暑い夏場を避けて久々のニセ博士3人組の『歴史探検ウオーク』です。
今回は、7代孝霊天皇の宮跡から、大和のヘソと言われる田原本町の『太子道』を辿り、古代の物部氏と秦氏を探るをテーマに、ニセ博士たちの論戦を展開した1日でした。
コースは、JR王寺駅10時集合~近鉄新王寺駅~黒田駅~黒田大塚古墳~法楽寺(孝霊天皇黒田いほ戸宮跡)~太子道~孝霊神社~太子道~鏡作伊多神社~保津環濠集落~秦楽寺~多神社~近鉄笠縫駅~近鉄新王寺駅・JR王寺駅16時半解散。 歩数約2万歩11kmでした。
写真 法楽寺(孝霊天皇黒田いほ戸宮跡)
近鉄黒田駅を出るとすぐ西に筋違道・太子道が南北に、今も車が走っています。この太子道を横切り狭い路地を西に抜けると、黒田大塚古墳(6世紀前半の前方後円墳)、この横をさらに西に行くと法楽寺があります。聖徳太子開基と言われていますが今は本堂のみ。
道のすぐ傍に孝霊天皇の宮跡を示す石碑があります。
写真 孝霊神社
法楽寺から黒田大塚古墳の南面に沿って太子道へ、孝霊神社は、黒田駅から太子道を南へ約150m、主祭神は孝霊天皇で、他に桃太郎伝説で有名な孝霊天皇の皇子吉備津彦も祀られています。
石の鳥居が明神形ですが、天皇家の鳥居は神明形が一般的なのに何故でしょうか。
写真 鏡作尹多神社
神社は、保津環濠集落の中と、北に約150m同じ鏡作尹多神社があります。
このあたりには、保津・宮古遺跡があり、約2km東北には唐古・鍵遺跡があります。大和の鏡作部達が銅鐸や銅鏡を製作していたと思います。また両境内には遥拝所があり、その前に立つと三輪山が綺麗に見えます。三輪山の神・出雲系タタラ集団との関係、物部氏との関係がありそうですね。
写真 秦楽寺(じんらくじ)
保津・宮古遺跡から南へ近鉄笠縫駅の西、秦庄にあるお寺です。
本堂には、秦河勝と聖徳太子の像も祀られています。太子道の大部分は秦氏の居住地域をを通っていますが、これは聖徳太子が斑鳩と飛鳥を行き来する際、秦河勝が聖徳太子の身の安全を護るためでは?
秦楽寺の「楽」は、秦河勝が舞楽、伎楽の始祖と言われ、この寺でも舞楽などの練習をしたことから楽の字が使われたと言われています。、
写真 多神社
秦庄を南へ宮森集落を通り多へ、神社は飛鳥川の右岸沿いにあります。
主祭神は神武天皇となっていますが、元の神様は三輪山の神(大物主・ニギハヤ匕)ではなかろうか? 多氏は大氏と同じで秦氏とも同根といわれ、この地に住み着き大和平野の開拓者として栄えてきたのでしょう。
社殿の裏の杜に三輪山との関係をうかがわせる古代祭祀遺跡があります。
写真 筋違道・太子道と秦氏
斑鳩と飛鳥を最短距離で結ぶ、北に向かって西に20度振る直線道路で、創建法隆寺など斑鳩地域の宮跡とか寺院などに見られる『斑鳩条里』とも重なります。現在は、島の山古墳の東から田原本町の宮古あたりまでが良く残っています。
古代の秦氏は、物部氏と同属だとゆう説があり、大和のヘソと言われる田原本町には、唐古・鍵遺跡がありますが、ニギハヤ匕が大和入りをした時の本拠地であったとも。だとすると、石見から保津の間、唐古・鍵遺跡から2km西南地域に多くの鏡作神社があり、三輪山の神(大物主・ニギハヤ匕)を崇拝していたのもうなずけるかと。