”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2007年12月20日 23時00分29秒 | Weblog

12月20日(木)晴
12月は例年、忘年会と称する飲み会が多くなります。今年は去年より少なくして、新年会にしてもらった会も多いのですが、それでも6回あります。3回はダブルブッキングしてしまい2回は失礼させてもらい1回は二次会から参加させてもらう予定です。みんなで飲むのは楽しいけど、だんだん年を取ってくると昔のようには飲めなくなるのと若いおねぇさん相手にクラブで飲むことも少なくなってきました。昨日は久しぶりに華やかな世界に行きましたが帰りが大変でした。タクシーがなかなか拾えず、いっぺんに酔いがさめてしまいます。それにしても大勢の人達が夜遅くまで飲んでいるものだと感心します。もっとも僕もその中の一人ですが。今年は去年より景気がいいのかもしれません。去年も金曜はそうでしたが水曜日でもタクシーが拾えないですから金曜は早く帰った方がよさそうです。
今日は飲む予定ではなかったけど、帰りがけに誘われてまた一回増えました。まぁ誘われるうちが花ですからそれもよしです。僕は決してお酒が強くないのですが、酒を飲む雰囲気とつまみが好きでつい飲めない酒まで飲んでしまうのが常です。いつもみんなでワイワイガヤガヤが好きだと言うことは淋しがりやなのだと思います。昔は一人で飲む酒もよくあったような気がしますが最近は一人ではほとんど行ったことがありません。一人で過ごす時はヨットのキャビンでごろ寝をするか、ゴルフの練習場でもくもくと打ち続けるか、パチンコ屋でぼーっとしているかのいずれかです。
と言うわけで休日はともかく平日は毎日誰かと忘年会になるのだけど、考えてみればずいぶんな無駄遣いをすることになるのかもしれません。ただ「無用の用」と言う言葉があるように、ほとんどの人間がどこかで大いなる無駄をしているんじゃないでしょうか。人間が高等動物であるのは無駄な遊びをするからじゃないかと自分は思っています。その無駄な遊びが過去様々な物を発見したり、発明する原点であったような気がします。楽しく過ごすために考えることは一番自然であるし、一番合理的なことです。仕事で行き詰った時にいくら考えても起死回生のホームランはでないものです。一度忘れてもう一度考えてみる余裕が視界を広げてくれるものです。一度忘れるために何か自分の楽しみに夢中になってみることが一番手っ取り早い方法だと自分は思っています。自分には何も楽しいものがないと思う時も人生の中ではありますが、それは単に歌を忘れたカナリヤ状態になっているだけです。こんな時は目の前にあるささいなことを行動し続けてみることです。きっとより早く心の牢獄から脱出できると思います。
だれでもみんな無駄なことをやっているものです。あまり気にせず自分も無駄なことをやってみてはどうでしょうか。きっと視界が開けてきますよ。
ちょっと酔っ払ってたわいもないことを書きました。
でも人間が人間らしく生きると言うことは大いなる無駄をやることです。
動物は食うこと、寝ること、子孫を増やすこと以外できません。人間が働いて収入を得ることだけでは動物と同じことやっているにすぎません。それは生きるための基本ですがそれだけでは人間とは言えないのかもしれません。
教育ママの日本はどうなってしまうんでしょうかね。僕が心配してもしょうもないことですが、もっと一人ひとりが考えるべきことかもしれません。
それでは今日はこの辺で。