10月10日(火)快晴
今日もいい天気でした。最近ヨットやゴルフで週末を過ごすためか週明けは体がきついです。仕事は従来趣味の延長のような感じでずっと過ごしてきましたが、一線を退いたあとの仕事はできる限り自分が動かずに若い人に中心にと思いながらやっているので逆にすごく疲れます。なかなか世阿弥のような心境にはなれないと感じています。
そこで今日は世阿弥の初心忘するべからず三箇条の話をしましょう。
「初心忘るべからず」とはよく言われる言葉なので誰でも知っていることだと思います。そして入社時の覚悟や純真な気持ちを持ち続けることの大切さを教えてくれてます。室町時代に「能」は観阿弥・世阿弥により芸術として完成されました。「花鏡・奥の段」には世阿弥の能という芸に対する秘儀を伝えています。その一句を抜粋すると
初心忘るべからず
此句、三箇条の口伝あり。
是非初心忘るべからず
時々初心忘るべからず
老後初心忘るべからず
此三よくよく口伝すべし。
若年の初心の時の不細工で、へたくそだった時のことをずっと覚えておきなさい。そうすればうまくなっても鼻高にならず、年をとってからさまざまな徳があります。
時々・・・とは修行の段階に応じてそれぞれの時期の初心を忘れるなということで、20代・30代の若い頃のはなやかな動きのある芸の段階の初心も、40代の芸における能を少な少なにして惜しむ風体にしていった芸の段階の初心を忘れてはならない。そうすることにより芸の巾が広がっていくのだ。
また老後に及んでも老境の初心を忘れるな。命には限りがあるが能には限りがない。それぞれの時期の演技を一つ一つ習い覚えすべて身につけてもさらに老後の姿にふさわしい技芸があるのである。こうして生涯初心を忘れずに過ごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで退歩すると言うことがないのである。これが観世流の奥義である。
多分此の一句ではよくわからないかもしれませんが、此の句の前後に解釈が書かれているので説明はそれを踏まえて解釈してみました。
これは「能」と言う芸について書かれた話ですが、ビジネスもまったく同じことが言えるのでないでしょうか。若いビジネスマンは行動力にものを言わせてチャレンジしビジネスの何たるかを極めその初心を忘れないことが年をとって人を指導するときに役立つはずですし、壮年期にはビジネスの中核として無駄のない効率的な動きをして成果をあげながら、余った時間を後輩の指導にあたり、老いてもなお老獪なビジネスの奥義をみがくことにより事業そのものの成果をあげ、経営として成立つまでに完成するための初心忘れるべからずである。
まぁそんなにうまく行かないまでも、その時その時の初心を持って人生を邁進していくことが技芸を極めた者の生き方だと思います。僕も年はとったけど、それにみあった生き方をして行きたいものです。
今日は花鏡から世阿弥の観世流の奥義の一節を紹介させてもらいました。ほんとうは好きな詩の話を書く予定でしたがイントロの延長で急遽世阿弥になってしまいました。ちょっといい漢詩の話は明日以降にしましょう。ではまた。
今日もいい天気でした。最近ヨットやゴルフで週末を過ごすためか週明けは体がきついです。仕事は従来趣味の延長のような感じでずっと過ごしてきましたが、一線を退いたあとの仕事はできる限り自分が動かずに若い人に中心にと思いながらやっているので逆にすごく疲れます。なかなか世阿弥のような心境にはなれないと感じています。
そこで今日は世阿弥の初心忘するべからず三箇条の話をしましょう。
「初心忘るべからず」とはよく言われる言葉なので誰でも知っていることだと思います。そして入社時の覚悟や純真な気持ちを持ち続けることの大切さを教えてくれてます。室町時代に「能」は観阿弥・世阿弥により芸術として完成されました。「花鏡・奥の段」には世阿弥の能という芸に対する秘儀を伝えています。その一句を抜粋すると
初心忘るべからず
此句、三箇条の口伝あり。
是非初心忘るべからず
時々初心忘るべからず
老後初心忘るべからず
此三よくよく口伝すべし。
若年の初心の時の不細工で、へたくそだった時のことをずっと覚えておきなさい。そうすればうまくなっても鼻高にならず、年をとってからさまざまな徳があります。
時々・・・とは修行の段階に応じてそれぞれの時期の初心を忘れるなということで、20代・30代の若い頃のはなやかな動きのある芸の段階の初心も、40代の芸における能を少な少なにして惜しむ風体にしていった芸の段階の初心を忘れてはならない。そうすることにより芸の巾が広がっていくのだ。
また老後に及んでも老境の初心を忘れるな。命には限りがあるが能には限りがない。それぞれの時期の演技を一つ一つ習い覚えすべて身につけてもさらに老後の姿にふさわしい技芸があるのである。こうして生涯初心を忘れずに過ごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで退歩すると言うことがないのである。これが観世流の奥義である。
多分此の一句ではよくわからないかもしれませんが、此の句の前後に解釈が書かれているので説明はそれを踏まえて解釈してみました。
これは「能」と言う芸について書かれた話ですが、ビジネスもまったく同じことが言えるのでないでしょうか。若いビジネスマンは行動力にものを言わせてチャレンジしビジネスの何たるかを極めその初心を忘れないことが年をとって人を指導するときに役立つはずですし、壮年期にはビジネスの中核として無駄のない効率的な動きをして成果をあげながら、余った時間を後輩の指導にあたり、老いてもなお老獪なビジネスの奥義をみがくことにより事業そのものの成果をあげ、経営として成立つまでに完成するための初心忘れるべからずである。
まぁそんなにうまく行かないまでも、その時その時の初心を持って人生を邁進していくことが技芸を極めた者の生き方だと思います。僕も年はとったけど、それにみあった生き方をして行きたいものです。
今日は花鏡から世阿弥の観世流の奥義の一節を紹介させてもらいました。ほんとうは好きな詩の話を書く予定でしたがイントロの延長で急遽世阿弥になってしまいました。ちょっといい漢詩の話は明日以降にしましょう。ではまた。