
藤ノ木古墳の周辺整備が終わり3日~6日一般公開されています。所在地は、斑鳩の里情報マップご参照ください。
石室内部・石棺を間近で見ることができ、ボランティアガイドも常駐しています。
isaoも3日pmガイドに出ていました。初日の見学者は約1600人でした。
法隆寺夢殿の開扉特別公開、秘宝展と合わせて是非お越しください。
 写真 藤ノ木古墳

中宮寺跡の礎石

2008-05-02 09:48:00 | 『斑鳩の遺跡と古墳』
中宮寺は法隆寺夢殿の隣にありますが、聖徳太子が創建したと言われる旧中宮寺は、この東約300mの斑鳩から西ノ京に行く観光道路の傍にあります。(斑鳩の里情報マップご参照)
中宮寺の名前のいわれは、聖徳太子の母穴穂部間人皇后の宮を寺にしたからとか、斑鳩宮・岡本宮・葦垣宮の中間にあるからなど言われていますが、斑鳩の全体図を見ますと、南北の方位が西に20度振った道があちこちに残っています。法隆寺の東大門を出てすぐ左、土塀に沿って斑鳩神社へ行く道も20度振った古代の道です。
聖徳太子は、この地にゾロアスター神殿と言われる「斑鳩京」を創ったのではないでしょうか?
太子道と言われる斑鳩から飛鳥への道も20度振って直線を引くと、この道の途中にある「島の山古墳」も20度振っていることが解ります。
 写真 旧中宮寺の礎石